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2013年8月

ラグビー(’13-14)第1節 サントリーvsNTTコミュ

サントリー 32-6 NTTコミュ

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オープン戦では負け続けていたディフェンディングチャンピオンのサントリーが、どこまで仕上げて来ているか?

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NTTコミュにも大いに勝機があるのでは、と接戦を期待していました。結果はNTTコミュはノートライに抑え込まれました。サントリーの快勝でした。

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ジョージ・スミス選手は本調子には見えませんでしたが、それでも違います。フーリー・ヂュプレア選手と揃うとやはり強いです。

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ニコラスライアン選手が、トップリーグ初の1000得点。
日和佐選手がウィングとして後半20分に入りました。珍しかったので注目して見ていましたが、ウロウロしている感じで見せ場はありませんでした。後半NTTコミュの足が止まりましたが、サントリーも攻めきれていませんでした。

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トップリーグ’13-14開会式

今シーズンから16チームになりました。開会式です。

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今日のメインイベントは、オールブラックスのチケット先行販売だったかも、派手な演出はありませんでした。

今シーズン、天候に恵まれますように!

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明日、ラグビートップリーグ開幕

いよいよ、明日の秩父宮ラグビー場で開幕です。
今季のファンクラブは、東芝、コカコーラ、リコー、キャノンに入っています。何れも継続です。ちょっと整理をと、思わぬでもありませんでしたが、ス-ッと離れる気にもなれず。そのままです。

パスポートは一瞬悩みました。

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今までの特典が無くなったからです。が、秩父宮のバックスタンドに先行入場で入るのに、正面入り口のチームテントに寄る煩わしさがありません。そのことを考えました。
営業施策で始めたのでしょうから特典がどこかの時点でなくなるのは理解できなくもありませんが、釣った魚に餌は要らないみたいな感じです。あんまり変えてほしくはありませんね。

サアーッ、熱い試合をたくさん見させてもらいます。

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プラチナチケット?! オールブラックス戦のチケット

今日、ラグビー協会からダイレクトメールが来ました。11月2日のオールブラックス戦のチケット案内です。
販売第一弾がメンバーズを対象とした30日のトップリーグ開幕戦での先行発売です。

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送られてきたフライヤーの右上に『満員必至』と書いてあります。私もそのように予想しています。ラグビーに興味のない人もオールブラックスの名前は知っています。プラチナチケットになるのでは、と思ってもいます。ですから先行販売が始まるまでは静かにしていて欲しい(笑)と思っているほどです。
単独のダイレクトメールでチケット案内が来るのは異例です。販売に力を入れていることがわかります。協会としてはおこたりなくと云う事なのでしょう。まずは30日の販売状況が今後の売れ行きを占う事となるでしょう。

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ラグビーワールド杯の相手はアメリカ

2015年のラグビーワールドカップの北アメリカの代表はカナダとなりました。カナダに敗れたアメリカはウルグアイとのプレーオフが残っていますが、残りの枠はアメリカでほぼ決まりです。日本もアジア代表にまだなっていません。来年のアジア大会で決まります。ですが、代表となるのは間違いありません。
日本が入るB組は、南アフリカ、スコットランド、サモアまでは決まっていました。そして日本、アメリカが加わる顔ぶれとなることがほぼ決まりです。
今年は名古屋・瑞穂ラグビー場で大雨の中、日本はアメリカに勝ちましたが、ワールドカップでの対戦成績は1敗です。相性は決して良いとは言えません。しかし、これでターゲット決まりました。良い準備ができると思います。

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「くまモン」トミカ

タカラトミーの今年の株主優待のトミカが着きました。

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ゆるキャラの「くまモン」のセットです。小さなフィギィアとトミカです。

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トミカのフロントには「くまモン」があしらってあります。
「くまモン」がどうしてこんなに受けるのか?私にはよくわかりません。
株主優待のトミカ欲しさに株を買ったようなものですが、少子高齢化でおもちゃ業界も厳しい環境とは思うけどそれでももう少し株価をあげてもらいたいものです。

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第13回防災隣組

前回(7月開催)では、パンの缶詰を食べてみました。

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結構いけます。シニアの方はインターネットで購入が苦手という方も少なからずいます。ネット通販での購入価格が店頭より高いとはあまり想像できませんが、防災の日へ向けて、店頭販売の価格と比べてから購入してゆきましょうとなりました。
また、被害想定で「ガスの復旧には60日を要する」との想定は、阪神淡路と東日本の震災における私たちと似た環境の地域を参考にしたことを説明しました。

