上野・寛永寺の二つの黒門その2
幕末に彰義隊が上野の寛永寺にたてこもった上野戦争で最大の激戦となったのが寛永寺総門に当たる黒門です。
黒門は西郷さんの銅像の少し奥にある清水観音堂の下あたりにありました。黒門を守備していた彰義隊に対して、新政府軍は不忍池越しに横から砲撃を加える格好になり、大勢が決しました。
黒門は、撤去され近くの上野大仏の近くに移されていましたが、荒川区にある円通寺の住職が彰義隊の戦士者の遺体を葬った縁で円通寺に移築されました。(上野には大仏がありました。今は大仏のお顔のみが残っています)
冠木門です。
裏(守備隊側)に回ると表から見るより頑丈な作りになっています。
弾痕の跡が残っています。旧本坊表門に比べると、弾痕の数がはるかに多くて激戦だったことを伝えています。
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