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2010年11月

NECvs神戸製鋼 ラグビートップリーグ第8節

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開始3分、神戸はラインアウトを基点にボールを中央に廻してにグラント選手がポール中央にトライします。NECは24分にPG、そして36分には神戸陣へ10メートル程入った所からロビンスがドロップゴールを決め、前半は NEC 6-7 神戸 の僅差で折り返します。
後半に入るとボールを支配したのは神戸でした。後半12分、NECの22メートルラインに攻め込んだ神戸は、中央でグラント選手がパスダミーから飛び込んで6-14とリードします。18分にもNECは自陣深く攻め込まれ、ロビンス選手が右サイドから左サイドへ大きくキックパスをします。このパスに大畑選手が絡みボールを奪って右隅にトライを決めました。
NECは25分に神戸の22メートルラインに入ったのが後半唯一のチャンスでした。モールで攻めますが2度止まり、ボールを出せず、結局ノートライに押えこまれました。NEC 6-30 で神戸の快勝でした。
後半29分に退いた大畑選手に大きな拍手が送られましたが、「ゲームを見て」と両手でグラウンドを指していました。

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試合後声援に応える大畑選手

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お子さん向けのゲームや、チアーガールの出演で5千人を超す観客で盛り上げたNECですが、試合は神戸の快勝でした。

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リコーvsトヨタ自動車 ラグビートップリーグ第8節

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トヨタ自動車は12分にアイイのゲインから水野が先制のトライ。17分にモールを押し込んで14-0とリードします。リコーは2PGで追い前半はトヨタ14-6リコーで折り返します。

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後半リコーは6分に自陣からタマティ・エリソン選手がキックでトヨタ陣内に大きく入ったところでエリソン選手が自らセービングし、このあと左に振って金澤選手がトライ、ゴールも決まって13-14と迫ります。対するトヨタは14分モールを押し込んでトライを上げます、離しにかかります。

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後半20分に選手交代で入ったリコーのキニキニラウ選手がトヨタトヨタ陣を切り裂いて中央にトライ、ゴールも決まって逆転します。
なおも攻勢に出るリコーでしたが、トヨタは中央付近でペナルティーを得るとリコー陣に攻め込み30分にイエーツ選手が右サイドに飛び込んでコンバージョンも決め逆転して29-26で逃げ切りました。
リコーはラインアウトが不安定だったのと、後半30分の中央付近でFWで攻めてペナルティーをとられましたが、意図が良くわからない攻撃でした。バックス戦では優位だっただけに惜しまれます。
トヨタでは、アイイ選手の動きが良かったです。そのアイイ選手が軽く蹴出したボールが2,3歳の女の子に当たってしまいました。ハッとしました。アイイ選手は「ごめんなさい」と手を合わせていましたが、勿論アイイ選手に責任があるわけではありません。女の子は大したことがなかったようで良かったのですが、小さなお子さんを離れた所に1人ポツンと置いておく事はしないように気をつけるべきでしょう。

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サントリーvsNTTコミュ ラグビートップリーグ第8節

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試合の立ち上がりからサントリーは自陣からボールを廻し、1分、6分にトライを奪います。今シーズン目指していた、ボールを蹴らずに廻して攻めるスタイル全開の速攻でした。ボールを廻して廻してほとんどミスをしなかったのは見事でした。
この試合、NTTコミュは一体何点取られるのか、一方的になるのではないかと思われましたが、12分、16分にPGを返し、試合は少し落ち着きます。前半のスコアはサントリー31-6NTTコミュ。
後半の入りはNTTコミュが5分にPGを決め、10分に石神選手が右サイドにトライをしますがサントリーが3トライを上げてNTTコミュは及びませんでした。ファイナルスコアはサントリー50-14NTTコミュでした。
NTTコミュのマーク・ジェラード選手は、インゴールに入ったサントリーの選手にグランディングを防いだ上に押し返していました。来季は南半球のスーパーラグビーでプレイするため今季限りで見納めになってしまいます。

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グレーガン選手も今シーズンまでです。

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ハーフタイムにNTTコミュのチアーガールとキャラクターが応援に登場しました。キャラクターの名前は“コミュちゃん”?でしょうか。