今日、第13回では、自治会に対して質問をしたその回答が来たので検討しました。
多くの防災会が通り一遍の訓練を年1回してチャンチャン!で終わっています。これではいざという時役に立たない。地域の実情に合った具体的行動がとれるようにしようと隣組の行動を起こしたわけです。
回答は、「お粗末」の一言です。通り一遍のことすらできていないし、それをする意識もない。私は前から感じていましたが、隣組の活動に参加した方は、皆さん気づきました。ある意味ここがスタートだと思います。

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リーチ マイケル キャプテン(東芝ブレーブルーパス)

昨年のファンブックでは、“マイケル・リーチ”と紹介されていましたが、現在の東芝ブレーブルーパスのホームページでは“リーチ マイケル(主将)(新任)”となっています。日本国籍を取得した反映だと思います。昨季は外国人枠の関係でフル出場はできませんでした。
リーチ選手自身は「国籍が日本とかニュージーランドとかこだわらない。」と語っていました。ニュージランド出身で、札幌山の手高校→東海大ですから、日本とニュージーランドが自然と共生していたのでしょうか。そしてただ、フルタイムで試合に出れないのはアスリートとして燃焼しきれないものを残してしまっていたのかもしれません。
ラグビー日本代表は「日本人でなければイヤ」という人は、感情的なものですから「国籍が日本であっても、先祖代々からの日本人でなければ納得しません。」
私は、ラグビー選手の国籍にこだわりません。大切なのは日本を代表してプライドを持って献身的なプレーをすることです。かつてヨーロッパ遠征に「なんのかんの」理由をつけて日本代表を辞退する選手が続出し大敗しました。それ以降、長きにわたってヨーロッパから相手にされない沈滞の時代を迎えました。その時、代表を辞退した選手は「先祖代々からの日本人」です。残念なことでした。
最も大切なことは「日本代表のプライドを持って、献身的なプレーができる選手」であることです。リーチ マイケル選手はその一人だと思っています。
怪我を直して活躍する姿を早く見たいです。

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オールブラックス戦チケット発売概要

日本協会から11月2日のオールブラックス戦のチケットの発売スケジュールが発表になりました。(http://www.rugby-japan.jp/ticket/index.html

気になる価格は、メインスタンド中央のVIP席・前売り3万円、S指定席・前売り6千円など、VIP席はアファターマッチファンクション招待の特典付きです。VIP席の販売枚数は数十席、プレミアム席が数百席程でしょうか?(座席の推測数を変更しました)
若手主体が予想されるとはいえオールブラックス戦で、ピッチに近い秩父宮ですから、ブレディースローカップの時に比べると割安と感じました。
売出日で一番早いのは8月30日のトップリーグ開幕日の会場での販売です。JRFUメンバーズが対象でバックスタンドS指定席限定です。いわばサポーター席と云えます。(当日メンバーズ入会可)
続いてメンバーズ先行発売が9月1日から、さらにピアプレリザーブが9月7日、一般発売が9月14日からとなっています。
秩父宮の収容人員からするとチケット発売枚数2万数千席が目いっぱい。結構早々と完売するのかな!?と、私個人は思っています。


キックオフ時間も発表されました。14時です。試合は少し先ですがチケット発売はもうすぐです。

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東芝vsサントリー ラグビープレシーズンマッチ

東芝 31 - 16 サントリー

いよいよラグビーシーズンの幕開けが近づいてきました。東芝・府中のグラウンドでプレシーズンマッチの東芝vsサントリーが16日に行われました。
試合に先立って、府中市長の挨拶、そしてミス府中による花束贈呈

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恒例です。

前半はサントリーが有利に試合を進め2つのパナルティーゴールで0-6でリードしますが、前半終了間際に東芝が左隅にトライ、難しい角度のコンバージョンも決まって、7-6とリード。後半は東芝がトライを重ね大きくリード。サントリーはノートライか?と思われましたが残り5分で2トライを返しました。ジョージスミスがいないサントリー(もう戻っては来ていました)ですから、31-16の結果は順当です。

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モールを押し込む東芝

レフェリーのスクラムの組み方の声掛けが変わりました。見ていてもスクラムでの反則がわかりずらいです。東芝はルールとのマッチングに苦労していました。

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試合後、和田監督に続いて冨岡コーチ、廣瀬選手がレフェリングについて聞いていました。

