浅野内匠頭(たくみのかみ)切腹の地
新橋駅から東京タワー方向へ向かって歩いて15分ぐらいでしょうか、田村右京大夫の屋敷跡があります。忠臣蔵の発端となった浅野内匠頭が切腹したお屋敷の跡です。
かつて、時折車で通っていた時には「かなり交通量の多い道路端に石碑が立っていて、心休まるような場所ではないな」と思っていたのですが、今は道路工事に伴いこの石碑も一時撤去されていました。石碑には「浅野内匠頭終焉之地」と刻まれ人間の背丈以上の大きさだったと様に思います。その石碑の写真がガードレールに張られていました。心使いはわかりますが、なんだか情けない気もします。ちなみに江戸城本丸跡にある「松の大廊下」跡の石碑は50cmぐらいの小さなものです。
田村右京大夫は岩手県の平泉の隣の一関三万石の領主で、坂上田村麻呂の子孫と伝えています。おそらく田村麻呂の故地出自と云うのが妥当なところではないでしょうか。ついでに云いますと、一関の銘菓に“田村の梅”があります。これはおいしいです。
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