(河内)源氏の丘(源氏3代の墓)
大阪府太子町の天皇陵古墳が集まる王陵の谷と呼ばれる地域の聖徳太子御廟や用明天皇陵から直線で1kmほど、自転車で5分ぐらいの大阪府羽曳野市に河内源氏発祥の地があります。このように呼ぶのかは知りませんが、雰囲気的には“源氏の丘”です。
王陵の谷は5世紀、源氏の丘は9世紀です。この自転車での5分は、歴史の時間では400年間に相当します。400年を5分で駆け抜ける。この爽快感が好きです。
河内源氏ですが、頼朝、義経、実朝、木曽義仲、足利氏、新田氏の祖先ですから、単に“源氏”と言っても良いのでしょう。
壺井八幡
2代頼義が勧請しました。源氏の総氏神という神社(であった)社殿は徳川綱吉の時代に再建され平成になって復元修理されました。
頼朝が建てた鎌倉の鶴岡八幡宮は、この頼義が鎌倉に勧請した八幡宮(鶴岡八幡宮の南1kmほどに元八幡宮として今もあります)を勧請したものです。
源氏館跡(碑)
壺井八幡を含め、付近一帯が館の跡と言うことだと思います。
通法寺跡
源氏の菩提寺で礎石などがあります。源氏3代のお墓があります。
頼義の墓
2代頼義の墓は境内にあります。
祖・頼信と3代義家の墓は丘の上にあります。以前はかなり広い寺域であったことが偲ばれます。
頼信の墓
義家の墓
鎌倉幕府を開いた頼朝はひ孫になります
大僧正・隆光の墓
犬公方・徳川綱吉の「生類憐みの令」の当事者・時の大僧正・隆光の墓が、祖・頼信の墓の傍らにあります。
綱吉死後、通法寺の住職に左遷されてきました。お墓は生誕地の奈良にありますが分骨されてここにも墓が建てられました。
将軍の権威のもと、絶大な権勢を誇った隆光もビニールハウスの前に忘れ去られたようにそのお墓は立っていました。
当時の犬小屋は、現在の東京都のJR中央線中野駅、中野区役所を中心とした地域に建てられました。
中野区役所に碑が建てられています。
30万坪もあったそうですから広大でした。最盛期10万匹近くの犬がいたそうです。今は10万人ぐらいは住んでいるのではないでしょうか。天下の浪費、悪法でした。
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