« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月

ラグビー 三洋vs神戸製鋼 トップリーグ第8節(11月28日 秩父宮)

091128a 三洋ワイルドナイツ 大勝
ほぼ1ケ月のインターバルがあって、28日トップリーグが後半戦に入りました。後半開幕戦は1位の三洋に4位の神戸が挑むかたちでしたので神戸が先制をしなければいけなかったのでしょうが11分に三洋が先制し、さらに23分神戸ゴール正面で三洋・ブラウン選手の絶妙なバックパスを受けた三宅選手がポストの真ん中にトライ(写真)し加点します。今日は、神戸さんの応援サイドに入りました。周りは神戸選手の入場エスコートを務めたお子さんとご家族でした。このパスには神戸ファンも、うなっていました。そして、この後もうなるシーンの連続でした。前半で22-0 神戸の前半にはチャンスらしいチャンスはありませんでした。
後半12分に神戸松原選手がモールからボールを運んでトライかと思われたのですが、直前のマパカイトロ選手のパンチングの反則(マパカイトロ選手はシンビン)でトライは認められません。一方的な展開になっていましたので神戸ファンから相田レフェリーに「空気を読んでや」お願いともつかない声が飛びましたが、レフェリーが空気を読むことなどあろうはずもありません。終了3分前に5mスクラムから押し込んで零封を免れるのがやっとでした。三洋のディフェンスに穴を開けるシーンはありませんでした。神戸がモールによるトライ以外に得点を上げられるような気はしませんでした。091128b
トップリーグプレーオフと日本選手権には4位までは必ず出場しますが、8節の残り試合が29日に行われますので4位から落ちるのは確実になりました。後半戦は厳しい戦いになりそうです。最終スコア三洋50-5神戸でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ロンドンから帰ってきました

津軽旅行の日記も書き終えていないのに、ロンドン行きの日が迫ってきて、22日の出発でした。勤続年月によるステップアップ休暇と云う特別休暇でした。もっとも、私にはステップアップなんて、まあ、ありませんが、休暇だけはきっちりと、、、、、、いただき。
出発前夜はパッキングのためにほぼ徹夜状態でした。前夜と云うより当日の準備になりました。「徹夜も時差ぼけ防止で、まあ良いか」と。我ながら毎度のドタバタ準備でしたが、現地での天候も、気まぐれお天気のイギリスとしては、恵まれていた方でしょう。
訪れた場所は、アビーロードの横断歩道、大英図書館、大英博物館、トウィッケナムスタジアム(ラグビー博物館)、ロンドン塔。
丸まる3日間であげて見れば「こんだけ~」でした。だけど大満足です。自分勝手の気ままな一人旅ですから当然と云えば当然です。もう少し見たい所もありましたが次の機会にとっておきます。まずは本日・27日、帰国便の遅れはありましたが、無事帰国の報告です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラグビーグッズのお宝をいただきました

091121e 1か月近く経つのにブレディスローカップの印象がまださめやらない中、昨日、売り切れで買いそこなったピンバッジをいだきました。日本初開催のメモリアルな試合でしたので嬉しいです。その上、なんと公式レプリカボールまでいただき、感謝、感激です。大切にします。
091121d 残念ですが、ブレディスローカップは、来年はどうやら日本開催はないようです。はやく、また見たい試合です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラグビー日本代表 カナダに連勝

091121a 風もなく11月下旬としては温かい秩父宮ラグビー場で、珍しい尺八による国家演奏でラグビー日本代表対カナダ代表の第2戦が行われました。
第1戦の日本大勝に続いてこの日も27-6(前半12-3)で、カナダをノートライに抑えて快勝しました。ラインアウトはまだもう少しという感はありましたが、改善されました。逆に少しミスが増えた感じですが自信を持ってプレーをしていることが伝わってきました。091121b 攻撃も、モールを押し込む、展開する、そしてパスカットのターンオーバーと多彩でした。後半は守勢に立たされる場面が多くなりましたが、カナダがトライを取れる感じがしませんでした。このディフェンスは良かったです。第1戦の後、ランキングが逆転し日本が上位になりましたが、きっちり守りました。
後半25分に真壁選手が、同34分に木津選手が出場し初キャップを得ました。おめでとうございます。091121c

