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聖徳太子廟

聖徳太子の名前が初めて表れるのは、死後100年後くらいですから本来「厩戸皇子」の廟と呼ぶべきかもしれません。

 

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(よく見ると屋根が一直線になってはいません)

 

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行ってみて、最初の感想は「驚いた!」です。ちょっと考えれば不思議でもなんでもないのですが、実際に目にして初めて感じるものがあります。
宮内庁が管理している陵墓というのは,石の柵と鳥居です。太子廟は叡福寺の中にありますので、雰囲気が違います。鳥居がないのは気にしませんが、太子の古墳の背後には古墳を見下ろす位置に歴代住職の墓が列をなして並んであります。他に多くの墓が周囲にあります。変な言い方ですがお墓で賑やかになっている中にあります。太子のそばに墓を建てたいという希望に沿ったのでしょう。太子信仰の色濃い影響の中にあります。見れば納得ですが、行く前には想像していませんでした。太子の古墳は結果石が二重に囲んでいます。

 

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古墳はぐるっと回れます。

 

周囲の図です。

 

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宮内庁の好きな言葉「静謐」とは違う雰囲気です。

 

近つ飛鳥博物館にこの古墳の内部の実寸大の復元展示があります。

 

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棺が三つあります。右側奥の麻を漆で塗り固められた黒い棺が太子の棺です。展示説明にはありませんが太子の遺骸はネズミに食われてほとんど残っていなかったとどこかの本で読んだことがあります。太子の言葉通り「世間虚仮」です。(12月14日訪問)

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