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石田三成 関ケ原合戦史跡2

関ケ原では、東首塚→家康の最終陣跡→資料館から時計の反対回りで訪ねました。開戦の烽火を上げた黒田長政の陣跡・・・・知謀にたけた長政らしく東軍では主戦場のはるか後方です。ここからは石田三成の陣は見えません。その利を生かしたのでしょう。三成の前陣の島左近に脇から攻めかかりました。
最後の決戦となった地を経て笹尾山の三成の陣地址に行きました。麓に陣を敷いた島左近

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馬防柵が合戦を偲ばせます。

笹尾山の頂上には数分で着きます。

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三成の陣跡です。合戦場が見渡せます。絵図があって、スイッチを押すと音声で説明してくれます。

最後の決戦地が眼下に見えます。二、三百メートルの距離です。攻め込まれて最後が迫っていることが実感させられます。

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想像していたよりぐっと近くて、鉄砲を撃った後は白兵戦であったことが容易に想像されます。新幹線では関ケ原をよく通過していました。その時は広いと思っていましたが、合戦の行われた所は思っていた広さの半分もありませんでした。それだけ激しかったと想像されます。

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この写真は単なる林の写真ではありません。四百年以前、三成が戦場から離れていったと思われる所です。
一週間後、徳川方の手に落ち、大津城の城門前で縄で縛られさらされます。見に来た裏切り者の小早川秀秋を罵倒します。
その後、堺と京で市中を引き回されます。そして六条河原の刑場に向かう途中「のどが渇いたので湯が欲しい」といったところ警備の者が「湯は無い。干し柿を食うが良い」と答えたところ、三成は「それは痰の毒なのでいらない」と答えたところ、「首をはねられる人間が毒断ちするとはおかしなことだ」と笑ったのに対して「自分の意志を遂げようとする者は死の瞬間まで命を大切にするものだ」と答えました。三成の人物の大きさがわかります。
ここが三成が去って行った所だと思うと離れがたい気持ちになりました。

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