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラグビー サンクスカード(仙台・カナダ戦)

091117a JRFUメンバーズに先着順に配られたサンクスカードの表紙はこの試合のマッチプログラムと共通になっていまして青木選手が中央です。
メッセージは地元宮城県出身の畠山健介選手です。
“激しく、熱い試合をします。仙台の皆さんの応援が、僕達には必要です。熱い応援宜しくお願いします。”となっています。091117b_2
仙台でのテストマッチはすっかり定着した感があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お宝ラグビーボールをゲット

091115cカナダ戦快勝の試合後、ファンサービスとして、選手からラグビーボールが3,4ケほどスタンドに投げ込まれました。何と、その内の1つを私がゲットしました。フェアーキャッチというわけではなく2、3人の方がキャッチしそこなったこぼれ球でした。例えるならラインアウトでキャッチし損なったボールをうまく押さえた感じです。
091115e パシィフィックネーションズカップの公式試合球に選手、カーワンヘッドコーチのサインがしてあります。ボールそのものは、その後練習で使っていたのでしょう。使用感はあります。それもまた良しです。こんな大物のラグビーグッズをゲットしたのは初めてです。嬉しい!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラグビー日本代表 快勝 対カナダ戦

091115a 15日、仙台・ユアテックスタジアムで行われた日本代表対カナダ代表戦は46-8(前半25-3)で日本代表が快勝しました。
2年前のワールドカップでは終了間際で日本が追いついて劇的な引き分けとなっていました。この試合の前まではワールドランキングがカナダ13位、日本が14位ですからランキングを上げるには2試合行われるテストマッチは2勝がノルマです。
結果は6トライ2ペナルティーゴールを決め、カナダを1トライ1ぺナルティーゴールに押さえて快勝しました。カナダは主力を一部欠く布陣ではありましたが、安定した試合運びでした。テストマッチ慣れと云うのでしょうか、過度に気負うこともなく、過度に相手を警戒するでもなく、実力をきちっと試合に反映できるようになったのは、チームとしての成長の証です。091115b_2 ノックオンなどのミスも少なかった半面、ラインアウトでのボール確保が良くなかったですし、ノットストレイトの反則も目立ちました。堀江選手(三洋)が初キャップでしたが新戦力が経験を積みながら勝って行くのは大切なことです。
今日発表されたランキングではついにカナダを逆転して日本が13位に躍り出ました。21日の秩父宮ではカナダも調子を上げてくるでしょうがきっちりと勝利ものにしなければなりません。091115d

| | コメント (0) | トラックバック (0)

岩木山と弘前と金木(津軽旅行2)

091113iwaki 11月13日は弘前城を中心に見て、まだまだ見残しがありました。弘前城本丸から見た岩木山。14日の天気は雨が予報されていましたので「明日は見られないかも」

そして、今日は太宰のふるさと金木へ、 私にとっては青春のふるさとです。
時間があれば五所川原にもと思っていましたが、金木の町で予定が終わってしまいました。太宰の生家 斜陽館 新しい発見もありました。雨の1日でした。雪が降るときにまた来たい、と思いながら弘前に戻ってきました。091114a 明日は仙台です。旅日記は帰京してから書きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

弘前です。特急“つがる”でした。(津軽旅行1)

091113tugar2 弘前に来ました。15日の仙台でのラグビーの日本代表の応援の前にちょっと寄り道です。
青森県に入ったのは初めてです。八戸で新幹線から特急“つがる”に乗り換えました。乗り換えたとたん満員のほとんどの乗客が駅弁を食べ始めました。まるで駅弁の給食状態に車内がなりました。
どこに寄り道するかなかなか結論を出せませんでした。1年後ぐらいには新幹線が青森まで伸びます。新幹線青森駅も結構できていました。八戸終始発の特急“つがる”の運命はどう変わるのでしょうか?新幹線延伸で津軽は観光客がかなりたくさん来るでしょう。地元にとって良い話ですし、私もお祝い申し上げたいと思っています。
091113tugaru_2 ですが、その前に落ち着いている津軽を今のうちに味わっておきたい。そんな気持ちで来ました。
弘前駅ではおおきなりんごと洋館の出迎えを受け、半日弘前城を中心に見て廻りました。想像以上に良い街です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

