勝山本陣跡 関ケ原合戦史跡1
岐阜県大垣市赤坂町に勝山(かちやま)という丘があります。関ケ原合戦の前日徳川家康が西進してきて本陣を置きました。“岡山”という丘でしたが、合戦の勝利に結びついた縁起の良い所ということで、その後“勝山”(かちやま)と名を変えました。
大垣城から西へつながる連絡を遮断する位置にあります。
頂には「関ヶ原合戦岡山本陣址」の石碑
関ケ原方面が望まれます。勿論大垣城も望まれます。
ここで思わぬものに遭遇しました。大谷吉継の陣地で兵を鼓舞していた鐘が、戦利品としてここにある寺に家康から贈られました。
私は家康嫌いの西軍贔屓です。多くの武将が「利」を考え家康についた中で、吉継は、不利と知りつつ石田三成との友情に殉じました。大好きな武将です。敗者の遺品は残らないものですが、敵方の戦利品としてであっても遺品があるとは思いませんでした。本堂には目もくれず、鐘に手をあわせました。できることなら吉継の陣地に戻してあげたい。そんな気持ちになりました。
徳川の本陣跡ということであまり行く気もなかったのですが、どんな場所か確かめておこうと思って行ったのですが、この鐘に出会って、来てよかったと思いました。
時代が下って元禄の忠臣蔵のお話で、赤穂城の明渡しの際に城を受け取った戸田権左衛門の墓がありました。
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