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エディー日本代表ヘッドコーチがマイケル・リーチキャプテンに怪我の状況を聞いていました。

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エディーさんにとっては11月のオールブラックス戦に間に合ってくれれば良いのでしょうが、東芝サポーターとしては早く復帰して欲しいと思っています。ですが、リーグ戦が2ステージ制となっていますので、あわててはいません。しっかり治してほしいです。
東芝の今季のプラクティスシャツの色はピンクでした。

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フランスリーグのチームでピンクが主体のジャージのチームがあります。日本もあの色使いのチームが出現するのか?と思っていましたがまず東芝でした。結構しっくりきていました。

心配していた雨の気配は全くありませんでした。それよりビールなどの売店が出ていません。ビールは買わず、おつまみだけ持って行ったので当てが外れてしまいました。この時期、ラグビーにビールは欠かせ無いというのに。

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孫の誕生会

今日は孫の誕生会に呼ばれて行きました。

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きれいなさるすべりの街路樹を通って料理屋さんへ、おいしい料理でした。

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1年前の誕生会ではハイハイしていて、お話することなどまったくありませんでしたが、この1年で大きく成長しました。
「おじいちゃん」「おとうしゃん」と理解してしゃべります。うちの嫁さんにとっては「おばあちゃん」と云う言葉が出てくれないのが残念なようです。
床の間に座ったりするのは好きなようですが、床の間から降りる時は10cmくらいの段差ですが後ろ向きに降ります。2時間部屋の中を歩き回り通しでした。
お祝いは“アンパンマンのおしゃべりことばずかん”です。家に帰ってお披露目です。

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孫はiPadでお気に入りのアプリで既に遊んでいますので、指タッチに慣れています。このおもちゃの太いタッチペンはいささか苦手のようです。といっても初めて触りますので、次に会う時はどのようになっているか楽しみです。
お父さんが「成人まであと18年」とあいさつした時は思わず、ナイススピーチと思いました。お父さんの仕事の都合で誕生日からずれた誕生会になりましたが、この日は終戦記念日です。平和な世の中が18年と云わず、ずーっと続いてもらいたいものです。

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8月の歌舞伎座(木挽町広場)

歌舞伎座の地階の木挽町広場はにぎわっていました。歌舞伎を見れない人も、お土産やグッズを買うなど歌舞伎の雰囲気を味わえます。お土産のスイーツも4月とは商品が変わっていました。「染五郎さん一押し! ここにあるだけです!」と、言われると弱いです。1箱(2個入り)

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お土産に買ってきましたが、「水平を保って運ばないと形が崩れてしまいかねません。」の注意書きが添えられていました。私が買ったものはどうなったか?あげちゃったので確かめていません。
歌舞伎座の中にも、もちろん売店があります。私が絶対に買えないもの

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純金小判図柄は歌舞伎座です。大きい方は140万円します。どんな人が買ってゆくのでしょうか?

2階のロビーには名画が飾ってあります。私の一番大きに入り

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安田靫彦画伯の『神武天皇日向御進発』 当然本物です。
筋書きの表紙絵の原画もあります。

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以前と違って部をまたいで連続して見る場合に、いったん外に出る必要がなくなりました。ゆっくり買い物もできて良いサービスだと思います。

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八月納涼歌舞伎

4月2日の柿葺落初日に行って以来4か月ぶりでした。朝昼夜の3部制は、ゆっくりお芝居を見るというより役者の顔を見に行くような感じで少し落ち着いてからじっくり見に行こうと思っていました。それに、おどろおどろしい出し物はちょっと敬遠していました。ですが、このままでは会員のポイント数が少なくてランクダウンしてしまうのかと思って、半ばポイント獲得が目的で昼、夜の部に行ってきました。

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“納涼”ですので演目は「ぞっとする」お芝居が続きます。「梅雨小袖昔八丈」は以前にも見ています。「色彩間苅豆」は怪談舞踊劇です。「狐狸狐狸ばなし」は喜劇なのですが、喜劇とわかるまでは怪談物というかサスペンスです。
お芝居の最後は「棒しばり」でしめます。狂言から採ったもので、太郎冠者、次郎冠者が主人の留守の間に酒を盗み飲みするもので、これは手放しで明るく楽しいお芝居でした。気持ちよくお客さんに帰ってもらおうということなのでしょう。太郎冠者の勘九郎さんの声がお父さんの声にそっくりになってきたのが印象に残りました。
外国人の観客が多いと感じました。夏休みということもあるのでしょう。時節柄怪談物ですが、典型的な古典のほうがきっと喜ばれるのでしょうね。私は半ばポイント獲得のつもりでしたが、結構楽しめました。夜の部も30分の幕間があってちょっと外へ出ました。