縮景園(広島旅行8)

091110syuku1 城主浅野家の別邸として築かれた庭園です。いわゆる大名庭園です。すばらしい庭園です。庭園にこうした表現はそぐわないかもしれませんが「絶品」です。日本三名園にはその規模は及びませんが、この縮景園の方が数段すばらしいです。舟泊もあり是非味わってもらいたいお薦めのお庭です。
回遊式です。途中“腰掛石”がありました。お殿様が腰をおろした石です。私も腰をおろし、しばしばお殿様気分を味わいました。扇子を持っていればなお良かったのにと思わずにはいられませんでした。
091110syuku2 市内なのに庭のここかしこにカニが動き回っていました。この庭園も原爆の被害を受けています。建物は戦後の復元ですし、園内から原爆犠牲者の遺骨が発見されましたが、それでも広島の旅の最後に少し気持ちが落ち着ける空間と出会いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

広島城その2(広島旅行7)

091110isi1_2 広島城で刻印が多くみられる石垣が2か所あります。私が確認できたのは7~8ケでした。名古屋城天守閣の石垣には名前が刻まれた石があるのが有名ですし、江戸城は刻印の宝庫です。全国の大名を動員して作らせました(天下普請)ので、各大名の受け持ちを示す刻印があります。広島城の刻印にはどんな意味があるのか?ちょっと私にはわかりません。
毛利輝元は関ヶ原の合戦で西軍の大将でしたのでこの城を築いて10年後にはこの城を追われました。まあ、大将と云っても関ヶ原の合戦では大阪城にいましたし、関ヶ原にいた部下の吉川は徳川に内通して全く動かず、小早川の裏切り以上の裏切りだったと私は思っています。毛利の後にこの城に入った福島正則は家康の思惑を見抜けず結果的には豊臣滅亡に手を貸しました。「感情のままに行動したバカ武将」です。徳川の世になって、この城の石垣の“無断修理?”をきっかけに事実上お取りつぶしになりました。城内に福島正則が破却した跡と伝えられる壊れた石垣があります。091110isi3 冷やかに見てきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

広島城その1(広島旅行6)

091110siro1 毛利輝元により築かれた広島城は平地に建てられています。(平城) その上、石垣があまり入り組んで作られていなくて四角形に近い城域ですので、一見堅固な城のようには見えません。規模の違いを別として、二条城、米沢城に近い印象を持ちます。ですが、堀の幅の広さ、そして三角州の中ですから川筋が幾重にも城を囲んでいますので見た目以上の防御力を誇っていたのでしょう。091110siro2
二の丸の門と櫓が復元されています。往古のよすががしのばれます。これまた、原爆で失われた天守閣も復元され博物館になっています。天守閣最上階からはビルの谷間の原爆ドームが望まれます。入館料は360円です。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

胡蝶蘭

091110a2 私の誕生日のお祝いにと、娘の嫁ぎ先の実家から胡蝶蘭をいただきました。
帰宅しましたら、小型冷蔵庫ほどの大きさの箱に入っていました。これほどのお花をいただいたのは初めてです。私には不釣り合いなほど立派な胡蝶蘭ですが、嬉しく、ありがたく頂きました。

玄関に飾りました。来客にも楽しんでもらいます。091110a

| | コメント (1) | トラックバック (0)

広島 大本営(広島旅行5)

091110dai2 大本営と云うのは戦争の最高司令部にあたります。太平洋戦争では、ありもしない戦果を発表し国民をだましたため、戦後は「大本営発表」と云えば誇大表現の嘘の発表の代名詞になりました。太平洋戦争の時は、大本営は東京にありました。
広島城の本丸跡に置かれた大本営は日清戦争当時の大本営です。2年半程この地にあり、国の指定史跡になりましたが原爆により建物は倒壊し、現在は基壇と石碑が残っています。大本営跡に向かって左手には昭憲皇太后の御座所跡が、これも基壇のみが残っています。091110dai1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

