源頼朝の墓(鎌倉の史跡)
頼朝の墓で、若い女性二人連れのうち、一人がガイドブックを読んで「このお墓江戸時代に建てられたんだって!」と云ったら、もう一方が「勉強熱心~」と云ってました。私はこの勉強熱心?の方に、心の中で「ナイス!」と拍手を送っていました。何十年もここに寄らなかった理由も「江戸時代に建てられたまがい物を見ても仕方ない。」だったからです。国の指定史跡といってもこんなことは珍しくありません。
でも、よくよく考えてみれば、お墓は江戸時代でも、頼朝が葬られた法華堂の跡ですから、その歴史的価値は揺るぎありません。法華堂そのものはなくなりましたが、頼朝の死後も尊崇を集めた故地でした。
第2代執権北条義時が頼朝の法華堂の近くに自らの法華堂(地図の〇)を立てたのも肯けます。
義時の法華堂跡の後ろに伝大江広元と島津忠久のお墓があります。(右側が伝大江広元の墓、島津はこの左にあります)
場所からしてありえないことで、後世に勝手に作ったお墓です。大江広元は毛利氏の祖先ですから、薩長が揃っていることになります。
写真右の石碑は「島津のお墓へ行く道が右にあります。」となっています。頼朝の墓と大きさがさして違いません。まるで頼朝の墓で引きつけておいて島津へ誘導しているかのようです。
法華堂跡は後に山裾の現白幡神社の位置に移ったようです。
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