勝長寿院跡(鎌倉の史跡)
平清盛が没して4年後、1185年に源頼朝が新たに開いた源氏の菩提寺ともいうべき勝長寿院の落慶供養中に「平氏が壇ノ浦で滅亡した」知らせが届きました。大河ドラマ「平清盛」では、古記録を全く無視して「清盛こそ武士の世を開いた恩人」と、頼朝に感謝を述べさせています。が、頼朝は「感極まって言葉にならなかった。」と記録は伝えています。その年、頼朝の父、義朝の首が探し出されてこの勝長寿院に葬られました。

交差点名が「大御堂橋」という古地名にちなむ名となっていますが、経路の案内板もなく、今は住宅となっています。観光客が来ることは、ほとんどありません。

旧地の一角に石碑が立っています。この中に頼朝の父、義朝の墓があります。

近辺に残っていた堂宇の礎石などが集められています。
実朝がここで詠んだ歌の一首
「なかめやる軒のしのふのつゆの間にいたくな更けそ秋の夜(よ)の月」
実朝自身、後に暗殺されてこの寺に胴体が葬られました。暗殺直後、首はそのまま持って逃げられて、後に発見され神奈川県秦野市に首塚があります。
(現所在地 鎌倉市雪ノ下4丁目)
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