徳川宗春の墓
今日NHKテレビ“歴史秘話 ヒストリア”で尾張徳川の藩主・徳川宗春が取り上げられました。将軍・徳川吉宗の財政緊縮策に反対し、いわば財政積極策をとったため宗春は失脚しました。
番組の内容は首肯できるものですが、一つ残念なことがありました。
番組の最後に徳川宗春のお墓が紹介されました。徳川宗春のお墓ほど数奇な運命をたどったお墓も少ないのではと私は思っているのですが全く触れられませんでした。
徳川宗春のお墓は、名古屋の郊外の「平和公園」にあります。徳川御三家筆頭の藩主ですから、本来家格は将軍家につぐものです。菩提寺の建中寺にあるべきものが、戦後の復興計画のもと、移転させられ「平和公園」という集団墓地に移されました。時の流れを感じます。
また、移転前に、第二次世界大戦の空襲で、焼夷弾の直撃を受けました。亡くなってから二百年後に上空1万メートルからの直撃弾を自分のお墓が受けるなど、まるでSFの世界の話のようなことがおきるとは、人間のすべての想像力を発揮しても及びもつかない事だったでしょう。
宗春は二十男に生まれ、御三家筆頭の藩主となり、失脚するという人生も波瀾でしたが、お墓もそれ以上の波瀾の歩みをたどりました。NHKの番組ではその点が触れらていませんでした。
宗春が、吉宗に楯突いたということで、将軍家にはばかって墓石には江戸時代を通じて網をかぶせられ、はずされたのは明治になってからだ。という記述を見ましたが、建中寺を訪ねた際に聞きましたが、「そのような状態を見たという事は聞いておりません。」とのことでした。
焼夷弾直撃の痕が生々しく残っています。
私がこのお墓を訪れたのは、2008年11月中旬でした。名古屋駅の観光案内所で「徳川宗春のお墓を教えてください。」と聞きましたが、案内所の方は知りませんでした。うろ覚えで「平和公園とかなんとかにあるような・・・・・」と聞き直しました。「平和公園」に墓があるというのがピンとこなかったからです。「平和公園というところはあります。」というので、「ひょっとして、そこは墓地ですか?」と聞いたところ「そうです。」と返ってきたので、「わかりました。」と言ったところ、案内書の人は、ダメを押すように「その人の墓があるかどうかはわかりません。」と。宗春さん、影が薄かった。
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