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通りがかった観光バスの客が一斉にシャッターをきっていました。

第2部
梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)
 髪結新三
色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)
 かさね
第3部
狐狸狐狸ばなし(こりこりばなし)
棒しばり

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八王子城址 庭園発掘現地説明会

10日に八王子城・御主殿の庭園遺構の現地発掘説明会に行ってきました。発掘調査が終わると埋め戻されます。
配布資料は2点あり、1点は「発掘された八王子城」です。

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上質紙で70ページほどです。サービスが良いなと思いました。もう1点は今回の発掘の解説です。

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裏面は地図です。

暑い中説明が始まりました。

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池の大きさに比べると主立石の大きさがわかります。説明員が立っているところは池の中です。
発掘前にこの石を見ていますがこんなに大きな石とは思いませんでした。発掘の結果、枯山水と思われた庭が池を伴った庭であることがわかりました。
説明の後、質問してわかったことは、建物(会所)に近い区域の庭はすでに発掘され埋め戻され復元されています。

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手前が埋め戻された庭です。
ここは、当時のグランドレベルまで発掘しました。池は当時のグラウンドから掘り下げられているのですが、どうやらそこまでは調査をしていないようで、それで池のない枯山水と推測したようです。(奥のオレンジ色のネットの向こうが今回の発掘場所)
つまり手前まで池が広がっていた可能性も否定しきれないのですが、手を付けることはできません。池を発見したニュースは、以前の発掘調査の不備も浮き上がらせました。

また御主殿の建物の礎石も発掘されました。

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火災で焼けた柱の跡がくっきり礎石についていました。四角い柱(写真)や、丸い柱跡がよくわかります。付近は焼けた土も出ています。

遺物も一部公開されていました。注目は鉄砲の弾です。

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左側が鉄製で、右側の弾は緑青がふいています。銅製です。銅の弾丸があったことを初めて知りました。
大変興味深い見学会でした。埋め戻しは今月末になるらしいのでまだ見学は可能かもしれません。

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家康最後陣跡 関ケ原合戦史跡7

関ヶ原古戦場で桃配山から前線近くに陣を進めました。

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その跡は整備されて土塁をめぐらして中央に土壇があります。土壇には、天保12年(1841)に修復したと記された碑が埋め込まれています。ほぼ現在見る形になったのはこの年です。

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天保12年は外国船が日本近辺に姿を現すようになったころで、明治維新の27年前です。
ここで、西軍の首実検が行われ、その後2か所に埋められました。

東首塚

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文化14年(1817)の碑が大ケヤキの横に立っています。
朱色の神社の門が移築されていますが昭和になってからです。

西首塚

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こちらも大ケヤキがあり、土が盛られ五輪塔があります。東首塚に比べると以前はこうなのかなといった感じです。(了)

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裏切の小早川らの陣 関ケ原合戦史跡6

小早川の陣の前に脇坂の陣によりました。

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小早川に呼応するかのように裏切ったのは脇坂、朽木、小川、赤座の4隊でした。
そして小早川の陣がある松尾山の麓に着いたのが3時過ぎでした。案内板では片道40分かかると書いてあります。レンタサイクルの返却時間を考えるとちょっと無理かな?と思ったのですが、「ここまで来て松尾山を見ないわけにはいかない」と早駆けで20分で登りました。途中きつくて「小早川、お前が裏切るからこちらもきつい目にあっているんだぞ」と恨みたくなりました。
頂上には土塁がありました。

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おそらく合戦の時に築いたのではなく、それ以前の松尾山城の遺構なのでしょう。

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陣からは両軍の戦闘地が真正面です。さらにその先に三成の笹尾山も見えます。どうして小早川に松尾山に陣をひかせたのでしょう。溜息しか出ませんでした。

