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浜離宮庭園

徳川将軍家の庭園として「浜御殿」と呼ばれていました。17世紀に作られた時は平穏だったのでしょうが、幕末には砲台が置かれたり世相を反映した遺跡があります。
ガイド端末が無料で貸してもらえます。音声と動画の案内で現在地も表示される優れものです。難点はコースを外れると、ちょっときつい調子でコース通りに行くように催促してきます。無視して全く問題はありませんが、「もう少し優しく言ってよ」(笑)と云いたくなります。園内をゆっくり回ると、将軍の楽しみをそっくりいただいた気持ちになりました。

入口は2カ所あります。

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江戸城の出城としての役割も持っていました。こちらは大手門
櫓などは失われましたが、立派な門です。

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内堀もあって、船から荷を揚げる階段の石垣も当時のまま残っています。東京で江戸時代のこうした遺構があるのはここだけです。
松平定信はこの庭園の一角に飢饉に備えて籾蔵を作りました。将軍の優雅な遊びの場にこの施設を作った定信の実直さが伝わってきますが、将軍の取り巻きには煙たがられたでしょうね。

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大きな池がいくつもあります。池の水は海水です。潮の干満を楽しむ回遊式築山庭園です。


鴨猟をする鴨場です。
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丁寧な説明もあって鴨猟の様子がわかります。策に囲まれたところが堀になっていて、中央の戸におとりの鳥を誘導してきます。両脇から絡め取ります。

将軍御上がり場

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将軍が船で来てここから入ります。園内でのお遊びならお気楽だったのでしょうが、幕末にはここが歴史的な場所になりました。
家茂が長州征伐の最中大阪城で死亡しますが、海路運ばれた遺体がここから運び込まれました。続く最後の将軍となった慶喜が鳥羽伏見の戦いで敗れ、大阪城から逃げ帰って上陸したのがここです。観光遊覧船がやってきて少し留まって去って行きました。海からの観光客にとって、将軍ならまだしも、私が居たのは邪魔だったでしょう。

園内には、吉宗の時にベトナムから贈られた象を飼育していた場所もあります。(現在は何にも残ってはいません)
平穏な時代、緊縮の時代、落日の時代と江戸時代が詰まっている史跡です。

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