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大丈夫?海老さま

ニュースによると、海老蔵さんが、殴られて目の周りは腫れて、鼻と顎を骨折して前歯が折れたとのこと。役者は顔が命ですから心配です。
新春1月の舞台では口上もあり、チケットも既に販売されています。元気に舞台に立ってもらいたいです。
それにしてもお酒を飲んで怪我を負わされるなんてことは、役者としてはやっちゃあいけないことです。

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男子7人制ラグビーアジア大会 金メダル

怪我人も多く出て、選手の皆さん大変だったと思いますが、確かな結果を出しました。
おめでとうございます。
ニュースで長友選手の決勝トライは見ましたが、もう少しじっくり見れるのかとBSの番組を見ていたのですが、なかなか出てこないので寝てしまいました。アジア大会で日本が取った何十個の金メダルの中の1個なのでしょうが、もっと大きく扱ってほしいです。
築城選手はシンビンになったせいでしょうか?試合後の写真撮影ではちょっと遠慮気味なような感じでした。そう見えたのは私だけでしょうか?
シンビンは試合の流れの中でのジャッジですから致し方ありません。今回は怪我の選手に代わっての緊急招集で頑張りました。ここまでずーっと7人制のJAPANを支えてきました。感謝です。
築城選手!金メダル似合いますよ。おめでとうございます。!

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興福寺特別公開と国宝館

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東金堂と五重塔の特別公開は昨日で終わりました。塔の初層の公開では、礎石の上にのった心柱の根元を見ることができました。礎石は心柱のための窪みはありませんでした。同じく特別公開された薬師寺の東塔では礎石の部分がまったく見られませんでした。また、廃寺の礎石は数多く見ていましたので、初めて心柱を受けた礎石を見れたのは良い経験になりました。
外人観光客が特別公開のポスターを欲しいと言ったら、受付の方が1枚差し上げていました。「おいくらですか?」と聞いたら、「お金はいらないです。内緒です。」と云っていました。外人観光客は勿論喜んでいたのですが、きっとお金を出すつもりでいたようですので、無料だったことではなく、手に入れたことがうれしかったのだと思います。私もポスターが好きですので、気持ちがわかります。

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(山田寺の仏頭の写真・・・・上野の国立博物館のレプリカです)国宝館へ回って、阿修羅との対面へとなったのですが、国宝館では山田寺の仏頭が先に安置されているのです。この仏頭を見て思い出してしまいました。
説明板に、“山田寺の本尊だったのを移した。」とあるのです。移したとは事実と異なります。自分のところの本尊がなくなったので僧兵を繰り出して強奪したというのが実態です。興福寺は平安から室町にかけては奈良一円の領主として権勢をほしいままにしていました。その時代の出来事です。結局この仏像も火災に会い、頭部のみが昭和になってから須弥壇の中から発見されるという悲惨な運命を辿りました。本来ここにいるべき仏像ではありません。
元々いた山田寺は、飛鳥にあり蘇我倉山田石川麻呂が643年に建立しました。石川麻呂は大化の改新で同族の蘇我入鹿を殺害する現場で入鹿殺害に一役かっています。そして後に中臣鎌足らによって自ら建てた山田寺で自殺に追い込まれます。この仏頭は悲しすぎる運命を秘めています。

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上野の国立博物館の展覧会から比べると、ぐるっと360°から見れるわけではないのですが、ゆっくり見れました。明治の写真では阿修羅の右前腕は失われ、左前腕は少し歪んでいますので、真正面で手を合わせるようには修復は出来なかったのでしょう。その点を除けば修復を感じさせません。もっとも前腕は、手を合わせてはいないという説もあるにはあります。

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ホルテン君 歯を削りました

ホルテン君が私の手をなめたとき、歯が伸びていることに気づきました。食欲も旺盛で元気でしたが、調子が良いうちにと、動物病院に連れて行って歯を削ってもらいました。

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病院から帰るといつもは自分の部屋に閉じこもるのですが、まったくいつもと同じで落ち着いた状態で、眠りに入りました。
夜行性動物ですので、午後11時過ぎから活動が活発になります。おかげで私の生活リズムも夜行性になりがちです。

