« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

良いお年をお迎えください

本年を振り返ってみると、“旅”と“ラグビー”を軸に展覧会にコンサートと歌舞伎、それにブログでは多くは触れなかったけれど本も良く読みました。一言で言うなら“放たれた鳥”のように思いっきり飛びまわっていました。
旅行の記録を思い返すと、1月大阪、2月宮崎、3月姫路・高知、熊本、4月佐倉、6月トルコ、9月神戸、10月奈良、12月名古屋・京都。
トルコで古代ヒッタイト帝国の首都に立った時は感激しました。また、かなり以前に訪れた所にも結構再訪しました。そこでは、人の営みの集積としての“歴史”、その人の営みの部分で、以前より理解できるようになったように思います。
松尾芭蕉は、奥の細道で「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。・・・・・・・・・・老いを迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとす、古人も多く旅に死せるあり。」と書き出しています。その思いの0,1%ぐらいはわかるようになった気がします。まだまだ見たい所、行きたい所がたくさんありますし、旅行に行くたび、本を読むたび、見たい所、行きたい所が増えて行きます。まだまだ旅に出たいと思っています。
今年最後の買い物として、今日、コンパクトデジカメを買いました。ラグビーに旅行に連れて行く新しい仲間です。どんな写真が撮れるか?楽しみです。

本年、私のつたないブログにお付き合いをいただきましてありがとうございました。皆さまが良い年をお迎えになれることを心よりお祈り申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年ラグビー見納め

本年のラグビー見納めで、25日はトップリーグNTTコムvsヤマハ、NECvs近鉄の2試合。今日26日は大学選手権2回戦明大vs流経大、慶大vs帝京大の2試合。ラグビーシズンは年があらたまって佳境を迎えますが、まずは今年もラグビーを楽しく見ることが出来たことに感謝です。

トップリーグ第12節・秩父宮

101226a1

NTTコム36-10ヤマハ 
NTTコムが終始ボールを支配し、快勝しました。

101226a2

NEC31-20近鉄 
最終的には点差が開きましたが後半37分にNECがトライをとるまでは1トライでひっくり返る緊迫した試合でした。

全国大学選手権2回戦・秩父宮

101226a3

明治大学60-7流経大 
明治大学が組んだモールに流経大は入らないことを徹底して明治のFWに肩透かしを食わせましたが功を奏しませんでした。

101226a4

慶大7-38帝京大 
慶大はコラプシングの繰り返しで開始早々の3分に認定トライをとられました。この認定トライがこの試合を決めました。リードを奪った帝京大は、後半はモール、ラック近くを攻めてスローダウンして勝ちました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラグビーワールドカップのアンケート

ここのところ、JRFUメンバーズクラブから携帯電話にメールが来ると、「ワールドカップツアーの参加者募集か!?」と反応するのですが、思いに反しツアー募集のメールがなかなか来ません。
今日来たメールは、ワイカト大学の依頼で“ワールドカップ観戦のアンケート”のお願いでした。アンケートそのものはきちっと応えました。チケット込みの協会のツアーしか考えていないので、チケットの入手の質問のように答えにくい質問もありました。このアンケートは、ニュジーランドでは受け入れ体制の参考にするのでしょうか?
2か月ほど前に、協会の観戦ツアーを組む参考にするためのアンケートがありました。アンケートでもなんでもするから、早くツアーを発表して欲しいな。そんな思いでいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“東芝日本一ならず” 日本ラグビー激闘史8号より

