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2012年11月

鶴岡八幡宮の大銀杏の今 (2012年11月)

2010年3月に鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れました。源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝承を持つ銀杏がその後どうなっているか?寄ってみました。
石段の左に幹が「がんばれ大イチョウ」の看板とともに・・・・、書き込みもあります。 

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もとの銀杏は注連縄で囲まれていました。

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そして1本の枝が・・・・・ほかにも出ていたと思われる枝は剪定され、この枝が幹として育ってゆくことになるようです。今はまだ60,70センチぐらいです。

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11月28日の歴史秘話ヒストリアの“頼朝”

今日のNHKテレビ番組“歴史秘話ヒストリア”は「鎌倉の秘密」として大仏の話などを取り上げていました。「秘密」というなら、『世が乱れてきた時、大仏の中で博打が行われていた。』ぐらいの話を紹介しても良かったのでは?と思いながら見ていました。
また、頼朝の娘・大姫の話の中で“源義高の父”の言葉が何回も出てきましたが、なぜ木曽義仲ときちっと名前をあげなかったのでしょうか?まさか秘密にしたかった訳ではないでしょう。
そして最も気になったのが“頼朝”像です。神護寺の伝頼朝像が使われていました。今では教科書から消えてしまった肖像画を何回も画面に出していました。神護寺の肖像画については、頼朝像とする説は今では、否定的になって来ています。
現在開かれている“武家の古都・鎌倉”展の鎌倉国宝館会場でも、甲府の善光寺所蔵の頼朝像を展示していて「現在制作が中世に遡り、頼朝像との確証がある肖像は本像が唯一で、頼朝の容貌を具体的に想像できる極めて貴重な作例」としています。こちらの像を使った方が良かったのではと思います。
神護寺の肖像画が国宝で、善光寺の坐像が山梨県指定文化財であることが、学説の動向とはかかわりなく選ばれた判断基準のような気がしますし、甲斐善光寺の像は、私も初めて見た時に感じたのですが、いささか威厳に欠けます。年相応で見栄えが良くないのが敬遠されたような気もします。

甲斐善光寺の頼朝坐像です。

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同寺の宝物館には実朝の坐像もあります。親子で似ている感じがしました。

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東勝寺跡、高時腹切りやぐら(鎌倉の史跡)

1333年の鎌倉幕府滅亡の最後の舞台となった東勝寺の跡です。北条高時以下北条一族、家臣が自害しここに鎌倉幕府は幕を閉じました。121124e1
寺院跡として、法華堂跡、永福寺跡と並んで世界遺産の“重要な要素”に指定されています。発掘調査は済んでいます。今後この地はこのままなのでしょうか。

東側の谷奥の山肌に穴をあけ、埋葬施設とする鎌倉独自の“やぐら”と呼ばれるお墓があります。

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高時腹切りやぐらと呼ばれています。当たり前ですが、高時は寺院の中で自刃していますので、ここで高時が自刃している訳ではなく、知らない人が聞いたら誤解してしまいます。以前は地名を取って“葛西がケ谷やぐら”と呼ばれることの方が多かったような気がします。そのほうが好いのではないでしょうか。ちなみに“谷”は“ヤツ”と呼びならわします。

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源頼朝の墓(鎌倉の史跡)

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頼朝の墓で、若い女性二人連れのうち、一人がガイドブックを読んで「このお墓江戸時代に建てられたんだって!」と云ったら、もう一方が「勉強熱心~」と云ってました。私はこの勉強熱心?の方に、心の中で「ナイス!」と拍手を送っていました。何十年もここに寄らなかった理由も「江戸時代に建てられたまがい物を見ても仕方ない。」だったからです。国の指定史跡といってもこんなことは珍しくありません。
でも、よくよく考えてみれば、お墓は江戸時代でも、頼朝が葬られた法華堂の跡ですから、その歴史的価値は揺るぎありません。法華堂そのものはなくなりましたが、頼朝の死後も尊崇を集めた故地でした。

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第2代執権北条義時が頼朝の法華堂の近くに自らの法華堂(地図の〇)を立てたのも肯けます。

義時の法華堂跡の後ろに伝大江広元と島津忠久のお墓があります。(右側が伝大江広元の墓、島津はこの左にあります)

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場所からしてありえないことで、後世に勝手に作ったお墓です。大江広元は毛利氏の祖先ですから、薩長が揃っていることになります。

写真右の石碑は「島津のお墓へ行く道が右にあります。」となっています。頼朝の墓と大きさがさして違いません。まるで頼朝の墓で引きつけておいて島津へ誘導しているかのようです。

