方広寺・豊国神社・耳塚・養源院(京都旅行)
秀頼が建てた方広寺の石垣の岩の大きさは想像以上でした。
また家康がいちゃもんをつけたあの有名な梵鐘もこれまた想像以上の大きさでした。
隣の豊国神社の宝物館では、秀頼の8歳の手形がかわいらしかった。その他”秀吉の歯”、“馬印の瓢箪”など豊臣の遺品が結構見られました。
宝物館の左手奥には秀吉を供養した大きな五輪塔が馬塚の名前であります。
神社の前方には文禄・慶長の役で朝鮮での武功を証明する首級の代わりに持ってきた耳を埋めた“耳塚”です。
三十三間堂の向い、法住持の隣に養源院があります。秀吉の側室淀殿が創建し、妹のお江の方が再建しました。堂舎は伏見城の遺構を移築しています。関ヶ原の合戦に先立って、西軍が伏見城を攻め、東軍はわずかな兵で守りましたが落城しました。その際、切腹した将兵らの血がしみ込んだ敷板を廊下の天井板にしました。お寺の方が「ここが鳥居元忠野の頭で、ここが肩で、ここが足で・・・・・・ここにもう一人・・・・」といった具合に黒ずんだ血の跡の天井を指して説明してゆきます。
この廊下は天井が血染めなら足元は鴬張りになっています。歩くとキュッキュ鳴ります。今までも鴬張り廊下では「音が鳴って楽しい」と思っていたのですが、説明を聞きました。「音が鳴ることによって人が来たことが察知でき、警戒できるのです。忍び足で歩くとなおのこと音が大きくなります。」なるほど。
俵屋宗達が霊を供養するための象などの絵もあります。この寺院には、京都所司代が月に一回参詣に訪れていたそうです。徳川にとって豊臣から天下を奪ったことの正当性の証の一つなのかもしれません。
来年の大河ドラマにのって観光客が押し寄せてくるのでしょうか?それには少し生々しさが残っているお寺です。
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コメント
クラさん、
コメントありがとうございます。
方広寺近辺は、観光客ぞろぞろでなくて
落ち着いていて良いですね。
クラさんのホームページを拝見しました。
“旅行大好き”が伝わってきます。
私は、ここのところ旅行に行くことが少なくなったので
時間を見つけて行きたいと思っています。
クラさんもお気をつけて「いってらっしゃい」
投稿: 最前列 | 2014年8月29日 (金) 09時15分
ブログみました。自分も方広寺行ってみました。喧騒から離れ静かな境内で落ち着いてみることができました。やっぱり 一番目に付いたのは梵鐘 古めかしくもドッシリとした鐘は自分も驚きました。方広寺の石垣もあったとは、今度 見てみたいと思います。
投稿: クラ | 2014年8月28日 (木) 21時59分