ラグビー激闘史の8号は87-88年の特集でした。これまでも激闘史を見て色々思い出していましたが、22日発売された8号はとりわけ印象深いものがありました。雑誌には「早大、16年ぶり日本一」なのですが、私にとっては「東芝日本一ならず」でした。
この試合は国立には行っていません。会社の仲間の新築祝いに行っていました。そこでテレビ観戦でした。十数人こぞって東芝を応援していたといいたいのですが、早稲田出身者は、母校を応援していました。「どこから給料をもらっている?」とからかうのですが意に介せずという感じです。皆でワイワイガヤガヤ見ていました。印象としては、国立での試合になれていない東芝が、ラインアウトでノットストレートを連発していた印象があります。
この時、東芝の監督をしていた中村さんが後年会社の総務部長として赴任してくることになるとは、世の中わからないものです。ちなみに中村さんは早稲田出身です。
雑誌には書いてありませんが、この試合が大学が日本一になった最後の年になりました。また、この後神戸製鋼の7連覇などがあって、東芝が日本一となるのに9年待たなければなりませんでした。ラグビー激闘史でも来年5月11日発売の17号まで待たなくてはなりません。その号のカードは向井さんと松田さんです。先だなあ~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

結構ハードなSchool生活

久々のSchool生活が10日ほど過ぎました。結構ハードで、復習をしておかないと次回の授業が大変です。
膝上20cmのミニスカートの講師にはびっくりしました。講義内容も板書もしっかりしていますので講師としてまったく問題はありません。Webの会社も経営しているそうです。スーパーウーマンです。Web業界で活躍する人は、既成概念では推し量れないのでしょう。ただ、一緒に受けている若い女性もミニスカートには驚いたようです。

101221n1

50分授業が6コマあり、昼休みはたっぷり70分あります。今日は昼休みにコーラスグループによる合唱があり、しばし聞き入っていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

発表が待たれるラグビーワールドカップツアー

来年の9月に開幕されるラグビーワールドカップニュージーランド大会の日本協会の公式ツアーの発表が待たれます。
旅行会社からもツアーが発売されますが、私はやはり協会のツアーです。選手のご家族の方ともツアーでご一緒することもあります。また、ツアーでご一緒させていただいた方とは、その後も一緒に観戦したりと、試合応援以外のプラスαもあります。

早く公式ツアーを発表してもらいたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

花園行き断念、今週からスクールへ

101213a1

今週の月曜日から3月中旬までの予定で、Webの勉強でスクールに通い始めました。久々に学生気分に浸り、若返った感じです。
月曜日はガイダンスだけだったのですが、昨日から本格的な授業が始まりました。

101213a2

    教科書を買ってびっくりです。分厚い!かなり詰め込まれそうです。

今週末は、花園でのラグビー応援を予定していました。FANファンクションも楽しみにしていました。
授業は月曜日から金曜日までなのですが、今週は土曜日に授業があります。元々新年から受講の予定だったので、今月からに決まった時に金曜日の予約をとっていた飛行機便は諦めて、金曜の深夜バス便に変更して授業に穴をあけないようにしていたのに、それも諦めです。がっくりです。
冬休みとの調整で土曜日の授業が2日だけあります。よりによって今週になるとは・・・・。
自分で決めた勉強ですから、欠席する理由はなにも無いのですが、それでも6時限の授業が色々な科目ならあとから追いつけるかとも思ったのですが、一つのアプリを6時限通しの最初の授業となると最初から躓くわけにはいきません。
こうなれば終了まで風邪も引かず皆勤を目指すだけです。

私も授業を頑張るので、ラグビーの贔屓チームには頑張って欲しい。応援も頑張って欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日は、朝霧

今日は、
午前7時50分頃家を出た時、朝霧でした。
もっと早い時間ならもっと濃い霧だったのでしょう。
墨絵のような世界もなかなか良いものです。

101215a1_2

     我が家の前の小路を曲がった坂道です。

101215a2

     駅へ行く途中です。橋から撮りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大畑選手 ラストデーin秩父宮

101211c1

12月11日は、対戦カードが上位陣の人気カードであったこともありますが、大畑選手が秩父宮登場が最後になる可能性があるとういうこともあって盛況でした。サンケイスポーツデーでサンスポを買って抽選会参加がありました。北から南の屋台もたくさん出ました。


JRFUはメンバーズを対象に抽選会を行いました。

101211c4

私は白玉で残念賞の方だったのですが、大畑選手のサイン入りステッカーを引き当てました。良いほうの当たりは大畑選手のサイン入りボールだったのかな?