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法華堂跡は後に山裾の現白幡神社の位置に移ったようです。

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源義朝の墓(鎌倉の史跡)

勝長寿院の碑(鎌倉市雪ノ下4丁目)の所に源頼朝の父義朝と忠臣鎌田政清の墓があります。(写真左が義朝の墓)

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高さ70~80センチ程です。
源頼朝の父、義朝は平治の乱で敗れ、愛知県まで逃れたところで、在地の者に裏切られて殺されます。その地にも墓(供養塔でしょう)があります。義朝の首は、京に送られ晒されます。
それから25年後、義朝の首を探し出して勝長寿院に送られてきて葬られました。晒された首が25年後見つかるということをにわかに信じるということも無理があると思います。頼朝の意識とは別の事ではありますが、新しい権力者に取り入ろうとする人間が現れるのは世の習いです。
義朝の墓が70~80センチほどの石塔であるとは思えません。勝長寿院は15世紀ごろには荒廃し、大御堂の地名のみを残して田畑になっていましたので、いつの日か義朝を供養するために立てられた供養塔と思われます。その供養塔の古写真があります。

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現在ある地(下図の1の地点)より谷の奥(下図の2の地点)にありました。(写真の番号は地図の所在地の番号と同じです。右上の□マークは大御堂橋の交差点です)

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私はてっきり、この供養塔2が移設されたのかと思っていたのですが、四十数年前に土地の所有者が代って、元々の供養塔がなくなってしまったそうで、現在の供養塔は新しく作られたということになります。無常としか言いようがありません。この地は住宅が建て並んでいますので義朝の廟堂の痕跡はこの地の下に眠っているのでしょう。

およそ150年後鎌倉幕府は滅びますが、その最後の拠点で滅亡の地となった東勝寺(3)が小山を挟んで数十メートルしか離れていません。鎌倉の街作りの最初の寺院となった勝長寿院と隣り合わせというものに、歴史のいたずらを感じます。

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勝長寿院跡(鎌倉の史跡)

平清盛が没して4年後、1185年に源頼朝が新たに開いた源氏の菩提寺ともいうべき勝長寿院の落慶供養中に「平氏が壇ノ浦で滅亡した」知らせが届きました。大河ドラマ「平清盛」では、古記録を全く無視して「清盛こそ武士の世を開いた恩人」と、頼朝に感謝を述べさせています。が、頼朝は「感極まって言葉にならなかった。」と記録は伝えています。その年、頼朝の父、義朝の首が探し出されてこの勝長寿院に葬られました。

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交差点名が「大御堂橋」という古地名にちなむ名となっていますが、経路の案内板もなく、今は住宅となっています。観光客が来ることは、ほとんどありません。

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旧地の一角に石碑が立っています。この中に頼朝の父、義朝の墓があります。

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近辺に残っていた堂宇の礎石などが集められています。

実朝がここで詠んだ歌の一首
 「なかめやる軒のしのふのつゆの間にいたくな更けそ秋の夜(よ)の月」
実朝自身、後に暗殺されてこの寺に胴体が葬られました。暗殺直後、首はそのまま持って逃げられて、後に発見され神奈川県秦野市に首塚があります。

(現所在地 鎌倉市雪ノ下4丁目)

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永福寺<ようふくじ> 跡(鎌倉の史跡)

鎌倉と云えば、頼朝、頼家、実朝の源氏3代が思い浮かびますが、残念ながらこの時代の遺跡はとても少ないのです。その数少ない遺跡の一つが“永福寺跡”です。史跡公園になる計画は何十年も前からありました。期待もしていました。そして今回久しぶりに訪れて驚いてしまいました。堂塔跡に基壇を作る工事中でした。そのことは予期していたことでしたが、なんと庭池の半分ほどが復元ではなく平らに整地されベンチまでしつらえられていました。工事中ですので、中に入ることはできませんでしたが、復元というのは破壊なのだと見せつけられた感じです。

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5年前の写真です。

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池の汀の石が残っていました。畠山重忠が据えた中島の岩もありました。実朝がここで詠んだ歌です。
  「春待ちて霞の袖にかさねよと霜の衣をおきてこそゆけ」
せめてこの歌の雰囲気を残して欲しかった。

永福寺跡に関しては、CGも使った次のサイトの解説がわかりやすいです。http://www.shonan-it.org/yofuku-ji/index.html

世界遺産登録へ向けて追い込みに入っているようですが、複雑な気持ちです。

(現所在地 鎌倉市二階堂字三堂 平泉・中尊寺の二階大堂にならって永福寺が建立されたことが地名として残っています。)

