神戸事件
神戸市の中心に、駅名にもなっている三宮神社があります。神社の角に“史蹟神戸事件発生の地”の石碑が立っています。1868年1月の鳥羽伏見の戦いの数日後の事件でした。備前(岡山)藩は新政府より西宮の警備を命じられ岡山から西宮へ向かっている途中、ここで隊列の前を外国人3人が横切って外国人に負傷者が出たのです。隊列は総勢1800人でした。
フランス兵2名、アメリカ兵1名が隊列を横切った場所は石碑より若干東に寄っています。(グレーに着色した辺り)
これにより神戸は一時外国軍隊の占領することになりました。事件は、諸外国の要求に屈服して砲術隊長の滝善三郎の切腹によって解決が図られます。
能福寺(神戸市兵庫区)には責任をとって切腹した滝善三郎の供養塔があります。滝善三郎が切腹したのは、永福寺で能福寺より道2本隔てたところにありましたが太平洋戦争の空襲で焼け廃寺になりました。供養塔は1949年に現在地に移されました。
遺骸は岡山に運ばれて、お墓は岡山市の東山墓地にあります。藩主(皮肉にも徳川慶喜の弟)はお家大事で説得します。死と引き換えに滝家は五百石加増されています。
切腹は形式化されており、腹を切る前に介錯するようになっていましたが、この時は実際に腹を切ってから介錯されています。抗議を形で表しました。2月9日午後11時過ぎ永福寺本堂でした。
神戸事件で外国部隊が占拠している状態の中で土佐藩が神戸を通過しています。錦の御旗を奪われるという失態がありました。後に土佐藩とフランス水兵との堺事件につながって行きます。
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