広島城その2(広島旅行7)
広島城で刻印が多くみられる石垣が2か所あります。私が確認できたのは7~8ケでした。名古屋城天守閣の石垣には名前が刻まれた石があるのが有名ですし、江戸城は刻印の宝庫です。全国の大名を動員して作らせました(天下普請)ので、各大名の受け持ちを示す刻印があります。広島城の刻印にはどんな意味があるのか?ちょっと私にはわかりません。
毛利輝元は関ヶ原の合戦で西軍の大将でしたのでこの城を築いて10年後にはこの城を追われました。まあ、大将と云っても関ヶ原の合戦では大阪城にいましたし、関ヶ原にいた部下の吉川は徳川に内通して全く動かず、小早川の裏切り以上の裏切りだったと私は思っています。毛利の後にこの城に入った福島正則は家康の思惑を見抜けず結果的には豊臣滅亡に手を貸しました。「感情のままに行動したバカ武将」です。徳川の世になって、この城の石垣の“無断修理?”をきっかけに事実上お取りつぶしになりました。城内に福島正則が破却した跡と伝えられる壊れた石垣があります。 冷やかに見てきました。
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