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”武家の古都・鎌倉”展と大仏デザイン五百円硬貨

世界遺産登録推進の一環として神奈川の博物館で連携特別展が開かれています。
神奈川県立歴史博物館“再発見!鎌倉の中世”
鎌倉国宝館“古都鎌倉と武家文化”
金沢文庫“鎌倉隆盛”

金沢文庫へは地理的な事と、興味の関係で行きませんでした。

県立博物館では、青磁や瓦などの展示が目を引きました。特に永福寺や勝長寿院など廃寺となった寺院からの出土品は、気持ちが入って見ました。また、くらしの小物としてサイコロ、それも偶数しか目がない、いかさま用のサイコロなどもあり充実した展示でした。

国宝館では、、甲府の善光寺からの頼朝坐像が展示されています。頼朝坐像としては唯一信頼性の高いものですが、私は甲府で一度見ています。その時は神護寺の頼朝像のイメージが私の頭の中で強く、「さえない坐像」の印象でしたが、神護寺の頼朝像はほぼ否定されるようになった今日、私の見方も変わりました。時代の流れを自ら感じざるを得ませんでした。

国宝館では、連携特別展のポスター大小2種類が無料で配られていました。ポスターの左上は、廃寺となった永福寺の瓦の拓本です。北条氏の家紋・三鱗がついていますので、創建当初の瓦ではありません。

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また、大仏をデザインした五百円硬貨を歴史博物館で交換していました。世界遺産の登録とは関係ないのでしょうが、グッドタイミングでした。

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鎌倉へ行ってきました

今日は、横浜(は歴史博物館のみ)から鎌倉を巡ってきました。
鎌倉はめちゃめちゃ混んでいました。

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鎌倉駅から鶴岡八幡宮へ向かう小町通りは人人人、すぐに段葛へまわりました。

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八幡宮の拝殿では結婚式、七五三の方もいました。世界遺産登録に向け鎌倉の変貌を強く感じました。世界遺産登録は良いのか?悪いのか?・・・・・・。
結果的に鎌倉幕府の最初と最後の史跡を巡ったのですが、初めて訪れた所は無く、頼朝の墓は何十年ぶりかでした。頼朝の墓以外は観光客も少なく良かったのですが、北条時政邸跡へは近道しようとして大回り、挙句に数十メートル手前で「立ち入り禁止」

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個人所有地で道路が閉鎖されていました。失敗!
個々の史跡はあらためて書きます。書きたいことがたくさんあります。

(横浜)
神奈川県立歴史博物館(“再発見!鎌倉の中世”展)→
(鎌倉)
国宝館(“古都鎌倉の武家文化”展)→
頼朝の墓→
伝大江広元の墓→
永福寺跡→
(源義朝の墓があった)勝長寿院跡→
宝戒寺→
(鎌倉幕府滅亡の最後の舞台となった)東勝寺跡→腹切りやぐら

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今日の実践女子大英会話教室“紅葉”

“紅葉の見所はどこ?”の話題がありました。Bidya先生のアメリカでは、紅葉を愛でたりする美意識はなく、「紅葉に対してsentimentalになるのは日本独自の文化です。」ということだそうです。
“紅葉”は英語では単純に“red leaves”なのですが、実は困ってしまいました。私は、「7世紀の万葉集では圧倒的に“黄葉=こうよう”が多く使われ、10世紀の古今集から“紅葉=こうよう”が圧倒的に多く使われるようになり現在に至っている。」と説明したのですが、黄でもなく紅でもなく、yellow leaves、red leavesを包括する単語はなんだろう?カエデ=Mapleといったら植物の種類になり、カエデ以外にも紅(黄)葉する植物はたくさんあるので・・・・・枯葉でも落葉でもおかしいし、・・・・・。と悩んでいました。
ところが先生が、introductionで“turning leaves”という言葉を使ってくれましたので、この言葉に飛びついてなんとか説明しました。
当然、7世紀の万葉集と10世紀の古今集以後で違ったのはどうしてですか?との質問がありました。「万葉集は奈良、飛鳥に都があった時代で、奈良、飛鳥の辺りは黄葉する植物が多く、古今集は都が京都に移って来て、紅葉する木が多くなったからでしょう。」と。
日本語で書くと簡単ですが、私の英語での説明は、つぎはぎだらけだったように自分で思います。

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新歌舞伎座開場カウントダウン

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昨日(21日)新歌舞伎座開場のカウントダウン時計が設置されたそうです。そうとも知らず、新橋演舞場の昼の部と夜の部の間で歌舞伎座を見に行ってきました。

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屋根瓦工事も最終工程に入っている感じです。
外観は前の建物とどこが違うのか?ちょっとわからないぐらい前の建物のイメージを引き継いでいます。