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大谷刑部吉継 関ケ原合戦史跡5

大谷吉継の墓 

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どなたなのでしょうかお花が手向けられていました。地元でも一番の人気の武将だそうです。
墓は合戦後、敵方の藤堂家によって建てられました。これには理由があります。
大谷吉継は、奮戦の後、「首を敵に渡してはならない。」と命じて自刃しました。側近の湯浅五助は、東軍の藤堂仁右衛門と槍を合せましたが仁右衛門によって手傷を受けます。これまでと悟った五助は吉継の供養を頼み、ただ首のある場所は秘密にして欲しいと頼んで討たれました。戦後、家康は仁右衛門に吉継の首の所在を尋ねましたが仁右衛門は「武士の道を外れることはできない、首の所在は言えません。刑罰を仰せつけください。」と答えました。仁右衛門は約束を守って墓を建てたのでしょう。
吉継の墓の左隣には大正になって湯浅五助の墓が子孫によって建てられました。
大きな顕彰碑もあります。

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陣跡の碑は、数十メートル離れたところにあります。

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合戦が終わった当日、家康はここで宿をとりました。ここに宿をとった理由は私にはわかりません。が、碑には「宮下」と場所を入れてあります。宮は若宮八幡社で、壬申の乱で敗れた大友皇子を祀ってあります。その丘の上に陣を敷いたのです。家康の最初の陣はやはり壬申の乱で勝者となった大海人皇子の故地でした。天下をとる先例にならったのでしょうか。
大垣市の勝山にある大谷吉継の陣の鐘もこの時に手に入れたのでしょう。

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西軍諸将 関ケ原合戦史跡4

関ケ原の資料館でもらったガイドマップです。

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左端中央が家康の陣です。ほとんどの武将のスタンプがありますが押したのは西軍のみです。

小西行長陣跡 兵六千

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小西行長はキリシタン大名ですので自害はしませんでした。関ケ原の山中で地元の人に「私を徳川に渡して褒美をとれ」といって名乗り出て身を預けました。のち、三成らとともに六条河原で斬首されました。

宇喜多秀家陣跡 兵一万七千 

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西軍の主力です。合戦後逃げ延び、鹿児島の薩摩に匿われますが、のち八丈島に流されて83歳まで生きます。関ヶ原の武将で一番最後まで生き残りました。

平塚為広 兵四百

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小部隊ながら大谷吉継の陣に加わり、脇坂らの裏切りによく耐えていましたが討ち死にしました。“義”と“勇”を兼ね備えた武将でした。碑は昭和になって子孫によって建てられました。平塚らいてうさんの父です。

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島津陣跡 関ケ原合戦史跡3

三成の隣に陣を敷いたのは島津です。島津は合戦では動きませんでした。三成の使者に続いて三成自身が兵を動かすよう陣に来たというのも現地に来て距離感をつかむと「なるほど」と思いますし、三成の焦りと落胆も感じられます。

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写真の右から徳川勢が攻めました。

西軍の敗北が決定的になった時、島津勢は後ろへ退くのではなく目の前の敵の中を横断して退却をしました。この行動は今でも高く評価されています。ですが、私は評価しません。むしろ呆れています。島津は重要な位置に陣がありました。三成と確執があったにせよ、動いていたなら、戦況は変っていたかもしれません。小早川の裏切りも無かったかもしれません。裏切りは「形勢を見ていますから、もちろん歴史に「もしも」はありませんが、敵中横断の武勇の前に、我を張った愚かさを私は強く感じます。兵は千とも千五百ともいわれますが、生き残ったのはわずか数十人だったといわれています。

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関ケ原の陣跡としては石碑のありようが一番立派です。

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明治維新で主導権をとって、ようやく立派な石碑を建てられました。年月を確かめそこないましたが、明治末から大正、昭和の初め頃でしょうか

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新しい石碑もあります。

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石田三成 関ケ原合戦史跡2

関ケ原では、東首塚→家康の最終陣跡→資料館から時計の反対回りで訪ねました。開戦の烽火を上げた黒田長政の陣跡・・・・知謀にたけた長政らしく東軍では主戦場のはるか後方です。ここからは石田三成の陣は見えません。その利を生かしたのでしょう。三成の前陣の島左近に脇から攻めかかりました。
最後の決戦となった地を経て笹尾山の三成の陣地址に行きました。麓に陣を敷いた島左近

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馬防柵が合戦を偲ばせます。

笹尾山の頂上には数分で着きます。

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三成の陣跡です。合戦場が見渡せます。絵図があって、スイッチを押すと音声で説明してくれます。

最後の決戦地が眼下に見えます。二、三百メートルの距離です。攻め込まれて最後が迫っていることが実感させられます。

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想像していたよりぐっと近くて、鉄砲を撃った後は白兵戦であったことが容易に想像されます。新幹線では関ケ原をよく通過していました。その時は広いと思っていましたが、合戦の行われた所は思っていた広さの半分もありませんでした。それだけ激しかったと想像されます。