101211c2

                     試合後の大畑選手

101211c3

                  サインボールを観客席にプレゼントする大畑選手

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三洋vsサントリー トップリーグ第10節in秩父宮

101211b1

三洋は前半12分に北川選手が右隅にトライ、34分に自陣22メートルラインまで攻め込まれた所でターンオーバーし、ヒーナン選手からセンターライン付近でパスをもらった山田選手がそのまま中央にトライを挙げ前半を15-0とリードします。

101211b2

             前半34分、ゴールを目指す三洋・山田選手

後半は、サントリーが11分に小野沢選手が左サイドに、14分に中央に平選手が中央にトライを決め、15-14と追い上げます。そして38分に三洋陣に入ったところでペナルティーをもらい、ニコラス選手がきっちり決めて15-17と逆転しました。

101211b3

前半は三洋の厚いディフェンスが目立ちましたが、前半のトニー・ブラウン選手の負傷退場のあと、怪我人が多く出で、逆にサントリーは29分に一気に4人選手交代で投入し三洋を抑えこみ逆転につなげました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東芝vs神戸、トップリーグ第10節in秩父宮

101211a1

立ち上がりから攻勢に出た神戸は12分にブラッキー選手がディフェンスををかわして右へ先制トライを挙げます。その後も攻勢に出る神戸でしたが、次のトライは、ヒル選手から湯原選手へと渡って左へトライを挙げた東芝で、前半は7-5で東芝がリードします。
後半2分、神戸は東芝陣22メートルの内側へ攻め込み、スクラムからサイドを突いて伊藤選手がトライ。ゴールも成っ7-12と逆転します。東芝は12分に吉田大樹選手が左隅に飛び込み、難しい角度のゴールを決め14-12と再逆転しました。その後は神戸の足がとまり、東芝が21-12と突き放してノーサイドとなりました。

101211a2

大畑選手
リーグ戦での秩父宮での最後のプレーでした。

101211a3

松田選手
長い間大畑選手と相対し、そして共に闘いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

相国寺と薩摩藩邸跡[同志社大学](京都旅行)

101210b1

相国寺は京都五山の第二位、「金閣寺も銀閣寺も当寺の末寺です。」との説明に観光客の多さでは及ばないのでいささか負け惜しみに聞こえたのですが、いやいやどうしてさすがはの相国寺でした。付属美術館で足利義満の消息などを見たのですが、「上皇になろうとした」ほどの権力の強さを感じました。

101210b2

藤原定家、足利義政、伊藤若冲の墓が並んでいました。墓地を整理した結果なのでしょうか?ただ、時代的に定家は相国寺創建前ですので相国寺の歴史とは合致しません。どんな事情なのでしょうか。

続いて同志社大学での「幕末と同志社」展を見ました。相国寺の敷地の一部が薩摩藩邸となりさらにそこに同志社大学が作られました。話題になった薩摩藩邸の地図の実物が見れました。

101210b3

構内では、薩摩藩邸の発掘が進んでいますが、義満の墓所の可能性のある鹿苑院の遺構がすぐ目の前にありました。校舎建設とともに消えて行くのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

以仁王の邸跡・・・京都旅行の楽しさの一つ

“京都はうまい店ほど ひっそり路地にあるもんや”

京都の路地裏のお店にあったキャッチコピーです。
京都ではふらっと歩いていると教科書に出てくる事件、人、場所などの碑がさりげなく立っています。街角に歴史発見の小さな驚きがあります。京都は路地を歩くに限ります。