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4月2日のこけら落としの公演まであと131日です。

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吉例 顔見世大歌舞伎 新橋演舞場

昼の部
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
 井筒屋
 難波裏
 引窓
人情話文七元結(にんじょうばなしぶんしちもとゆい)

夜の部
熊谷陣屋(くまがいじんや」)
汐汲(しおくみ)
四千両小判梅葉(しせんりょうこばんうめのは)
 四谷見附より牢内言渡しまで

一日見ていて楽しめるお芝居が揃いました。1700年代初演の世話物・双蝶々曲輪日記、時代物・熊谷陣屋は江戸時代の香りたっぷりのお芝居です。
熊谷陣屋は何度目かでした。平家物語に題材をとった芝居で、義経の命令を斟酌して、熊谷直実が平敦盛の身代わりにわが子の命を取る悲劇ですが、わが子を身代わりにするこの手の話に私は素直にのれません。武士の世の江戸時代には、今より人の気持ちに訴えたのかもしれません。ところが、私の両脇は珍しく若い女性でした。が、お二人ともこのお芝居に鼻をすすって涙をこぼしているではありませんか!私の感受性が錆付きはじめているのか?ちょっとショックでした。
仁左衛門さんの熊谷直実を見るのを楽しみにしていましたが、体調不良で急遽降板。残念。

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23日には復帰する予定だそうです。当代松緑さんは初演?だったのでしょうか。(代役は記録に残らないのでしょうか?)

菊五郎さんは、存在感が別格です。“人情話文七元結”では、失礼ながら女形の役者さんが役不足に感じられました。
“四千両小判梅葉”の菊五郎さんが良かったのは言うまでもないのですが、このお芝居では江戸時代の牢屋のしきたりなどがリアルに描かれていて大変興味深いものがありました。蛮社の獄の高野長英が牢名主になったことを思い出しながら芝居を見ていました。

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“中国王朝の至宝”展 国立博物館

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予想通り、会場は空いていました。尖閣の領有権で中国がごり押ししていることが影響しているのだと思います。ですが、というよりこうした時期にこそ文化交流、スポーツ交流の持つ意味は大きいと思います。

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国交40周年盛大に謳う一環だったのがこの展覧会だったのでしょう。今日の状況は大変残念です。しかし、この展覧会は、今まで私が見てきたどの中国関係のどの展覧会より素晴らしいといえます。40周年記念展を目指して力を入れていたことが感じられました。
個人的には会場が空いていて良かったと言えなくもありません。

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雨が降っていた(17日)とはいえ、グッズ売り場がこんなに空いているのは初めての経験でした。

中国の古代王朝は“夏”から“殷”へと言うのがいわば常識でした。この展覧会で、この黄河文明の二王朝と時期的には重なる“蜀”という古代王朝が長江流域に存在したということを明確に覚えていたことはありませんでした。蜀と云えば三国志の“魏・呉・蜀”の知識しかありませんでしたが、その蜀とは時代的に全く連続しません。
夏・殷の遺物で、青銅器に先行する土器を一瞬「青銅器にしては黒いな。」と思ってしまいました。こうした土器の存在は新鮮でした。

紀元前二世紀の遺物に刻まれた文字をそのまま読めるというのは、漢字文化圏の人間が経験できる世界的に見てもまれな体験だと思います。ハングル文字の韓国は、ほぼ脱落し、中国も簡体文字でこの先どうなのか?余計な心配もしてしまいます。

価値ある展覧会だと感じました。

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ラグビー欧州遠征 日本vsジョージア(グルジア)

日本 25- 22 ジョージア(グルジア)

序盤、15分過ぎまでスローダウンした展開はグルジアのペースでした。ペナルティーゴールの取り合いで6-9とリードを許した前半ラストプレーで自陣奥深く攻め込まれたところから逆襲して、最後小野沢選手が左隅にトライし(難しいコンバージョンも決まって)13-9と初めてリードして前半を終えます。
後半3分、10分にペナルティゴールを決め再逆転したグルジアは、13分に中央付近から攻め上がり、カビリカシビリ選手が右隅にグルジアとして初トライをあげます。日本もペナルティーゴール3本で同点に追いつき、終了直前グルジアにゴールライン3メートルまで攻め込まれますが、グルジアのミスでしのぎました。逆に相手陣内深く攻めますがタンオーバーを許し自陣奥までタッチキックを蹴られタイムアップかと思われましたが、ラストプレーで逆襲します。相手陣に攻め込んでペナルティーのアドバンテージを貰って小野選手がドロップゴール・・・・失敗してもOKのドロップゴールでしたが、決まって日本が勝ちました。小野選手は蹴った次の瞬間右手を挙げ成功を確信していました。
グルジアは、優勢なスクラムで相手陣内でペナルティーを貰って加点してゆく手堅い試合運びでしたが、日本がテンポアップするとノット10mバックのペナルティーを連発し日本のスピードについてゆけませんでした。
日本は予想通り、スクラムで劣勢、ブレークダウンでも劣勢。ラインアウトは安定せず、リスタートのキックオフも2本失敗するなど反省点は多かったものの前後半最後の積極プレーで試合を制しました。日本のゴールキックでブーイングが起きるなど、まさにアウェーの試合でしたがそのアウェーで2連勝は価値があります。