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この写真は単なる林の写真ではありません。四百年以前、三成が戦場から離れていったと思われる所です。
一週間後、徳川方の手に落ち、大津城の城門前で縄で縛られさらされます。見に来た裏切り者の小早川秀秋を罵倒します。
その後、堺と京で市中を引き回されます。そして六条河原の刑場に向かう途中「のどが渇いたので湯が欲しい」といったところ警備の者が「湯は無い。干し柿を食うが良い」と答えたところ、三成は「それは痰の毒なのでいらない」と答えたところ、「首をはねられる人間が毒断ちするとはおかしなことだ」と笑ったのに対して「自分の意志を遂げようとする者は死の瞬間まで命を大切にするものだ」と答えました。三成の人物の大きさがわかります。
ここが三成が去って行った所だと思うと離れがたい気持ちになりました。

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勝山本陣跡 関ケ原合戦史跡1

岐阜県大垣市赤坂町に勝山(かちやま)という丘があります。関ケ原合戦の前日徳川家康が西進してきて本陣を置きました。“岡山”という丘でしたが、合戦の勝利に結びついた縁起の良い所ということで、その後“勝山”(かちやま)と名を変えました。

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大垣城から西へつながる連絡を遮断する位置にあります。

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頂には「関ヶ原合戦岡山本陣址」の石碑

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関ケ原方面が望まれます。勿論大垣城も望まれます。

ここで思わぬものに遭遇しました。大谷吉継の陣地で兵を鼓舞していた鐘が、戦利品としてここにある寺に家康から贈られました。

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私は家康嫌いの西軍贔屓です。多くの武将が「利」を考え家康についた中で、吉継は、不利と知りつつ石田三成との友情に殉じました。大好きな武将です。敗者の遺品は残らないものですが、敵方の戦利品としてであっても遺品があるとは思いませんでした。本堂には目もくれず、鐘に手をあわせました。できることなら吉継の陣地に戻してあげたい。そんな気持ちになりました。
徳川の本陣跡ということであまり行く気もなかったのですが、どんな場所か確かめておこうと思って行ったのですが、この鐘に出会って、来てよかったと思いました。

時代が下って元禄の忠臣蔵のお話で、赤穂城の明渡しの際に城を受け取った戸田権左衛門の墓がありました。

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壬申の乱と不破の関 

岐阜県関ケ原町は関ヶ原の戦いで有名ですが,今から1350年ほど前・西暦672年に起こった古代最大の騒乱=壬申の乱の戦いの舞台ともなりました。こちらも天下分け目の戦いでした。
この戦いの中心地の一つとなったのが不破の関付近です。「関」と云っても一辺が430mもある広大な役所といった方がイメージしやすいです。周囲をめぐらしていた土塁の後も残っています。
大海人皇子が兜をかけたという石

 

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5メートルほどの所にやはり大海人皇子が沓(くつ)を脱いだ石というのもあります。
ここは壬申の乱の翌年に作られた不破の関の中心で庁舎などがあったところです。「兜をかけた」「靴を脱いだ」は勿論伝説で、不破の関の庁舎の礎石かなんかかなと思ったのですが、不破関資料館でその点を聞いたら、『遺構は地下3メートル程の所ですから、その可能性はありません。』とのこと。

自害峰の3本杉 壬申の乱に敗れた大友皇子の首が埋まられた伝承地 見つけるのに一苦労しました。

 

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天智天皇の子=弘文天皇(大友皇子)は壬申の乱で敗れ(京都の)山崎で自害し、首は不破に送られて来ました。どうやら事実はここまでです。ここがその首を埋めたというのは後世の創作でしょう。因みに大友皇子が天皇として認められたのは死後千数百年の明治になってからで、弘文天皇御陵候補地になっています。
3本杉の裏に塚もあります。

 

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柵で囲われ入れません。何しろ御陵候補地ですから、したがって文字は読み取れません。

 

黒血川

 

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壬申の乱で両軍兵士の流血で川が黒く染まったという伝承です。赤く染まったよりなにやら説得力があります。

 

若宮八幡社

 

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敗れた大友皇子が祭神です。関ヶ原の合戦では大谷吉継の陣地となりました。
近辺には兵士が矢じりで掘った井戸などの伝承もありますが、この時代の確かなものは地下3メートル程の所に皆埋まっているのでしょう。
(現地に行ったのは6月中旬です)

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