島津陣跡 関ケ原合戦史跡3
三成の隣に陣を敷いたのは島津です。島津は合戦では動きませんでした。三成の使者に続いて三成自身が兵を動かすよう陣に来たというのも現地に来て距離感をつかむと「なるほど」と思いますし、三成の焦りと落胆も感じられます。

写真の右から徳川勢が攻めました。
西軍の敗北が決定的になった時、島津勢は後ろへ退くのではなく目の前の敵の中を横断して退却をしました。この行動は今でも高く評価されています。ですが、私は評価しません。むしろ呆れています。島津は重要な位置に陣がありました。三成と確執があったにせよ、動いていたなら、戦況は変っていたかもしれません。小早川の裏切りも無かったかもしれません。裏切りは「形勢を見ていますから、もちろん歴史に「もしも」はありませんが、敵中横断の武勇の前に、我を張った愚かさを私は強く感じます。兵は千とも千五百ともいわれますが、生き残ったのはわずか数十人だったといわれています。

関ケ原の陣跡としては石碑のありようが一番立派です。

明治維新で主導権をとって、ようやく立派な石碑を建てられました。年月を確かめそこないましたが、明治末から大正、昭和の初め頃でしょうか

新しい石碑もあります。
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