鹿児島旅行記 5 知覧特攻平和会館とホタル館
武家屋敷を後に、知覧特攻平和会館へと向かいました。車が大きく左へカーブを切って坂を登って行きながらちょっとナーバスな気持ちになってきました。
館内の両サイドに特攻隊員の写真と遺書、絶筆などが展示されています。右サイドから見て行きます。
「父上様、母上様・・・・」で始まる遺書を目で追ってゆくのですが3行ほどまで進むと目がうるんで先へ行けない。壁をうめる遺影にしばし目を移し、もう一度遺書に目を落とすのだけれど、しかしまた、二、三行も進めない。何回か繰り返して、もう遺書を読むのはあきらめました。せめてすべての遺影をしっかりと見つめていこうと。
戦史資料などの映像や展示を見てまわって、左サイドの遺書、絶筆のコーナーに・・・・やはり数行と読み進めない。読まなくてはと思うのだけれど結局一つとして読み通せなかった。遺影はすべてしっかりと見届けました。集合写真から引き伸ばしたことを思わせる粒子の粗い写真もありました。
売店に文集が置いてあった。どうしようかと思ったけれど、心に重たすぎて買わずじまい。もちろん記念品などは、 外では雨が降り始めていました。傘だけ買って、館を出てすぐ横の三角兵舎跡へ、特攻隊員の宿舎跡に建物が復元されています。ごく簡素な建物です。ここで生ある日の最後の夜をすごし、最後の手紙を書いた・・・・・・どう表現して良いのか言葉もありません。
ミュージアム知覧を経て“ホタル館”へ。特攻の母として知られる鳥浜トメさんの冨屋食堂を復元して資料館になっています。トメさんが特攻隊員から預かった遺品で、探しても受け取り手のない無念の遺品が、また遺品がなく、踏みしめた靴の下の石が訴えかけてきます。目がウルウルになりながらなんとか半分ほどは説明を読めました。朝鮮出身の特攻隊員。部下だけを死なせるわけにはいかないと出撃した隊長、決意を鈍らせてはいけないと先に自殺した奥さん。お子さんも一緒に。
一つしかない命をこのような形で終えた隊員の御霊が安らかなることを改めて祈ります。と、ともに、この戦争を指導した人間。いかなる時局であろうと特攻を発案し指揮した人間を永遠に許してはいけない。それが、「安らかにと祈る」私たちのせめてものつとめだと思う。
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