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古代の天皇陵の90%は誤りか不明

そもそも神武とかの天皇の名前は、奈良時代の760年代頃になって初めてつけられました。さらに神武から始まる初期の天皇は実在しなかったといわれています。ですが、そのお墓があります。少なからぬ天皇の陵がねつ造され、他の人の墓を勝手に天皇の墓としたということです。また、反対に本来天皇の墓とすべきが、そうなっていないということがあります。さらに天皇陵の多くは江戸時代に定められました。学術調査などが反映されたなどという時代ではありません。
現在、宮内庁指定の古代の天皇陵の多くが誤りというのはある意味当然と言えます。
今月初めに、大阪の高槻市で継体天皇で誤りの例を見ましたが、今回の大和路の旅でも、そのような様を見定めたいというのが目的の一つでした。

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