王陵の谷(大阪府太子町)
大阪府太子町には、敏達天皇陵、推古天皇陵、孝徳天皇陵、用明天皇陵、聖徳太子廟があり王陵の谷と呼ばれています。伝小野妹子の墓もあり廻りました。宮内庁の管理事務所があるのは用明天皇陵のみです。
いつから王陵の谷と呼ばれたのでしょうか?エジプトの王家の谷に倣ってつけられたのでしょうか?王家の谷は本当に谷にありますが、ここは谷とは言えません。
天皇陵のほとんどは盗掘にあっています。江戸時代には石室が露出していた(天皇陵)古墳がほとんどです。今では鳥居が建てられ中に入ることはできません。どの天皇陵も似たり寄ったりです。
推古天皇陵は全体が見渡せます。
200メートルぐらい離れた二子塚古墳から撮りました。
こちらは二子塚古墳です。推古天皇陵から撮りました。
地元ではこの二子塚古墳が推古天皇陵であるとの言い伝えがあるそうです。
双方墳という特異な形です。ちょっとやそっとの人物の墓ではないことの証かとは思いますが、今となっては謎としか言いようがありません。何カ所かぼこぼこ掘られていて双方墳という墳形を容易には想像できません。石室は露出しています。
手前の三角形した石は石棺が埋もれて蓋の部分のみが見えています。
「おおっ!」と近づいた瞬間、手前の硬い枝(写真には写っていません)に思いっきりおでこをぶつけました。ひっくり返るは、メガネは飛ぶは、うっすらと血が滲みました。
痛い思いをした記念の写真です。痛い思いはしましたが元気に自転車で走り回りました。(12月14日)
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