中央郵便局の壁に“以仁王の邸跡”説明板が埋め込まれていました。石碑もなくて、でも、そんなところが京都の魅力です。ブログに描き切れなかったこともありましたが、今回の旅は、私なりに京都を堪能しました。


“京都の歴史の厚みは ひっそり路地にあるもんや”です。

101209c6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

方広寺・豊国神社・耳塚・養源院(京都旅行)

101210a1

秀頼が建てた方広寺の石垣の岩の大きさは想像以上でした。

101210a2

また家康がいちゃもんをつけたあの有名な梵鐘もこれまた想像以上の大きさでした。

101210a4

隣の豊国神社の宝物館では、秀頼の8歳の手形がかわいらしかった。その他”秀吉の歯”、“馬印の瓢箪”など豊臣の遺品が結構見られました。

101210a3

宝物館の左手奥には秀吉を供養した大きな五輪塔が馬塚の名前であります。

101210a5

神社の前方には文禄・慶長の役で朝鮮での武功を証明する首級の代わりに持ってきた耳を埋めた“耳塚”です。



三十三間堂の向い、法住持の隣に養源院があります。秀吉の側室淀殿が創建し、妹のお江の方が再建しました。堂舎は伏見城の遺構を移築しています。関ヶ原の合戦に先立って、西軍が伏見城を攻め、東軍はわずかな兵で守りましたが落城しました。その際、切腹した将兵らの血がしみ込んだ敷板を廊下の天井板にしました。お寺の方が「ここが鳥居元忠野の頭で、ここが肩で、ここが足で・・・・・・ここにもう一人・・・・」といった具合に黒ずんだ血の跡の天井を指して説明してゆきます。

この廊下は天井が血染めなら足元は鴬張りになっています。歩くとキュッキュ鳴ります。今までも鴬張り廊下では「音が鳴って楽しい」と思っていたのですが、説明を聞きました。「音が鳴ることによって人が来たことが察知でき、警戒できるのです。忍び足で歩くとなおのこと音が大きくなります。」なるほど。
俵屋宗達が霊を供養するための象などの絵もあります。この寺院には、京都所司代が月に一回参詣に訪れていたそうです。徳川にとって豊臣から天下を奪ったことの正当性の証の一つなのかもしれません。

101210a6

来年の大河ドラマにのって観光客が押し寄せてくるのでしょうか?それには少し生々しさが残っているお寺です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

本能寺跡(京都旅行)

本能寺跡は、老人福祉施設や学校などになっていました。現地に来てお寺の大きさを実感すると(大きさにはいくつか説はありますが)想像が広がります。寺を囲んだ時に光秀は襲撃の成功を確信したでしょうし、信長は事態がわかった時は、観念したのでしょう。
本能寺は、この地に再建されようとした上棟式の日に秀吉によって急遽中止が命じられ、新たに現在ある京都市役所近くに再建されました。秀吉はさらに船岡山に建勲神社を建て信長の霊を祀りました。そこまではわかったのですが、この地はその後どうなったのでしょうか?
(本能寺の変を目撃した南蛮寺の跡に行くのを忘れてしまいました。次の機会に行くつもりです)

本能寺跡には石碑は3ケありました。

101208c3

101208c1

101208c2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

室町幕府跡・山名宗全邸跡・応仁の乱の跡(京都旅行)

京都御苑のの北西角近くの今出川通に面して室町幕府跡の碑が在ります。

101209d1

「従是東北 足利将軍室町第址」と刻まれています。

101209d2

さらに数十メートル離れた大聖寺に「花乃御所」の碑もあり、幕府跡を示す碑はこの二つがあります。
この室町時代の中心地近くに応仁の乱関係の石碑が集まっています。

101209d4

「応仁の乱勃発地」の碑 

101209d7

西軍の将・山名宗全の邸跡碑 もう1基堀川通に面してあります。

101209d6

激戦となった百々橋(どどばし)の橋脚の礎石 

101209d5

西軍の陣が置かれたのがその名となった西陣
東軍は花の御所から相国寺が陣地となりました。随分接近していることがわかります。この距離感は実際に来なければわかりません。

