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忍城水攻めの石田堤 

1590年、豊臣秀吉の北条・小田原城攻めの一環として石田三成を総大将として忍城を水攻めにしました。今はさきたま古墳公園として整備されている丸墓山古墳に本陣を置きました。

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家康嫌いの三成好きの私としては、ここに三成がいたと思うと嬉しく思いました。古墳の上からは忍城が良く見えます。

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この櫓は作りものですが忍城の位置に間違いはありません。

三成が水攻めした時に築いた堤防が丸墓山古墳に至る通路として使われています。

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“三成の堤”を示す石碑が立っています。

丸墓山古墳の他にも石田堤が残っています。同じ行田市のその地名も“堤根”駐車場の目の前・道路際に石田堤が続いています。

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建物も何もない地味な史跡ですが、駐車場に3,4台車が止まっていました。映画「のぼうの城」効果でしょうか。古い石碑がありますが年代はわかりませんでした。

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こちらの方へ来る人は、ほとんどいません。

川を挟んで写真右側が行田市、左側が鴻巣市で“石田堤史跡公園”は鴻巣市袋という住所になります。

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この川は“元荒川” 流れを止められた川のひとつです。

史跡公園の傍らを新幹線の高架が通っています。

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私は“土地に刻まれた歴史”という言葉が好きです。人が生きた証が大地に痕跡となって残っています。新幹線が通る時代まで残るものを大地に刻み込んだ三成はやはりなかなかの人間です。

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