ジョージア(グルジア)の国名ですが、“グルジア”はロシア語起源で彼らは好きではないそうです。できればグルジア語で“サカルトベロ”と呼ばれるのが良いそうですが、少なくとも“グルジア”と呼ばれるより“ジョージア”と呼ばれる方が良いとのことだそうです。前回来日の時にそのように話していました。

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今日の実践女子大英会話教室“エアロビックとビタミン剤”

先週のテーマが“健康で気をつけていることは?”がテーマでした。そして“健康のセルフチェックリスト”が渡されて・・・・当然英語です・・・・健康に良いことをしているか?の質問に対し3段階のレベルから該当する答えを☑して自己採点するというのが今日の授業でした。得点が高いほど健康的な生活をしていることになります。
セルフチェックシートは、アメリカ人向けですので、我々日本人から見ると違和感を感じる質問があり、食文化の違いを感じました。一例が質問「ビタミン剤を摂取しますか?」に対して、「毎日とります」が5点、「時々」が3点、「とらない」が0点です。日本なら「サプリメントでとらずに食事でとりましょう!」となります。ビタミン剤で補うのはそもそも勧められません。野菜をあまりとらないアメリカの食生活の反映のようです。

こんな設問もありました。
Whitch best describes your exercise program?
(answer example)
Either weight training or aerobic exercise
aerobicはどうしてもエアロビック体操を連想してしまいますので「ウォーキングはaerobic exerciseになるのか?自信がなくなってしまいます。“aerobic”はカタカナの「エアロビック」と覚えずに「有酸素運動」として頭に入っていなければちょっと迷ってしまいます。
Running is very aerobic.   Walking is aerobic. というところでしょうか。 ちなみに発音は「ビック」に近いです。

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上野国分寺跡(群馬県)

749年には主な堂舎は完成したようですから、今から1250年以前の遺跡です。

塔跡と金堂跡は発掘され基壇が復元されています。

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金堂付近は14世紀に墓地になっていたそうで、今でもその名残をとどめています。
現在発掘調査が進められていますが、20年振りの発掘調査だそうです。20年前に版築で復元された築垣がありますが、20年経った復元とは見えません。

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つい最近の復元かと感じます。古代の技術にあらためて敬服です。

この近辺の民家の庭に大きな石があちらこちらにあります。「ここから掘り起こされて持って行かれたのでしょうね。」と発掘調査の責任者の方に聞いてみたところ、「おそらくそうでしょうね。」

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「この手前の石も移動途中で放置された石です。」とのお答えでした。確かに伽藍予想配置図では礎石などがある場所ではありません。面白いことがわかるものです。
発掘調査中ですので、見学者はあまり歓迎せざる存在ではないかと思ったのですが、そんな我々家族を発掘現場を案内してくれました。創建当時の文字瓦がトレンチの底で顔を出していました。(写真の上部に“當 ”とあります。調査はこれからだそうです)

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ちょっと手で触れて「これが奈良時代だ!」と。トレンチの中まで案内していただきました。

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南下古墳群(群馬県吉岡町)

群馬県のほぼ中央、前橋市、高崎市の近くに吉岡町があります。この町には注目すべき古墳があります。その一つが南下古墳群です。
古墳が六つあります。

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整備されていてトイレ、駐車場が備わっています。整備されているといっても草木を伐採しているだけで復元されているわけではありません。吉岡町文化財事務所もあり解説のパンフレットも備わっています。築造が6世紀中頃から7世紀末頃と推定され、石室の変遷や構築技術の発展過程が見られます。

B号墳 7世紀中頃 

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畿内色の強い古墳で、石室が破壊されて残っていないF号墳以外はこのように石室が開口しています。