101209d3

こうした地域の中に天皇家が二つに分かれて対立した南北朝時代の北朝の拠点となった持明院殿跡の寺院があります。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新熊野神社、法住寺、後白河法皇陵、以仁王邸跡(京都旅行)

頼朝に「日本国第一の大天狗」と云われた後白河院(天皇、法皇)は,熊野詣を49回もして、ついには自分の御所に熊野神社を作りました。それが新熊野神社です。地元の呼び方は「いまぐまのじんじゃ」と云っていました。熊野信仰が篤かったこともあるのでしょうが、後白河院の最大の娯楽だったのでしょう。高台の眺めの良いところにあります。

101209b1

境内には院の手植えの楠が大木となっていました。

101209b4

それから二百年ほど時代が下った室町時代に将軍・足利義満が世阿弥と出会ったのがこの地です。世阿弥の筆からとった”能”の石碑がたっています。

101209b2

現三十三間堂の道を隔てて後白河院の法住寺のお堂があります。源平の戦いの中、木曽義仲が襲いました。元々は広大だったのですが、今はこじんまりしています。

101209b3

お堂の背後に後白河法皇陵があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

紫式部邸跡の廬山寺、慶光天皇陵・土御門第跡(京都旅行)

廬山寺は、かつて藤原兼輔の邸跡だった所に移転して来ました。その邸宅で育ったのが紫式部です。廬山寺と紫式部が直接関係あるわけではありません。

101209c1

庭園に邸跡の碑があります。

101209c2

境内から出土した平安時代の瓦が展示されていました。紫式部に一番近い品物かもしれません。

101209c3

廬山寺の裏に慶光天皇陵があります。宮内庁の説明板はありますが、天皇陵にしては簡単な柵で中が見渡せます。その簡素さから江戸時代だろうとは想像できましたが、それにしても簡素すぎるのと、あんまり聞いたことが無い名前だと思いました。(帰宅してから調べました。江戸幕府から認められなかった天皇=尊号事件の当事者であることがわかりました。この事件のことは記憶にはありましたが、関心はありませんでした)

101209c4

さらに傍らに墓地がありました。皇子、皇女、公家の集団墓地になっていました。初めてみました。墓地の東側に秀吉の御土居が残っていました。
陵を出て染井を通って御苑へ入りました。

101209c5

“土御門第跡”がありました。藤原道長の邸跡です。“この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば”と謳った所です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東寺と西寺跡(京都旅行)

東寺の五重塔は、京都のシンボル的存在になっていてあまりにも有名です。

101209a1

久し振りに訪れて、境内に礎石が多くあることに気づきました。失われた堂舎も多かったのでしょう。


朱雀大路をはさんで西寺がありました。東寺と共に平安京遷都とほぼ同時に創建されました。東寺が空海(弘法大師)と共に隆盛を続けたのに対して、西寺はいつしか寂れてしまいました。
寺跡は公園と学校などになっていて、ゲートボールのお年寄りや幼稚園児が遊びまわっていました。

101209a2

講堂の土壇が残っています。

101209a3

土壇の上に石碑と礎石が数個あります。

101209a4

園児が礎石に落ち葉を集めて遊んでいました。無邪気な園児とかつての壮大な伽藍の跡の対比が面白かった。落ち葉の無い礎石の写真が欲しかったのですが、まさかのけるわけにはいきませんでした。

101209a5

沢山の観光客が訪れる東寺に対して、西寺を訪れるのは、物好きぐらいなのでしょう。でも国の指定史跡になっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

菅大臣神社と北野天満宮(京都旅行)

菅原道真と云えば天満宮がすぐに連想されます。しかし。良く考えて見れば天満宮は道真が亡くなってから、霊を鎮めるためとして創建されたわけで、道真自身は天満宮とはまったくかかわりが無かったわけです。

