真の崇峻天皇陵(赤坂天王山古墳)
崇峻天皇は、594年に蘇我馬子の手の者に、首を絞められて暗殺されるという、天皇としては異常な亡くなり方をしました。
赤坂天王山古墳が崇峻天皇の陵であることは、ほぼ一致した見方です。江戸時代までは崇峻天皇陵と見なされていました。現在は宮内庁指定の崇峻天皇陵が2kmほど離れたところにあります。
一辺45m、高さ9mほどの方墳です。横穴石室が開口しています。
天皇の陵で石室内に入れる唯一の古墳になります。奇跡的体験ができる稀有な古墳です。
石棺には盗掘を受けた大きな穴が開いています。
棺の奥側にも小さな穴があけられています。
さらに長持ち型石棺の奥側の突起が破壊されて落ちています。
羨道は8.5mあります。
入口付近から土砂が流入しています。
暗殺という不幸な最期に加え、盗掘の大きな跡を残しています。宮内庁が指定を避けたのは、こうした惨状が知られていることが理由の一つだとも思われます。
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