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八王子“いちょう祭り”

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20日、21日と31回を迎えた“いちょう祭り”は良い天気に恵まれて、かなり人出が多く、おそらく30万人以上の人出があったと思われます。旧宮廷駅跡地と御陵の公園をメインエリアとして、銀杏並木の甲州街道の沿道には露店が続きました。

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今日はクラシックカーのパレードがありました。

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長安寺です。
佐渡金山奉行を務めるなど、甲斐・武田家の遺臣で、徳川幕府草創時の財政をになった大久保石見守長安を祀っています。徳川に多大なる貢献をしましたが、不正蓄財があったとして死後墓場から遺体を掘り起こされて斬首され、遺児は処刑されました。権力闘争の凄惨な結末です。
いちょう祭りの手形ラリーの関所となっていました。

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NHK TV 「鴎外の恋人 ~百二十年後の真実~」

森鴎外の「舞姫」の主人公“エリス”には実在したモデルがいたと云われ、その人物を追ったNHKハイビジョン特集の1時間30分のドキュメンタリを見ました。
ベールに包まれた恋人をさまざまな記録、文書から解き明かし、そしてドイツ在住のお孫さんにまで行きつく番組は、見応えがありました。秀作です。

高校時代の国語の時間に「舞姫」を題材にクラスで討論した記憶が今でも残っています。活発な討論の中で、級友の一人の「エリスを愛してはいなかった。と作者自身が云っている。」の一言で討論がシーンと押し黙ってしまった時に、先生が「小説だから、その言葉にとらわれる必要はないですよ。」と云ったのです。
この番組を見ながらその事を思い出しながら、鴎外はひょっとして“一生心の傷を持ち続けたのでは?”と思いました。
私は、エリスは鴎外を追って日本に来たと思っていましたが、番組では鴎外の意思で日本に連れてきたということになっています。すると数十年前の級友の一言はどこから出たのか?新たな疑問として沸いてきました。

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“東大寺大仏”展

上野の国立博物館の“東大寺大仏”を見てきました。先月の奈良旅行で転害門に興味を持ったので、何かヒントはあるのかな?と思って見ていました。756年の東大寺の図では、「転害門」ではなく「佐保路(さほろ)門」となっていました。本来こちらの名称の方が自然だと思います。転害とは「碾磑(てんがい)」で石臼のことです。何か特筆に値する石臼がこの門の近くに合ったようなのですが、展覧会では転害門にはまったく触れられていません。ただ、食堂(じきどう)跡から出土した碾磑の欠けらが出品されていました。
天理参考館で東大寺山古墳出土の2世紀の銘が入った剣を見てきました。また、大仏様の膝下から陽宝剣、陰宝剣が1250年ぶりに発見されて話題になりました。今回展示されている剣にも銘の可能性があるのでは、という向きもありましたが、剣の背中ならば可能性は少ないだろうと感じました。

正倉院宝物から、大仏開眼供養会の時に瞳を描いた筆と墨、それに筆から引かれた”ひも”が色鮮やかなまま出品されていました。天皇、皇后もこのひもに手を添えたものです。開眼の時の臨場感が1200年超の時空を超えて伝わってきました。見ごたえのある展覧会でした。

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1階には大仏の右手の実物大レプリカがおいてありました。

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顔見世大歌舞伎“天衣紛上野初花”

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11月の新橋演舞場の顔見世歌舞伎は天衣紛上野初花“くもにまごう うえののはつはな”と云う演目です。
河内山宗俊(幸四郎)が、商家の娘が奉公先に上がった大名に妾になれと迫られているのを宗俊が寛永寺の使いと偽って救う話と、直次郎(菊五郎)と恋人で遊女の話の二つが柱になっています。
河内山宗俊の話では、権力をかざす大名・武士をぎゃふんと言わせて溜飲を下げる江戸時代の町人の姿が容易に想像できます。
お芝居を楽しむという意味で、この演目のように通し狂言は、場面場面の型を楽しむ他に、お芝居の展開を十分に楽しむ良さがあります。台詞もそれほど難しくなく音声ガイドが無くても楽しめます。ただ、音声ガイドには江戸時代の作法、風習などの解説がありますので聞く価値は十分にありました。

