新熊野神社、法住寺、後白河法皇陵、以仁王邸跡(京都旅行)
頼朝に「日本国第一の大天狗」と云われた後白河院(天皇、法皇)は,熊野詣を49回もして、ついには自分の御所に熊野神社を作りました。それが新熊野神社です。地元の呼び方は「いまぐまのじんじゃ」と云っていました。熊野信仰が篤かったこともあるのでしょうが、後白河院の最大の娯楽だったのでしょう。高台の眺めの良いところにあります。
境内には院の手植えの楠が大木となっていました。
それから二百年ほど時代が下った室町時代に将軍・足利義満が世阿弥と出会ったのがこの地です。世阿弥の筆からとった”能”の石碑がたっています。
現三十三間堂の道を隔てて後白河院の法住寺のお堂があります。源平の戦いの中、木曽義仲が襲いました。元々は広大だったのですが、今はこじんまりしています。
お堂の背後に後白河法皇陵があります。
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