D号墳 7世紀前半頃

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石室を閉じた際の“閉塞石”が残っています。

A号墳 7世紀前半 

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注目すべきは漆喰の痕跡があり、構築当初の内部は真白に仕上げられていた可能性があります。赤に塗られていた痕跡がある古墳に入ったことはありましたが、漆喰痕のある古墳は初めてでした。

E号墳 7世紀末

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石室内に石材加工の際に引かれた赤色の作業線が残っています。これも、私は初めて見ました。見どころが多い古墳群です。。(10月11日に訪れました)

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今日のパソコン教室 ’12/11/13

「皆さんについて行ける自信がないので、個人授業コースはありませんか?」とおっしゃっていた生徒さんが先週お休みだったので、今週はどうかな?とちょっと心配していたのですが、元気にお見えになりました。ホッとしました。
「先週は雨だったので来るのをやめました。講習についてゆけるか今日も心配です。」と話してくれました。天気が悪くて来なかったの?と一瞬目が点になりかけました。お休みの理由が予想外でした。でもゆっくりながらも講習をこなしてくれました。
講習は年賀状作りに入り、インターネットで素材を集め、本文を入力してもらいました。「自分で作った!」という満足感を味わってもらいたいので少し入力が遅くても、なるべく見守るようにしました。きっと来週も来てくれるでしょう。途中で挫折はさせたくありません。

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PC用メガネを購入

テレビを見るのは、ほどほどで、パソコンを使っている時間が多いので、ディスプレーのブルーカラーを50%ほどカットするPC用メガネを買いました。
最初はディスプレーに貼る保護フィルムタイプの購入を検討しましたが、「これを貼るとディスプレーの見え方がちょっと気になる。」というユーザーレビューがあったので、メガネに切り替えました。
ヨドバシでJINSのPC用メガネが置いてありました。JINSではない廉価タイプもおいてありました。おそらく機能は変らない(説明書のスペックは同じ)のでしょうが、それほど値の張る商品でもないので安心料と思ってJINSに決めて近くのJINSのお店に行きました。同価格でした。そこでヨドバシに引き返えして買いました。ポイントが付く分お得だからです。
店頭で度付きも3種類試してみましたが、文字の見え方に変わりはありません。私はメガネをしていますが、パソコンなど近くを見る時はメガネをかけなくてちょうど良いので、度がつかないものを購入。
眼科医に「近くを見る時はメガネは要らないのです。」と言ったことがあります。「メガネをかけなくてきちっと見えるのなら、それは正常ということです。」と言われたことがありました。そのことを思い出して、日常生活ではメガネをかけていても、本や新聞など近くを見る時は“正常”なのだと思っているので、度が付かないメガネを選ぶことに躊躇はありませんでした。

違和感なく使い始めています。

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ラグビー欧州遠征 日本vsルーマニア

日本代表 34-23 ルーマニア代表

勝ちをどの試合より意識するテストマッチらしく両チームはペナルティゴールで得点を重ね9-9で迎えた前半40分に五郎丸選手の4本目のペナルティーゴールが決まって12-9とリードします。ルーマニアのリスタートのキックオフで試合が再会された直後、前半終了のホーンがなりますが日本は蹴り出さずに自陣から攻め上がります。ルーマニアの反則を誘いながら攻め上がった日本はゴールラインに迫り、最後は一人飛ばしたパスを一番外にいた菊谷選手が受けそのまま左隅にこの試合両軍通じて、初めてのトライを決め17-9で日本がリードして前半を終えました。「攻め続けるぞ!」という意思で取りきった価値あるトライでした。

後半相手陣に入って優勢に攻めた日本でしたが、59分にセンター付近のマイボールスクラムからこぼれたボールをルーマニアに一気に運ばれて日本17-16ルーマニアと迫られます。
予想されていたことですが、スクラムではまったく劣勢の日本でした。しかし、69分にゴール前のモールで認定トライを得ます。ところが、その3分後、日本は攻め込まれ5メータースクラムからスクラムトライを狙って前進するルーマニアに対して逆に認定トライをとられます。24-23と1点差に迫ら得た日本ですが、76分に相手ゴール前で田中選手からタイミングよく小野沢選手にパスが出てそのままトライを上げ、終了間際にもペナルティーゴールを決め、欧州遠征初戦を飾りました。欧州遠征のテストマッチでの初勝利となりました。

日本のレフェリーは認定トライをなかなかとりませんが、この試合のレフェリーは躊躇しませんでした。「トライできたであろう」と判断したらさっさととった方が良いです。この日のレフェリーはその点良かったと思いました。一方アドバンテージは長く見る傾向がありました。こちらは「そんなに見るの?」という感じでした。

