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上野・寛永寺の二つの黒門その1

現在の上野公園全体は江戸時代は寛永寺の境内でした。幕末に彰義隊が寛永寺に集結して新政府軍に抵抗しました。(上野戦争)寛永寺の多くの堂舎はこの時に焼失しました。

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現在、科学博物館の裏手に輪王寺があります。その門は旧本坊の表門が移築されたもので通称「黒門」と呼ばれています。

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上野戦争の時に受けた弾痕の跡が残っています。
(1月末現在、工事中で見ることはできませんでした。以前に撮っていた写真です)

最後の輪王寺宮は皇族出身でありながら、朝敵となってしまうという歴史の皮肉を演じることになります。彰義隊に擁立され、敗れて仙台へ行き奥羽列藩同盟の盟主に祭り上げられます。維新後、宮は還俗して北白川宮となり、最後は台湾で病没するという数奇な人生を送りました。その生涯は吉村昭の小説「彰義隊」に描かれています。

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