茨木市の史蹟めぐり 3 (称)鎌足古廟 将軍塚古墳
長い石段の途中に鳥居があります。文政7年(1824年)の銘が刻まれています。階段を上りきったところに古墳の横穴石室があり、扉がしつらえてあります。右手に“大織冠(タイショクカン)鎌足公古廟”の石碑が建っています。鎌足が大和の多武峰に改葬される前の墓との伝承に基づいています。石室内には石棺は無く、小さな祠があり、藤原鎌足を祀っています。
この古墳は別名“ドウ塚”と呼ばれています。1700年頃になった地誌『摂陽群談』には、「藤原鎌足公が大和の多武峰に改葬される時、人々が悲しんで棺を奪いあった結果、遺骸を分け、胴をここに埋めたので胴塚、あるいは改葬の時、塚が鳴動した。」との記述があります。明治の頃までは毎年10月16日に九条家より使者が来て、反物を持参してお祭りををしていたとの事です。(茨木の史跡 茨木市教育委員会 平成10年発行より)
そもそも、この古墳は6世紀後半の頃に築造されたと思われますので、鎌足が亡くなる百年程前の築造ですので時代が合いません。また、改葬されたとの記述も、鎌足が亡くなってに二百年ほど経ってのことです。
この古墳にまつわる伝承を紹介しましたが、時間軸を整理すれば当然のことですが、信憑性など無く、おそらく江戸時代に文献から推測した話が独り歩きして、ついには祭祀の使者まで使わされることになったのでしょう。この古墳の歴史に比べれば最近の出来事になります。
鎌足の墓についてはここから3kmほど離れた阿武山古墳が有力視されています。この古墳の被葬者は、かの世からどんな思いで、長い石段を見ているのでしょうか。
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