この試合で大野均選手がテストマッチ出場数=キャップ数で62となり伊藤剛臣選手と並んで3位タイとなりました。おめでとうございます。

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第6回 防災隣組

防災隣組の会合も今日で6回目となりました。1回の時間が3~4時間ですから、ここまでで20時間程は勉強、調査、訓練をしてきました。今回のテーマは、今月4日の朝日新聞のトップ記事として、そしてさらに2面にわたって特集記事として組まれました「盛り土造成地の地震被害関連」記事です。

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こうした新聞記事をきちっと読み解くこと、さらに記事の背景を読む力をつけることも防災隣組の取組の重要な要素です。これは的確な判断を下し、噂などに惑わされないことにつながります。「正しく恐れる」・・・・・私たちの取り組みが試されるテーマでした。
盛土の分布調査の実例の紹介、自治体によって対応が違うことの背景等の解説を含め、参加者の理解度は高いもので防災隣組の取り組みが成果があった事を、私は勿論のこと参加者も実感しました。

今回の朝日新聞の記事は前日3日に「翌日にこの問題の記事を載せます。」という異例な予告がありました。力の入れようがわかります。朝日新聞は2004年にも1面で報じています。

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2004年当時、講演会で記事を紹介しました。その時の皆さんの反応は「他人事」としか思っていなかったのが現実でした。8年たってようやく聞く耳を持ち、さらに取り組もうとしている姿勢の変化に感慨を感じました。

先月の地元の中学校で行った連合自治会の講演に小学校の校長先生が聞きに来られたことはあとで知りましたが、“学校だより”で「参考になった。防災でソフト、ハードの両面があるが、今後に生かしてゆきたい。」とありました。お役にたてて嬉しいです。

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まり遥(はるか)さんのコンサートin原宿ラドンナ

昨日は、原宿の“ラドンナ”で、まり遥さんのライブを聴く機会をいただきました。

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私には2度目のライブでしたが、今回もステージを楽しく聞かせていただきました。オリジナルの“そのままで”“少年”は、美しくて力強い歌声に人柄がプラスされた素晴らしい曲です。“そのままで”は、まり遥さんのホームページ(http://www.mariharuka.com/album.html)で試聴できます。

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オリジナル曲の他に“追憶”“カーペンターズ”“誰もいない海”等々歌声に酔いました。

お土産にトートバックを(来場者全員)いただきました。

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まり遥さんは楽譜入れに使っているというトートバック、プリントンされたお花はきっと“オールドローズ”でしょう。

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今日の実践女子大英会話教室“良い習慣、悪い習慣”

英会話教室は一週間のお休みがあって、その間に宿題が出ていました。お題は「私の健康法」でした。
私はウォーキングが健康法です、ということで、“I stay health by walking.”で始めました。
私の発表ではなかったのですが、“習慣”という言葉の英語としては「customとhabitがありますが、habitはbadなイメージがあります。良い習慣の場合はcustomを使います。」とニュアンスの違いの説明がありました。帰宅してから例文を当ってみました。なるほど「麻薬の習慣の場合はhabit」です良いイメージはありません。たばこの習慣もhabitです。
“a good custom ⇔ a bad habit”と覚えておけばよいようです。

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“生麦事件 激震、幕末日本”展

生麦事件から今年で150年ということで、横浜開港資料館と横浜市歴史博物館で生麦事件の展覧会が10月まで開かれていました。両館とも見た方にはポストカードが贈られました。

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事件現場付近の有名な写真のポストカードです。(先着1,000名まで)
1862年、生麦村(現・横浜市鶴見区)で薩摩藩の島津久光一行の行列にイギリス人が馬に乗ったまま行列に入り込んで、無礼打ちにあって1人死亡、2人が重傷を負った事件で、イギリス艦隊が報復に鹿児島を襲い、鹿児島の街を焼き払いました。薩英戦争です。この戦いでイギリスの力を知った薩摩はイギリスに接近し、明治維新へとつながって行きます。明治維新が爆弾なら生麦事件は導火線の先端で火をつけた事件ということになります。
事件の発端となり死亡したリチャードソンは、1カ月ほど前に上海から日本に来たばかりで、イギリスに帰国する前に日本に立ち寄りました。日本の殺気立つ時代背景と日本の習慣には全く慣れていませんでした。リチャードソン自身はイギリスにいる親にあてた手紙で「日本はイングランド以外の場所で私が訪れた最高の国です。」と、日本を絶賛しています。まったく不幸な偶発事件というしかありません。時としてこうしためぐり合わせが歴史を大きく動かします。

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横浜開港資料館はリチャードソンの手紙など事件の当事者の資料が多く展示され、歴史博物館は当時の外国人襲撃事件など周辺資料が多く展示されていました。

