高松凌雲生誕の地
福岡県小郡市に高松凌雲の生誕地を尋ねました。江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の侍医の生家跡です。

フランスに留学し、その恩を忘れず徳川に対して最後まで忠節を尽くします。最後の戦いとなった箱館では、敵味方を問わず傷病者の治療に当たりました。箱館の戦いの後、東京で同愛社を設立して、貧しい人の診療に尽力しました。
生家は庄屋で、家の前は堀になっています。幕末期の庄屋は、中下級の武士より豊かだったと思われます。そのようなたたずまいでした。
徳川幕府が倒れる時、多くの大名は形成を見て新政府軍に付きました。大名の判断基準は、自らの信念に従って行動するというより「家を守る」ことです。私は頭から否定するつもりはありません。しかしそうした考え方は、歴史を大きく動かす原動力になりえないことは確かです。そして私たちの心を打つのは信念で行動した人です。高松凌雲もその一人です。凌雲は箱館で重傷を負った実の兄
を当時のトップレベルの医療を施せる自分の病院に転院させることを認めませんでした。兄は数日後亡くなります。凌雲の生家跡は古屋作佐久左衛門の生家跡でもあります。つまり実の兄です。
吉村昭の「夜明けの雷鳴」の主人公です。福岡へ行ったならぜひ立ち寄りたいと思っていました。徒歩で行きました。駅からかなり距離がありましたが思いを果たせました。

生誕地のすぐ近くに諏訪神社があり、享保の鳥居がありました。「凌雲が子供のころ遊んだに違いない。」と思いました。ここから留学したパリ、戦火に包まれた箱館に思いをはせました。(5月6日訪問)
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