軍管区司令部 地下司令室(広島旅行4)

091025e1 広島城内に中国軍管区の防空作戦室が残っています。数重センチの分厚いコンクリートで作られています。空襲警報などを発令する地下通信室の跡です。原爆投下の第一報がここから発せられました。広島城の天守閣は原爆で倒壊しました。この地下壕から出て見た光景は驚きをはるかに超えていたのだろうと思います。ここでは軍人だけではなく女学生も働いており、女学生の多くが犠牲になりました。ここも訪れる人は少ないようです。
壕の上部の窓から壕内を写真に撮りましたが、荒れていると思いきや、内部はきれいにされていました。意外でした。091025e2_2
広島旅行ではありますが、ここまでは“旅行”と云った気分とは程遠い気持ちが沈み込む足取りとなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原爆供養塔(広島旅行3)

091025d2 平和記念公園そのものが原爆で全滅した町の跡ですから、公園内を歩いている自分の足の下が焦熱地獄の地面だったと思うとつらい気持ちになります。
平和記念資料館、追悼平和祈念館に続いて、公園内にある原爆供養塔に向かい、手を合わせました。ここには名前も残すことなく引き取り手のない原爆の犠牲者の遺骨が眠っています。この日の午後に訪れた縮景園でも遺骨が発見されこちらに葬られたと説明板がありました。同じ公園内ですが、こちらを訪れる人は少ないようですが、安らかにと手を合わせ、無念さをいっぱいに受け止めなければいけない場所です。
供養塔の近くに韓国人原爆犠牲者慰霊碑がありました。小学生の一団にボランティアの方でしょうか、「犠牲者を国が違うからと云っていたわる気持ちが違ってはいけません。」と諭すように話していました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平和記念公園(広島旅行2)

091025d1 毎年、原爆戦没者慰霊祭が行われる平和記念公園ですが、テレビで式典の様子がニュースなどで映し出されます。式典の進行に関心がいってしまいますが、元々日々の生活がある町だった所だったのですね。
原爆で全滅した町の跡が公園になっている。そのことをあらためて訴えているのが町名を刻んだ石碑でした。史蹟としての石碑は、ほとんど長い時間をかけて変化した記録をとどめるものですが、この石碑は、一瞬にして消え去った瞬間を記録しています。悪魔の魔法にかけられて石碑にさせられた無念さを訴えています。魔法使いが掛けたのではなく人間が掛けたことはいまさら言うまでもないことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原爆ドームと爆心地(広島旅行1)

(10月26日)広島を新幹線で通過したことはありましたが、町を訪れるのは初めてでした。路面電車から降り、原爆ドームを目の前にすると、旅の解放気分は雲散霧消します。緊張で少し体が硬くなります。良く知られた原爆ドームですが、その姿よりも原爆によって吹き飛ばされて建物の周囲に転がっているコンクリートや石に原爆の破壊力の大きさを感じました。この後で記念館で見た写真ではコンクリート類はもっと多かったようです。091025c2
次に爆心地に向かいました。原爆ドームからは、数十メートルの距離ですが、こちらへ回る人は少ないようです。それでも修学旅行の一団と10人ほどの外国人の集団にガイドさんが説明していました。
爆心地を示す石碑の横に立って、何回か真上を見上げてみました。直径600メートルの火球を想像してみようとしたのですが、この空にそんなものができるなど、想像できるものではありません。想像を絶する悪魔の所業としか言いようがありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ぎんなんわり 合羽橋道具街

今や東京の観光名所となった合羽橋道具街。食品サンプルはさすがです。休日は閉っているお店が多いのは残念です。
ぐるーっと回って買ったのは、コーヒー店での小物と“ぎんなんわり”です。“ぎんなんわり”は3種類見かけました。1100円から1500円ぐらいでした。超マイナーな料理道具ですが、さすがは合羽橋商店街です。091101c