日本国内からの視点で見れば、外国人襲撃事件の多発は「攘夷」でくくられてしまいますが、外国から見れば、「外国人という理由だけで誰でも殺害の対象になる。なんと理不尽な事だ。」となるでしょう。明治維新というと歴史のダイナミズムを感じる一方で、維新に向かう歴史の流れの中に狂気も強く感じるようになりました。

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今日のパソコン教室 2012/11/06

今日のパソコン教室で、例題の文章の中に“◆”のマークがあって、このマークの出し方をおさらいしたのですが、主任講師が、このような“☑”マークもあるんですね。と候補に出てきた“☑”を指しました。私もこんなマークがあるなど、気にもしていませんでした。
ところがお一人だけ「私のパソコンにはありません」と手をあげました。確かに出ていません。そこで、スペースキーで“記号”までカーソルを持ってゆきクリックして“☑”を出して、納得してもらいました。質問に答えて操作したのですが、主任講師が説明する前にアシスタントの私が、少なくともこの方には先に私が説明してしまいました。
アシスタント講師の心得として、主任講師に先んじて教えるフライングは慎まなければいけないと思っているのですが、結果的にフライングになってしまいました。生徒さんがわからない時などは、より理解しやすいように周辺知識も紹介するのですが、全体進行との兼ね合いが難しいことがあります。

今日は嫁さんにipadで写真を添付するメールの送り方を教えました。教えたといっても相手メールアドレスをリストに設定して置きましたのでいたって簡単です。ちょっぴりipad使用率が上がるでしょう。

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東芝フィルハーモニー管弦楽団 34回定期演奏会

昨日は、東芝フィルハーモニー管弦楽団 第34回定期演奏会を聴きに行ってきました。

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開場前から列を作って入場を待ちます。
東芝フィルハーモニー管弦楽団は東芝グループ社員からなるアマチュア楽団ですが、文化交流・海外公演もこなす本格的な楽団です。
この日の演奏曲目は、
ブラームス:悲劇的序曲 作品81
ベートーベン:交響曲第8番ヘ長調 作品93
ドヴォルザーク:交響曲第7番ニ短調 作品70

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ベートーベンの8番というのは、なじみがありません。それを織り込み済みだったのでしょう。コンサートではあまり例がない曲紹介が指揮の河地さんからありました。曲の作られた時系列の背景と、ベートーベン自身が「私の曲の中で最高の出来」という自己評価をしていた曲であることが紹介されました。
正直なことを言えば、説明を聞いて、いったいどんな曲?の段階からは抜けて気合が入って聴きました。曲紹介良かったと思います。もちろん演奏も素晴らしいものでした。

アンコールでは、(プログラムにも載っていましたが)9月にお亡くなりになられた佐波さんを偲んで、お好きだったモーツアルトも演奏されました。ご冥福をお祈り致します。

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ダメ審判柳田、こざかしい巨人の加藤

巨人ファンでもなく、日ハムファンでもないけれど、クライマックスシリーズから日本シリーズと、テレビで野球を楽しんでいるけれど、昨日の主審・柳田は、審判として一番やってはいけないことをやっちゃいましたね。
最初はバントをファールとして判定して、一番近くで見ていてジャッジしたのだから、たとえ誤審であっても覆すべきではない。(ビデオで見るとこの判定は正しかった)
主審から見えなくて他の審判からアピールがあれば違うでしょうけれど・・・そのケースには当てはまりませんし、自ら判定を覆すなどあり得ないことです。
それが巨人・加藤の演技に騙されて死球・危険球に判定を覆すなど、審判として最低ですね。
巨人の加藤は演技賞もので、バント失敗を死球にして出塁し、さらに相手投手を退場に追い込んだのだから大したものともいえるけど、昔と違って今はビデオで何回も全国の人が見ているので、三流プレーヤーの猿芝居としか受け取れません。プロ野球ですから、多少のずるさがあっても良いと私は思いますが、スマートさが必要ではないでしょうか。
かなり以前ですが、私の職場で神宮球場を担当していた先輩がいたのですが、巨人のスタープレーヤーがエラーした理由が「照明が目に入った。」といったっ為、翌日呼び出され試合前に球場側の方と点検したけれど「目に入る事はなかった。プレーヤーが言い訳に使っただけと分かった。」と、怒っていたことを思い出しました。
(現在の神宮球場の内野照明灯が支柱より前に出ているのはスタンド拡張の影響です。)

主審・柳田の誤審と巨人・加藤の猿芝居はズーッと語り継がれてゆくことになるのでしょう。これが彼らの得たものです。

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