一の谷(源平古戦場)
須磨の海岸の西寄りに“源平史跡 戦いの浜”の石碑があります。さらに西には敦盛塚がありますが、戦いの地であることには変わりはないので、“戦いの浜”の碑から崖にかかる道を登りました。
登りきったところに“安徳帝内裏跡伝承地”の碑があります。その横には和宮の像(なぜかこの近くの山から掘り出されたそうな)と安徳宮の小さな社があります。周囲は住宅街になっていますが一の谷を望む台地のひらけた所にあります。なるほどと思わせる立地です。
一の谷は深くて谷の入り口当たりでも10階建てのマンションぐらいの深さがあります。それに谷の入り口が袋の口をすぼめるように狭くなっています。平家が防衛に自信を持っていたというのが現地に来るとよくわかります。
有名な鵯越は一の谷の背後にはありません。どこかで情報が錯綜したのでしょうが、一の谷を背後から突かれたら総崩れになったであろうことは容易に想像できます。
谷の入り口には高さ2メートルを超す磨崖仏があります。谷の奥から土石流となって転がり落ちてきたそうです。源平争乱の時代とは違いますが、源平争乱から800年以上たっています。その間、色々な事が起来ています。す。
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