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売店には、来年の干支の兎をあしらったものが多くだされていて年の暮が近づいてきたことを感じさせられました。来月は演舞場での歌舞伎興行はありません。

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JAZZ Live

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昨日は、田端でジャズのライブを楽しみました。猪俣猛さん、前田憲男さん、荒川康男さんのグループ“We3”です。3人あわせて二百歳を超えると自己紹介で始まりましたが、気軽で良かったです。あわせて二百歳を超えても元気元気、年齢を感じさせないライブでした。
冷たい雨も降って、外は寒かったです。ライブが終わった後、場所を移してお酒を飲んでいたのですが、隣の席に前田憲男さんがちょうどやってきました。「先ほどはどうもありがとうございました。」と兄嫁がさらっとご挨拶のみ。演奏がおわればプライベートですから。

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旅の伴は、LibrettoからDynabookへ

11日に八王子駅南口にビックカメラがオープン、さらに同じ日ノジマもオープンしてヨドバシ、ジョーシン、コジマの既存店も巻き込んで家電量販店戦争が起きたような感じになりました。ビックカメラは一時入店するのに列を作って待ち、会計するのにも長蛇の列と、盛況でした。目玉商品に開店前からこれまた行列、抽選の商品もありました。
でも、「そんなに安くはない。」と云うのが私の感想です。私の基準は、価格.comのお値段ですから、そこと比較して抽選で買うほどの値段ではないだろうとの判断です。

エアコンのリモコンの注文依頼で、12日に北口のヨドバシにゆきました。ついでに店内をぶらぶら、さすがに店内はスカスカでした。パソコン売り場にいったら夏モデルのモバイルのDynabookが八王子店限定特価で売り込みしていました。かなり安い感じので、そばのカタログで仕様を確認しつつ「マイクロオフィスは2年ライセンスですか?」と聞いたところ「いいえ、フルライセンスです。」いけそうだなと思っていたら、「価格.comより安いですよ」とグットくる一言がありました。新型リブレットが、来年になって、値がこなれてきたら買い換えようと思っていましたが、魅力的な値段に即決購入しました。
家に帰ってきて価格.comをチェックしたら、ギリギリ安いなんてもんじゃなくてポイントを引く前の価格で既に10%以上安く、ポイントを考慮するとなんと24%も安いというぶっちぎりの価格でした。いずれ値段は落ち着いてくるのでしょうが、良い買い物でした。
ハードディスクはいかがですかと勧められましたが、旅行用なので必要ありませんし、5年保証も薦められましたが、1メートルの所から落としたり、椅子の上に置いて腰かけてしまっても大丈夫でしたので、その必要も無しと、お店にとっては上客ではなかったかな?

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青いリブレットから赤いダイナブックへ、どちらもいい色です。旅の欠かせない伴になります。

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東大寺・転害門(てがいもん)と戒壇院

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東大寺で奈良時代から残っている数少ない建物の一つです。1200年は経っているわけです。風雨にさらされているわけですから創建時の木材、瓦がそのままというわけではないのでしょうから火災や地震の災害を免れた建物と云う方が正確な表現かもしれません。

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由緒正しい建物ということでしょうか、中世には神輿を遷座するところとして使われ、門の中央に神輿を置くための4ケの石があります。

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ふと、足元を見ると基壇の石に穴がいくつかあいていました。位置からして雨だれによって浸食されてくぼんだように見えます。「1200年はすごい!」と感激しました。風化が進んでいない石もありますので、いつの時点か補修されて交換された石なのでしょう。

ところが、翌日の橿原考古研の特別展を見て、別の見方もあると思いました。扉軸の軸受け穴を穿った石が展示されていて、良く似ているのです。神輿に関連して、扉を設けた時期があったのか?あるいは、扉軸の敷石を転用してこちらに持ってきたのか?そうした可能性も考えられると今では思っています。