101208b2

道真の邸跡に“菅大臣神社”があります。道真の史蹟としては、こちらこそ正統性を持っているわけです。

101208b3

道真産湯の井戸が社の脇にあります。真偽のほどは・・・・。

101208b1

少し離れた所に邸跡の石碑もあります。


北野天満宮

101208b4

北野天満宮に行きますと、秀吉が作った“御土居”の紅葉が盛りで入場料300円でお菓子の引換券にもなっています。京都の周囲をぐるっとめぐらした土塁の御土居はこの北野天満宮では随分高くなっています。

101208b5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

船岡山・六角堂・神泉苑・羅城門跡(京都旅行)

平安京の広がりを確認したいということで、都城造りの基点となった船岡山へ、

101208a1

頂上にあるこの岩から街作りが始まりました。磐座だったというから近辺には弥生、古墳時代の祭祀跡もあった可能性はあるのでしょうが、歴史の長い京都ではその時代の遺跡はまず見つからないのでしょう。先っぽに触ってみました。考えることは同じようで、多くの人が触っているようでテカテカしていました。

101208a4

南の境界は羅城門です。石碑の横に説明板がありました。発掘調査はなされていないとありました。

101208a2

そして都城の真中は神泉苑、桓武天皇をはじめ宴の跡であり、空海が雨乞いをし、義経が静御前と出会った場所です。元々の神泉苑はもっと大きく、二条城の方まで広がっていました。

101208a3

中心と云うことでは、六角堂に京の“へそ石”があります。いつ頃からあるのでしょうか?
この“へそ石”は道路にあったので明治になって現在地に少し移動したそうです。“へそ”と云う割には軽い感じがしないではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

京都旅行(12月7日)

東寺
羅城門跡
西寺跡
新熊野(いまぐまの)神社・後白河法皇手植えの松、足利義満、世阿弥の出会いの場
法住持・後白河法皇陵
養源院・伏見城遺構・染めの天井
豊国神社・宝物館
廬山寺・慶光天皇陵
梨木神社・染井の井戸
神泉苑

101207a1

染井は、京都三大名水の一つで、現に湧出しているのはこの井戸だけだそうです。2リットルのペットボトルに10本以上水を詰めている方に「持ち帰って生でお飲みになるのですか?」と聞きました。「そうです。おいしいでっせ」(こんな感じの京ことばでした。)ちょうどそこへ嫁さんから「いつ帰るの? 頼んだところにお土産は送った? 我が家の分は買った?」の電話がありました。
「京都御所のまたとない名水を今詰めたところ」と返事をすると「それで終わりにしないでね」と、私ならやりかねないと思っているようでした。・・・・・私的にはこの上ないお土産だと思うのですがねえ・・・・。

今日ちょっと驚いたのが、皇族・公家のまさに集団墓地と云ったところに出くわしたことです。さすがは京都

西寺跡の幼稚園児、後白河院、血染めの天井、秀吉の歯、秀頼の手形、・・・・今回の旅行も楽しかった。まあ、行く所を自分で決めるから当たり前なのですが、過去にすーっと飛んで行けたり、感じるところがあったりしました。(個々の史蹟は稿をあらためます)

最後に神泉苑で〆たのは、神泉苑が平安時代の平安京の片鱗があることと、学生時代にサークルの旅行で、飛鳥を巡っている時に、父が亡くなり次の予定地の神泉苑へは行けなくなってしまって以来個人的に思い入れのある地でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

京都旅行

実は、5日の西京極競技場でのラグビー観戦の後、京都に居残っています。明日夜に帰宅します。
5日のラグビーの後は、菅原道真邸跡(菅大臣神社)と本能寺跡に行ってきました。夜は先斗町の石碑(龍炉馬暗殺の近江屋跡など)をあらためて巡りました。