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“よみがえる浮世絵”展

091101a0 1日は会期末が迫っている江戸東京博物館の“よみがえる浮世絵”展に行ってきました。全体的にインパクトがなかったです。大正期の浮世絵の展示ですが、江戸時代のあの大胆な構図が新しくなった風景などで展開されているかと期待したのですが、期待はずれでした。見る人も少なく、ショップにもあまり人はいませんでした。
両国から合羽橋へ隅田川沿いを通ってゆきました。091101b 隅田川が汚い川の代名詞だったことが今は信じられないくらいです。途中、遠回りしながら池波正太郎記念文庫へ。後でわかったことは葛飾北斎のお墓があるお寺の前を素通りしてしまったことに気付きました。
記念文庫では、「書斎を和室にしようと最初は思ったが、畳に寝転がりそうなので、洋室にした。複数の小説を同時並行に書いていたので、云ってみれば役者を同時に複数演じる苦しさがあった。」と云う趣旨の独白が復元された書斎のところに書かれていました。書き続けることの苦しさを云っていたのですが、それを押しての膨大な著作でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブレディスローカップ  7 ギルフォード選手 

091031bl24 オールブラックスのギルフォード選手が初キャップなるか?と云うより是非初キャップを獲得して欲しいと願っていました。
ギルフォード選手は、6月に開催された20歳以下のワールドカップにニュジーランド代表として来日し活躍しました。決勝戦で応援に来ていたお父様が秩父宮ラグビー場で倒れ、亡くなるという悲運に見舞われました。表彰式が始まるという時に、お父様の異変がギルフォード選手に伝えられ、スタンドに上がってきました。091031bl26 私は異変を知っていましたが、少し離れた観客はギルフォード選手がスタンドに上がってきた事情を知らず、サイン帳を差し出しました。ギルフォード選手がこのような事情にもかかわらずサインをしました。この光景が強く印象に残っています。
あの時からまだ5ヶ月です。20歳にしてオールブラックスの一員として再来日です。試合が終盤になると交代出場はないのか?!気になりましたが、残念ながら出場機会は得られませんでした。これから永くオールブラックスの選手として活躍して欲しと願っています。試合後のグラウンドでパス回しで体をほぐすギルフォード選手に心の中で声援を送りました。091031bl25

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブレディスローカップ  6 グッズ

091031bl200会場で無料で配布されていたのが読売新聞の特集号で、NZが80勝32敗4分けの対戦成績などが紹介されていました。デイリィーヨミウリの英語版も発行されていたのかと思ったのですが、日本語版と英語版が表裏になっていました。
飲食売店は長蛇の列でしたし、グッズの売店も混みあっていました。マフラータオル(2000円)とピンバッジ(500円)は早々と売れ切れて私は買えませんでした。携帯ストラップ(800円)、トートバック(1500円)、キャップ(2000円)それにプログラムを記念に買いました。プログラムは1部1500円・A4版の64ページ。買いそこなったピンバッジが欲しくてグッズを販売した会社のホームページをのぞいてみましたが、ブレディスローカップ関連グッズはまったく載っていませんでした。091031bl22 091031bl21 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブレディスローカップ  5 カップ授与

091031bl17 試合後の表彰セレモニーでオールブラックスキャプテンのリッチー・マコウがカップを授与され高々と掲げ、選手が応援に応えるためバックスタンに向かい、何人かの選手がサインに応じていましたが、私が驚いたのは、この日の試合に出なかったリザーブの選手やおそらくリザーブにも入らなかった選手でしょう、セレモニーに目をくれることなく黙々とボールを回していました。最終戦ですので全員がセレモニーに参加して喜びを共有するのが普通?と思っていました。
同じグラウンド上でまったく違う空気が流れていました。これがオールブラックス流なのでしょうか?091031bl18 この2枚の写真は同時進行で行われていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブレディスローカップ  4 オールブラックス逆転勝ち