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次に廻った戒壇院で「戒壇の石は創建時のものですか?後に補修などされていますか?」と、思わずお寺の方に聞いてしまいました。転害門で石が気になった事と、戒壇は堂宇の中にあるので風化の進みは考えなくても良いので、創建時のものが残っているのだろうと思ったからです。何しろ聖武天皇が鑑真から戒を受けた場所ですので、思いをはせるためにも私にとっては大切な質問だったのですが、お答えは「漆喰は勿論塗り直していますが・・・・石は・・・・?」と、なにを聞きたいのだろう?と云った顔でした。

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ラグビー日本代表サイン入りフライヤー

日本代表対サモア、ロシア戦の会場でJRFUメンバーズに“日本代表直筆サイン入りフライヤーを先着でプレゼントします”と携帯電話に来た時、「フライヤーって何?」と思ったものです。チラシとかビラと云う意味なんですね。
表側がテストマッチのポスターと意匠が同じで、裏側に選手のサインがしてあります。大きさは、はがきのほぼ二倍の大きさです。

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ロシア戦でもらったのはマイケル・リーチ選手のサインでした。
ロシア戦では良い動きをしていました。来年はトップリーグ、そしてワールドカップで活躍が見られるでしょう。

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ノーサイドプロジェクト2010秋 キックオフ

11月6日のロシア戦のあと、午後6時からホテルフロラシオン青山で“ノーサイドプロジェクト2010秋”が開催されました。村上晃一さんと有働さんの司会で始まりました。

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カーワンヘッドコーチを先頭に日本代表選手が入場するとわきあがりました。ロシアに圧勝しましたからなおのこと盛り上がりました。

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ロシア戦のレフェリーの皆さんまで参加したのにはびっくりしました。泰三さんが通訳をしていました。

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トークイベントは霜村さん(三洋)、廣瀬さん、富岡さん(東芝)で、楽しい話の連続でした。会場で参加者に会員証が発行されたのですが3選手も入会し、会員証を見せてくれました。鉄平さん、ジャンケンも強い!

クイズ大会、じゃんけん大会ではニュージーランド往復航空券も出てました。
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多くの鉄平さんのファンの中、鉄平さんが持ってきたブレーブルーパスのプラクティスジャージはなんと私がゲットです。サインも入れてもらって、超ラッキー

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ワールドカップ・ニュージーランド大会のプロモーションビデオが流されて、リッチマコウさん他、選手がアピールしていました。
会場は満員になり、大いに盛り上がって予定より30分ほど延びて9時頃まで続きました。
私は、幹事さん・ボランティアの皆さんに敬意を表してほんのささやかに協賛させてもらったのですが、協賛の輪が大きく広がることを願っています。そして、あらためてイベントを支えた幹事さん、ボランティアの皆さんがたいへん頑張っていたことが良くわかりました。

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ラグビー 日本vsロシア戦 会場イベント(秩父宮ラグビー場)

先週はあいにくの台風の影響でイベントが縮小されましたが、6日は多くのラグビーファンがリポビタンDチャレンジのイベントを楽しんでいました。
「ファイト!いっぱーつ!」と声をかけるとリポビタンが1本無料で飲めます。

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小野沢選手、五郎丸選手はじめ代表選手も掛け声をかけていました。アトラクションゲームでスタンプを3個集めると抽選が出来ます。

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アトラクションゲームの一つ
リポビタンDの置物の間を抜いてゆきます。きちんとタイムも計測していました。

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今回は抽選でTシャツが当たりました。左の“23”と書いてあるのはアトラクションとは関係なく、チケット購入特典のトートバックです。

アトラクションゲームに試合直前まで参加していて、スタンプが2個だったので試合後もう一つに参加したのですが、無料試飲からスタートするので、そちらへ誘導されて、結局試合前に1本、試合後に1本試飲しました。

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ラグビーテストマッチ 日本、ロシアに大勝

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《国歌斉唱》
国と国の戦いであるテストマッチは、何よりも“勝利”に価値があります。この試合、日本代表は、「攻める」意識で統一されていました。

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ロシアの選手がつめていてもロシア選手の頭を超えてのクイックスローで積極的に攻めました。「さあ、セットに入ろうかと思ったらもうリスタートしていた。」そんな表情がロシアの選手に見てとれました。

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ロシアが日本のゴールラインに迫ったのは二回ほどでしたが、ディフェンスが揃っていてゴールラインを割られる雰囲気はありませんでした。

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エキサイトするシーン。襟をつかむまでは暴力ではありません。
このプレートは関係ありませんが、後半24分に守勢一方の展開にイラついたメドコフ選手が危険なプレーでシンビンになっています。

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初キャップの田邉選手
 難しい角度のコンバージョンが多くありましたが10本決めました。

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この試合も活躍した平選手ですがタックルに行って首がロシアの選手の胸に入りタンカーで運ばれ心配しました。タックルされたロシア選手が、「ごめんなさい」というジェスチャーを送っていました。流れの中でのことでロシアの選手に責任があるわけではありませんが激しいプレーの中で出た自然な動作でした。
平選手は試合終了後には元気な顔でファンに挨拶していました。ほっとしました。
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がっくり膝をつくロシア選手
タイムアップのホーンが鳴っても攻め続けてトライをあげ75-3(前半35-3)でロシアをノートライに押えこみ圧勝しました。

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頭塔(奈良市高畑町)

奈良のピラミッドとテレビで紹介されてびっくりしていました。以前に行ったのが学生時代で発掘調査の前でした。その時とはあまりに違っていました。復元されたのは半分だけですので、半分は以前のままでした。奈良時代の僧玄昉の墓という伝承がありましたが、東大寺の僧実忠が築いた土塔と考えられています。

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復元された部分

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発掘調査時

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以前のままの半分です。こんもりした小山の木々の間に石仏が残っています

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現地にあった復元予想図、現在の復元状態は瓦屋根の部分が石仏の部分に限られています。たまたま女子大のグループが先生に説明を受けていましたので、便乗して聞きながら、なおかつ「瓦が復元されていますが、発掘調査の時、瓦はここから出土したのですか?」と遠慮なく聞きました。お答えは、ここから出土しているそうです。また、現在頂上に立っている五輪塔は江戸時代のものだそうです。(10月21日)

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元興寺屋根裏探検

元興寺は日本最初の寺院である飛鳥寺が平城京に移して建立されました。

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元興寺の屋根の一部に飛鳥寺で使われた日本最初の瓦が今も使われています。

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よく見ると瓦の葺き方が後世とは違っています。右側が古来の葺き方です。


事前の申し込みが必要だったのですが、平日ということもあって欠員があって屋根裏に入ることができました。

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ヘルメットと懐中電灯を貸してもらいました。

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飛鳥時代の創建時の部材が移築されて使われていました。天武朝、奈良時代、平安時代、鎌倉時代と改修された時期の部材がそれぞれ見れました。鎌倉時代がなにか新しく感じました。

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床下の古い時代の礎石も公開されていました。右上が現在の礎石です。

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ノーサイドプロジェクトのイベント

“ラグビーファンにできることは何か、一緒に考え、互いを尊重し合い、結束を固めましょう。そして、一人でも多くの仲間を増やしましょう。”の理念のもと、
ファンの手で日本ラグビーを盛り上げる「ノーサイド・プロジェクト」が始動しました


11月6日の日本代表vsロシア代表戦のあと(会場受付17:30~)、東芝の冨岡鉄平、廣瀬俊朗、三洋電機の霜村誠一3選手をメインゲストにトークイベントがあります。日本代表選手もほぼ全員来場の予定です。

ノーサイドプロジェクトのブログはこちらです→http://ameblo.jp/noside-pj/
参加申し込みはこちらから→http://www.sportsclick.jp/p/seminar/rugby/noside_2010aut/index.html

日本ラグビーを盛り上げましょう。

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大和三山登破

10月22日に大和三山を登破しました。三山とも道が整備されていて散歩感覚で登れます。

畝傍山(198.5メートル)です。橿原神宮の参道の途中から登ります。登り口に案内板があります。時計回りで山を一廻りして頂上に着きます。ぐるっと廻ったっため、着いた時は方向感覚が無くなり一瞬どっちが明日香なのかわかりませんでした。

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頂上にはハイカーが10人ほどいました。地元の人が眺望がきくように枝を切ってくれていましたので二上山、奈良市内方面さらに耳成山、天香具山も見えます。

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畝傍山から見た耳成山です。右奥に箸墓も見えます。

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畝傍山から見た天香具山です。手前は藤原京跡になります。

耳成山(139.2メートル)は反時計回りに、まるで蚊取線香のように時計回りに二廻り半します。下りは神社の参道を下りましたので早かったのですが、上りも参道を登ったら時間が1/3に短縮できます。頂上からは眺望は効きません。

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頂上付近の草むらでゴルフの練習をしている人がいました。なんでここ?

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登山道の途中から見た畝傍山です。参道を使った場合はなにも見えませんし、天香具山は木々が邪魔してまったく見えません。

天香具山(152メートル)の高さは耳成山より高いのですが、登り道の延長は半分もありません。来てわかったことですが、高さの表示で、畝傍山と耳成山は小数点以下がついています。これは独立した峰になっていて三角点があります。が、天香具山は尾根の先のようになっていて三角点はありません。その結果です。

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頂上には小さな社があります。

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畝傍山は見えるように枝を切ってあります。しかし耳成山は見えません。

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本薬師寺跡(藤原京)

本薬師寺(もとやくしじ)は指定史跡ですから何十年前とほとんどかわりません。

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一つだけ違っていたのは、地元の小学生が植えた“ほていあおい”が咲き誇っていたことぐらいでした。手前西塔跡の向こうは畝傍山です。

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金堂跡の礎石群です。

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西塔の心礎石です。礎石の中央が凸になっています。

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東塔の心礎石です。礎石の中央が凹になっています。同じ心礎石なのにこうした違いがあるのは、仏舎利の置いた場所が違うためです。窪みにも“ほていあおい”が咲いていました。

奈良西の京にある薬師寺のルーツあたる寺です。

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藤原京廃都1300年

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平城遷都1300年ということは、よく考えれば藤原京廃都1300年になるということです。まあ、よく考えなくともそうなのでしょうが、大和三山はじめ久々に藤原京を巡ってきました。大宮土壇は昔のままの様な気がします。

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朱雀門、朝堂院などで、赤い柱を置いてわかるようにしています。

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発掘は現在も続いています。
朱雀大路跡では大路の幅の広さと側溝が復元されていました。

橿原考古学研究所“奈良時代の匠たち---大寺建立の考古学---”
明日香から藤原京そして平城京と寺院が移っていったことへのタイムリーな特別展でした。唐招提寺の“支輪板”がどこに使われていたのかわからなかったので、「学芸員ではなさそうなので大丈夫か?」と、おそれ恐れボランティアらしきおばさんに聞きました聞いたところ、バッチリの回答をもらいました。
東大寺・転害門で気づいたことの回答も見つけましたし、元興寺(旧飛鳥寺)の屋根裏に入ったことなどもああり、寺院建築への知識が深まりました。

藤原京資料室
一部屋のコンパクトな資料室で、入場無料です。

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大きな模型とビデオで藤原京を紹介しています。
藤原京は、大極殿などの都の中心部から川が流れるのではなく、下京地区から中心部へ流れています。大切な水がこのように流れるのは不都合だったでしょう。

奈良文化財研究所飛鳥資料館
入場無料です。甘樫丘東麓遺跡をはじめ、最新の発掘調査の情報に接することができます。屋外展示もあります。見学していたらベルが鳴りました。閉館には早いと思って時計を見たら午後3時15分でした。程なくして発掘調査の作業員の休憩時間の終わりの合図だとわかりました。

続いて天香具山、天岩戸神社、紀寺跡経由で本薬師寺へ向かいました。
(10月22日)

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映画“桜田門外ノ変”は期待外れ

原作者・吉村昭は「歴史小説は、その背景となった時代の性格を裁断するという役割もになっている。方法としては、作者が表面に出て自らの解釈を明確にすることと、史実を記してその判断を読者にゆだねることの二つがある。私は、後者の立場に身をおいているが、それは多分に自分の素質にもとづくやむを得ないものだと思っている。」と語っています。前者の立場とは司馬遼太郎らを指していることは想像に難くありません。
映画では井伊直弼襲撃を冒頭部分に持ってきて、そこに至るまでの過程を時間を戻しながら、襲撃後の逃走と並行して見せる手法をとりました。時系列を無視した手法は事のあらましをわかりにくくしています。予備知識がないと理解しきれないかもしれません。
歴史的事実としての襲撃そのものの評価は別として襲撃に至る思いが伝わってきません。しかも全体として細切れの描写となっていて深みがありません。主人公が九州まで行った逃避行。さらに、最後に捕われたのが茨城から福島を通って新潟まで逃げてのことであったことなど、持病に悩みながらの苦衷が、どこまで表現できていたのか?まったくの消化不足です。
原作者は雪がいつ降り止んだのかを明らかにすることにまで執念を持っていた点は表現していましたが、淡々と事実を追ってゆくことによって時代と人物を描きあげる吉村文学はこの映画からは感じられません。
事件の理解というところでは、大名の登城行列が一種の観光になっていたことが、襲撃側の待ち伏せが怪しまれなかった理由ですが、描写が弱かった。また、襲撃現場と井伊の屋敷が100メートルほどの距離にしか見えないため、なぜ井伊の加勢が来なかったのか?という疑問を感じることになる方もいるでしょう。
時代の雰囲気が感じられ場れば細かいことは良いと思うのですが、それにしても、桜田門に【桜田門】の大きな表札がかかっていたり、薩摩のお屋敷の扉に島津の家紋が大きく描かれていたなどは、ちょっとひどすぎます。
予備知識を持ってから見に行かないと、見るのにちょっとキツイ映画かなと思います。

------史蹟等------

 

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歌川広重《名所江戸百景》
事件の4年ほど前に描かれた井伊家の屋敷と門。事件現場近くの上空から俯瞰した感じになっています。この浮世絵が出された時には、井伊直弼はまだ大老にはなっていません。

 

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絵の中に描かれている門の前にある井戸は十数メートル移動してまだあります。

 

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井伊家の屋敷跡方向から見た(外)桜田門です。
元は加藤清正邸の屋敷でした。井伊邸の後は陸軍参謀本部へ、そして現在は憲政記念館となっています。

 

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直弼の首が捨てられた場所・・・現在ビルの工事中です。

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法華寺阿弥陀浄土院跡(奈良旅行)

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平城京の東院庭園跡の東隣に法華寺阿弥陀浄土院跡はあります。石碑と案内板がなければ通り過ぎるところでした。760年に光明皇后の追善供養のために建立され、一周忌もここで行われました。極楽浄土をあらわした浄土庭園を配した伽藍だそうです。(伽藍配置は調べましたがわかりませんでした)この地は“浄土院”と云う地名で記憶にとどめています。

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田の中に庭園の大きな石がポツンと残っています。整備されたら触れないだろうと稲刈りを終えた田んぼの中に入りました。
ここで、ここに土地を持っていたUさんに1時間ほどお話を聞きました。幼少の頃は、おおきな石は2ケあったような記憶があるそうです。発掘した時の話、現在住宅地になっているところの旧状などを聴く事が出来ました。

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発掘の様子 トレンチ

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出土品 軒の先に付けた金具です。

浄土庭園を持つ寺院としては、平安時代の宇治・平等院が有名です。
これに倣ったのが平泉の毛越寺や無量光院です。さらにこの平泉に倣ったのが福島県いわき市にある白水阿弥陀堂です。平泉の藤原清衡の娘が当地に嫁いできて建立しました。“白水”の名は“平泉の一字「泉」を分解してつけたといわれています。現在は発掘・復元されています。
さらに源頼朝が平泉の藤原氏を滅ぼした時にやはり平泉の堂舎に心を奪われ鎌倉の二階堂に“永福寺(ようふくじ)”を建立しました。二階堂と云う地名は平泉の二階大堂大長寿院から来ています。発掘調査されて史蹟に指定されています。畠山重忠が立てた巨石が残っています。
それにしてもあらためて地名の偉大さを感じます。


奈良→京都・宇治→岩手県・平泉→福島県・いわき市と神奈川県・鎌倉市と浄土庭園の歴史は引き継がれて行きました。

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