今日は、六角堂→以仁王邸跡→応仁の乱勃発地→相国寺→薩摩藩邸発掘現場(同志社大学)→持明院跡→室町幕府跡→山名宗全邸跡→北野天満宮(御土居)→千本閻魔堂→船岡山

京都旅行というと神社仏閣名園巡りになりがちです。今回のテーマはしっかり歴史の跡を見ることです。スタートの六角堂には「京都のへそ」があり、最後の船岡山には「京都の基点」があります。

昼食は同志社大学の学食で親子丼とコーヒーゼリーをいただきました。嫁さんに「旅先の土地々々のおいしいものを食べるということをしない人ね。」とよく言われます。まったくその通りでグルメではありません。今日の昼食570円?か600円?そんなもんです。安上がりです。これが私にとっては京の味です。

20101206a1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラグビー トップリーグ第9節 in西京極

004

第一試合のクボタvsヤマハは前日のトヨタvs東芝戦と同様、最終盤にドラマがありました。
20-15とリードしたクボタは37分にほぼ正面の位置でPGをもらいます。これで勝利は決まったかと思ったのですが、外してしまいます。ヤマハはここからボールをつなぎ一気にトライ、ゴールも決まって20-22と逆転しました。
タイムアップのホーンが鳴ってラスト1プレーでクボタのキックオフですが、ヤマハがボールを確保しました。誰もがこれで終わりと思ったら、確保したボールを五郎丸選手が、外へ蹴出さずにクボタ陣に蹴ってしまいカウンターを食らいました。その後、何とかヤマハが逃げ切りました。
五郎丸選手が横か後ろに蹴っていれば終わりだったのですが、多分ミスキック?なのだろうとは思いますが、体は横を向いていませんでした。
クボタは、悪質ではないのですがタックルが高めで2回シンビンを出しました。気持ちが先行してしてしまったのでしょうか、ほぼ掌中にした勝利を逃しました。

015

第2試合はサントリーvs近鉄
前半3トライで24-3とサントリーリード出迎えた33分長友選手が自陣22メーターの内側でインターセプトをしたのですが、これがオフサイド。しかもここまで再三オフサイドをしていたため反則の繰り返しでシンビンになってしまいます。近鉄はこの間モールを押し込んでトライをあげ、前半終了間際にもPGを決め24-13と追い上げます。
前半の20分過ぎからは近鉄の時間帯で、後半の立ち上がりも近鉄でしたが、9分に正面付近でパスを受けたサントリーのトゥシ・ピシ選手がクロスに切れ込んで左にトライを決めると、その後も4トライを追加して57-13で近鉄を下しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トヨタvs東芝 ラグビートップリーグ第9節 瑞穂

試合の最後に思いもよらない展開が待っていました。
34対28となってタイムアップのフォーンがなりました。もうトヨタ・ベルブリッツの勝利です。トヨタファンから歓声があがりました。ボールはトヨタのアイイ選手の足元にありました。ゴールポストのほぼ正面からのペナルティーゴールです。3点を入れて東芝の勝ち点を2から1におさえることになります。
ボールはポストからそれ、得点はなりませんでした。

20101204c2

インゴールでボールをキャッチした東芝はここからカウンター攻撃であっという間にトヨタのゴールラインに殺到します。フェイズを重ねて攻める東芝でしたが、ゴールラインをついに割ることはできませんでした。電光掲示板の時計は48分を指していました。
トヨタはアイイ選手の判断の良さが光りました。そしてイエーツを東芝は止めることができませんでした。

20101204c1

久々に登場した東芝のSH・吉田朋生選手

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日は、熱田神宮周辺の史跡めぐり(源頼朝産湯の井戸)

今日は、ラグビーの試合前に熱田神宮周辺の史跡を巡りました。
高座結御子神社(と古墳群・・・と言っても残っているのは1基のみ)→旗屋小学校武家屋敷門跡→断夫山古墳→白鳥古墳→頼朝産湯の井戸→熱田神宮(信長塀、宝物館など)→七里の渡し