091031bl13 オールブラックスは後半5分にコンラッド・スミス選手がステップを切りワラービーズのバックスをかわして右にトライを決め再逆転します。この後はPGで得点を重ねてゆきます。ワラビーズもオールブラックスの22ml内に攻め込みますがゴールラインを割れません。残り時間4,5分で10点リードしてペナルティーをもらったオールブラックスはペナルティーゴールを狙いました。残り時間と点差からトライに取りに行くと思ったのですがPGでまさにとどめを刺しに行きました。勝ちにこだわる執着心は、私の想像を超えていました。結局オールブラックスがリード保ったまま試合が終わりました。091031bl14
この試合では“ノットリーリース・ザ・ボール”の反則が少なかったです。集散が早くボールを持った選手がフォローが遅くて孤立する場面はほとんどありませんでした。
オールブラックスのカーター選手は難しい角度も含め8本全部のプレースキックを決めました。ワラビーズのギタウ選手6本中5本を決め、(はずした1本は比較的やさしい角度)このレベルではプレースキックをはずすようでは勝利はおぼつかないと云うことでしょう。
トライを狙わないと「無気力」だといった、まったくもって的外れな見方をする人も中にはいますが、世界トップレベルの試合で両チーム合わせて14本のPGはキックの大切さを示しています。091031bl15

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブレディスローカップ 3 ワラビーズリード(前半)

091031bl9 5分、12分とワラビーズがPGで先行します。ここまで3敗しているワラビーズのリードに試合の興味が高まります。オールブラックスも14分にPGを返し、さらに20分にパスをつないでシヴィヴァトゥ選手が左隅に飛び込んでこの試合初めてのトライ、コンバージョンも決まって10-6と逆転します。この後、互いにPGを決めあったあと、33分に先ほどトライを決めたオールブラックスのシヴィヴァトゥがハイパントを取り行った選手が空中にいる選手に当たりに行ってシンビンになりました。かなり高い位置にいましたのでハッとしました。この場面でのシンビンは当然ですが、この試合でのハイパントのボールを取りに行く両チームの執着力はすごいものがありました。シンビンの間にワラビーズは右隅にハインズ選手が飛び込みます。ビデオレフェリーになり電光掲示板に繰り返しそのシーンが映し出されます。トライが認められます。本当にギリギリでした。091031bl11 この後もワラビーズがオールブラックスのゴールラインに迫り、再びビデオレフェリーになりますがトライはなりませんでした。
オールブラックスの下に入って倒すタックルと、上にボールを殺すタックルのダブルタックルをきちっとやっているのが目につきました。091031bl10

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブレディスローカップ 2 オールブラックスのハカ

091031bl5 開幕セレモニーではIRBの会長挨拶、ジョナロムーの挨拶、森会長の挨拶と続きました。スーツ姿のロムーはクラシック・オールブラックスの一員として来日した時に比べると少しほっそりした感じ・・・・ジャージでないからそのように感じたのかもしれません。091031bl6 両国国歌斉唱の時、私の後ろの観客はどちらの国家も歌っていました。(通ですネ。)
バックスタンドから見た競技場の写真ですが、手前に見えている席が7万円の席です。
そして、ハカ オールブラックスの名前を冠したチームのハカは何回か見ていますが、思えば本家本物のハカは初めてみました。ちょっと短く感じました。091031bl7

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブレディスローカップ 1

091031bl1 10月31日・国立競技場は夜になってもさほど冷え込むこともなく、ラグビー観戦にはもってこいの気候でした。国際試合らしい光景がここかしこで見られました。入口で見た侍姿でのオールブラックスフェースペインティング・・・・気合が入っています。
いくらオールブラックスとワラビーズの試合と云ってもどのくらいお客さんが入るの?という心配は全くの杞憂でした。ゴール裏までびっしりお客さんが入っていました。バックスタンド上段に少し空きがあるぐらいです。観客は4万4千人です。091031bl2 お祭り気分も手伝い、コンコースの売店は大学の試合で満員になった時をはるかにしのぐ盛況でした。グッズの売り上げもやはり違うようです。おかげで買いたいものも買えないありさまでした。
記念すべき日本での初開催を何回かに分けてアップしてゆきます。それにしてもいつもと違うwowowでのTV放送って、それはないよなあ~。091031bl3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »