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【国宝】妻沼聖天山(メヌマショウテンザン)埼玉県熊谷市

群馬県太田市と埼玉県熊谷市は県は違いますが川をはさんで隣町です。
聖天山が保存修理が完成したことは、テレビのニュースで知っていました。が、「日光の弟分のゴタゴタした建築」ぐらいの印象しか残っていませんでした。ついで!に見ておこう。ぐらいの気持ちでした。
しかし、この神社(らしくはないのですが)権力者と結びついた建物ではないことに感心したのと、なんと斉藤別当実盛が聖天をお祀りした事に始まったことに一気に好感を持ちました。実盛の話は平家物語の中でも一番好きな話です。(実盛の話は文末に書きました)

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修理が成って間もないのできれいです。

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縁の下も念のいった造りです。

彩色もかなり落ちていて復元も大変だったと思います。この囲碁の場面の彫刻では盤面は消えていたまったく判読出来なかったそうです。

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復元では元禄10年6月28日の対局を棋譜から再現しました。

研修で、文化財の係りの方が解説を聞きながら周っていました。

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私はボランティアの方の説明で周った後、このグループについて回りました。

この板絵は復元ではなく、新たに作ったものをオリジナルの上に設けたものだそうです。

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こうした説明はボランティアの説明ではありません。説明の主眼が違います。

※実盛の物語
木曽義仲は幼少の頃、(今の埼玉県で)父が殺され、その際、実盛によって命を救われ、木曽に逃れました。実盛は、木曽義仲の命の恩人です。
時が経て、源平の戦いの中で、木曽義仲が北陸路を攻めのぼった時、迎え撃ったのが平家の武将だった実盛です。
水鳥に驚いて戦わずして負けた富士川の戦いで平家の将として責任を感じていました。実盛は「老将として敵が手加減するのを好まず」白髪を黒髪に染めて戦いにのぞみました。そして討取られました。首実検の時、「実盛のようだが、おかしい。」といって首を洗ったら、染め物が落ちて白髪になり、やはり実盛であった。と分かり、木曽方も涙を流しました。

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