20101204a1_2

“源頼朝の産湯の井戸”は熱田神宮と国道を隔てた誓願寺にあります。お寺の方と思しき方が落ち葉を掃き清めていました。「頼朝公の産湯の井戸を拝見したいのですが」と私が訪ねましたら、一瞬間があって「ああ、空井戸ね。どうぞ」とのご返事でした。あまり訪ねてくる人もいないのでしょう。
頼朝の墓でさえどうなったのか定かではないのに、産湯の井戸が残っているなど、私だって信じていません。おおかた江戸時代にでも、それらしく作られたのでしょう。ですが、あっさり「から井戸」と言われたのは興ざめでした。
頼朝の母が熱田神宮の宮司の娘で屋敷がこのあたりにあったということが根拠なのでしょう。その限りにおいては納得なのですが。
ちなみに鎌倉にある国指定史跡の源頼朝の墓は江戸時代にこの辺だっただろうと薩摩の島津氏によってたてられました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

吉村昭作“長英逃亡”と高野長英の隠れ家跡

映画“桜田門外ノ変”は、吉村昭の原作を映像にすることにある意味見事に失敗した作品です。吉村作品は“逃亡”を扱った作品が多くあります。個人の思いと時代と社会体制の狭間で“逃亡”となるのですが、映画にするには難しいテーマだったのでしょう。映画を見た人の感想では大老暗殺に焦点が集まりすぎて、その後の“逃亡”への深みがまったくありませんでした。
“逃亡”は気が重い主題です。以前に「長英逃亡」をちょっとだけ読んでやめて読了していませんでした。“桜田門外ノ変”を契機に再度チャレンジしました。今回も何ページか読んで気が重くなりかけたのですが、「覚悟を決め」読み進め2日程で読み終えました。小説を読むのに「覚悟を決めなければならない」作品は、少なくとも私には他にはありませんでした。
これまた逃亡の“彦九郎山河”も続けて読みました。“長英逃亡”で洗脳されてしまったのか?これまたあっという間に読みました。

“長英逃亡”の大まかなあらすじ
江戸時代末期、当代きっての蘭方医・蘭学者の高野長英が政争の犠牲で牢に収監され、牢名主にまでなります。蘭学への思いから、牢に放火させて脱獄します。東北から中国四国まで逃亡します。一時大名家に雇われたり、薬品で顔をやけどさせて素顔を隠したりたりするのですが、脱獄から11年後に捕われて、その場で亡くなります。

高野長英については簡単な知識はありましたが、「こんなにも壮絶な人生があった。」とはショックでした。それを今まで知らなかったショックもありました。覚悟を決めて読んで良かったと思いました。

実は、さらにショックが続きました。
私は秩父宮ラグビー場へは渋谷駅から宮益坂、青山通りを歩いてゆきます。国連大学前のファーマーズ・マーケットを覗きながらです。年に軽く20回は往復します。なんと、長英が捕らえられ亡くなった場所が青山通りにあるのです。ただしいつも私が歩く反対側です。一体何回素通りしてしまったのか。

長英の隠れ家は“青山百人町の小島勘次郎の持ち家の離れ”です。

101127c2

今はスパイラルホールになっています。

101127c3

ホールの左手の壁に石碑が埋め込まれています。石碑はビルを建てた時少し移動したようです。

101127c1

青山5丁目の交差点にある地図に記載されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

JAZZ LIVE at STB139

101130a1

昨日は六本木のスイートベイジル139で前田憲男&ウィンドブレーカーズの結成30周年記念ライブを聴きに行きました。30年・・・・・息の長い活動です。テナーサックスの特別ゲスト、お名前は、ゴメンナサイ?CDを一枚もらっちゃいました。チーズがおいしかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »