大阪の寝屋川を中心に廻りました
早朝に東京を発って、9時半には大阪に着きました。新大阪から大阪経由で京橋へ。駅のアナウンスの「京橋」のアクセントが東京と違うので、「大阪に来た。」という実感がわきます。
京橋で乗り換えて学研都市戦で東寝屋川へと思っていたら、人身事故で「他社線の振り替え利用をお願いします。」だって! そんなコンテンジェンシープランなんて作っていなかったよ! ここは当初プラン通りで行くしかない!
幸いにして、30分ほどの遅れで東寝屋川駅につきました。
JR東寝屋川駅→寝屋川市埋蔵文化資料館→国指定史跡・石宝殿古墳→雷神石→弘法井戸→寝屋古墳→太秦高塚古墳→打上古墳
旅行先では、郷土資料館とか、博物館を最初に訪ねることにしています。その地域の史跡のアウトラインをつかむことと、なんといっても史跡が記載された地図を入手するためです。今日も資料館からスタートしました。眼目は石宝殿古墳なのですが、他の古墳も含めて古墳は別記事で触れたいと思っています。
問題は弘法井戸です。「また、弘法大師が掘った井戸か?」こういう伝説は聞き飽きていますので、本来はパスなのですが、寝屋古墳へ行く途中にありますので、「まあ、だまされてやるか」と寄りました。写真を撮っていると、外人さんが私に「トリイ?」と聞いてきました。多分「鳥居」なのだと思います。「いえいえ」と答えると「ああ、看板ね」と。正確には看板ではなく弘法井戸の説明板を写真に収めていたのです。ところがこの外人さん弘法井戸に備えてあった“鈴”をチーンとたたいてそのまま合掌をしました。話しかえられた手前、合掌が終わるまではその場を離れずらい気持ちになって終わるのを待っていたのですが、この合掌が長く、通りすがりといった感じではなく、深い信心が表れていました。結局悪いことをしているわけではないのに、こそこそ離れました。
ちなみに説明板には、”弘法大師を祭る高野山へ向かう高野街道の脇にある井戸なので弘法井戸と名付けられた”とありました。納得の説明です。
寝屋川の古墳巡りは楽しかったです。
大阪市内に戻って、歌舞伎を見ましたが、その前に道頓堀でトルコアイスクリームを食べました。ちょっと懐かしくて、アイスを手渡しで受け取るときアイスがひっくり返りました。あわてました。トルコのアイスクリームは逆さにしても落ちることはありませんが、あわてました。トルコ旅行で陶器を手ではじいたとき、陶器が落ちそうになったことを思い出しました。どちらも演出なのですが、楽しかった。歌舞伎は別途記事にします。
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