手白香皇女(継体天皇の皇后)の真の古墳
継体天皇の陵は、宮内庁の指定は間違っていますが、皇后の手白香皇女(たしらかのひめみこ)の陵も、また間違っています。夫婦で死後千数百年災難にあっていると云えます。夫たる天皇が大阪の高槻、皇后は大和に葬られたということは、この王権のあり方の解明への手がかりとなるかもしれません。
奈良県・天理市にある西山塚古墳が手白香皇女の陵というのが通説です。
墳丘には果物が植えられています。墳丘に登ることができます。宮内庁に指定されていたらもちろん立ち入り禁止です。墳頂は雑草が茂るままになっていました。
周濠のが残っていますが周濠の一部に民家があります。
天理市製作による現地案内板です。
「この古墳の南東にある西殿塚古墳が手白香皇女衾田陵に治定されていますが3世紀の築造で、手白香皇女は6世紀頃の人物ですので、こちらが真陵ではないかとする考え方があります」と若干遠慮気味に書かれています。
墳頂からは、宮内庁が指定した手白香皇女の古墳が真近かに見えます。
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