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2008年12月

鹿児島旅行記 13(最終回)  反射炉と仙巌園

081215han2 081215han1 仙巌園(磯庭園)は島津氏別邸のお庭です。園内には大河ドラマ篤姫の撮影場所もあり桜島を望む景勝スポットですが、お目当ては反射炉の遺構です。反射炉は鉄を鋳型に流すために溶かす施設です。試行錯誤の苦心の成果です。維新ふるさと館、尚古集成館にその模型が展示されていますが、「鉄は国家なり」の始原の記念碑的遺跡であり、日本の近代産業のふるさとす。(反射炉としては佐賀藩が先行します。この時期、造船、大砲の製造等も、佐賀藩のほうが先行しています)
今回の旅は、ここで終わりです。篤姫生誕の地までは回りきれません。もともと1回の旅では回りきれないと思っていましたので気にはしていません。また、機会を見て訪れるつもりです。
旅の期間中、ずーっと桜島が姿を見せていました。「富士には月見草が似合う」と云った太宰治が桜島を見たら何と云ったのだろう?そんな事を思うとともに太宰が桜島を見たいと云ったのか?そんなことをずーっと昔に話をしたような・・・・・・。そんなことを思っていました。
また来ます。081215sen

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鹿児島旅行記 12  尚古集成館 別館

尚古集成館を出て隣の別館へ向かいました。別館まで見ようという人は少ないようで見学者は誰もいませんでした。建物の半分以上は収蔵庫のようで、展示室は小学校か中学校の教室一つ分あるかどうかの広さでしたが、いきなり関ヶ原の島津軍の敵中横断で討ち死にした豊久の刀傷のある鎧です。ビッグな展示です。徳川家から輿入れした竹姫のひな人形などに続いて、篤姫直筆の和歌や書状です。篤姫ものの実物に初めて接しました。そして展示の最後に、ケースの隅になんと篤姫の、あのおなじみの写真の原板と生写真!これまたびっくり!本館では斉彬の写真原版がありましたが複製でした。写真の原版の保護からすると、そうは展示はできないのでしょうから複製でいたしかたないと思っていました。
受付の女性のところに行って聞きました。「篤姫さんの写真原板の展示に『複製』と書いてないということは複製ではなく本物ということなのですか?」と。女性は落ち着いて「複製ではありません」との答えに感激。「ここの展示替えの期間はどのくらいですか?」と意味不明の質問をしてしまいました。答えは「2ヶ月です。」  おお、ラッキー!   また戻ってしげしげと見ました。081215ten1 081215ten2 旅の終わりにこんなサプライズが待っているとは思いませんでした。
このあと、仙巌園(磯庭園)へ入り、島津氏の御殿へ行ったのですが、ここでは10人ほどがグループとなって案内の方に引率されて見学し、終わりに抹茶をいただくのですが、この席で「皆さん別館へ行かれましたか?」と声をかけました。やはり皆さんお庭へ来ていましたので別館には行ってませんでした。余計なお世話の別館へ行くことをすすめたのは云うまでもありませんでした。

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鹿児島旅行記 11  尚古集成館(島津博物館)

12月15日
集成館は幕末・維新期の薩摩藩の洋式工場群(造船所・溶鉱炉・ガラス工場など)を総称です。島津氏の別邸であった磯庭園に造られました。
受付は庭園(仙巌園)入口ですが、お庭はさておいて庭園の左手にある尚古集成館へまずは向います。旧機械工場を博物館に改装して、島津氏の歴史を鎌倉時代から順に展示しています。(建物そのものが重要文化財です)
島津氏の系図、頼朝から下された文書(頼朝の実物のサイン入り)などがあり・・・・・・と、ここで思わぬ展示品です。太閤検知の時に使われた“物差し”が展示されています。初めて見ました。初めてのはずです。いまでは世の中に、この1本しか現存していないとのことです。何と「石田」の名と花押(サイン)が実にきれいに見て取れます。「石田」は石田三成です。私は徳川家康なんぞより三成のほうにシンパシーを感じますし、はるかに好きです。敗将の三成の佐和山城は徹底的に破壊されましたし、徳川によって三成の痕跡は徹底的に消されましたので、まさか三成の署名を目にすることなどあろうとは思ってもいませんでした。びっくりしました。この物差し=太閤検知尺を目にして一気にアドレナリンが噴き出しました。081215iida 売店で本を買ったのですが、帰宅して本を読んでいたら、この太閤検知尺のレプリカを作って売っている(いた?)とありました。売店では見かけなかったのか見落としたのか?残念です。
薩摩藩は南北600km、琉球王国との関係まで考えると南北1,200kmもある海洋大藩であることがここの博物館の展示で良く理解できます。海防は最大の関心事であり、アヘン戦争など海外情勢に対する現実の危機感が薩摩藩を動かした点を、ともすると江戸との関係に隠れがちになりながらもしっかり再認識させてくれました。

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ラグビー 日本A代表と徳増氏のブログ

9月20日にラグビー日本代表の太田GM(ゼネラルマネージャー)と上田昭夫さんのトークショーが秩父宮で行われました。この模様は10月5日のここのブログで触れましたが、日本A代表ができるのか気になっていましたが、太田GMの公式ブログhttp://tomonitatakae.at.webry.info/200812/article_3.htmlで次のように述べられています。「代表チーム事業委員会はフル代表、A代表、U20代表、7人制代表、女子代表と本格的に各カテゴリーの予算編成を行う。」とあります。競った試合が少ないことがチーム強化にとって大きな問題であることはつとに指摘されていることです。今回、各カテゴリーが系統だって編成され、予算措置が講じられたことに期待します。収入面の厳しさを示唆していますが、私たちファン・サポーターとしてはともかく試合会場に足を運ぶことが大切だと思います。また、私自身そのようにして行きたいと思っています。

太田GMのブログのとなりの徳増氏のブログが画面から消えていることに気づきました。“自陣からボールを回すということ(3)”の記事の末文にリーニューすることに触れていますし、「ブログのあり方を検討したい」と述べられていましたので、この先の徳増氏のブログがどのような方向性を出すのか注目しています。

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鹿児島旅行記 10  篤姫館その2

081215atu5 入るまえの風向きはどこへやら、すっかりミーハーになっていた私ですが、ハイビジョンシアターでは、篤姫と和宮の着物の柄に見る武家風と公家風の解説は大変興味深か勝ったし、今のデパート(電鉄系を除く)が江戸時代の呉服店に起源をもつことでわかるように高級消費財であることが今更ながら思い起こされました。
番組で使われた小道具も多く展示されていますし、歴史的な背景説明のパネルも丹念に見て行くと結構時間がかかります。ただし、あくまで資料館ではありませんので篤姫さんの直筆があるわけではありません。(直筆ではありませんという注釈を付けた展示もありました)081215atu4
最後の展示が出演者の色紙となっていて、もう出口です。それほど広いスペースではありませんが、30分どころか、しまいにはバスの時間を気にしてパネルを見ることになりました。081215atu6

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鹿児島旅行記 9  篤姫館その1

12月15日
 3泊4日の鹿児島旅行も最終日になりました。この日の、と云うより今回の旅行で最も見たかった一つの“集成館”(維新期の工業遺跡)へ行き、南洲墓地、篤姫生誕の地を周って帰京の予定です。集成館は鹿児島の市街地からは北に離れたところです。鹿児島中央駅から観光スポットを巡るシティーバスに乗りました。途中に“篤姫館”があります。大河ドラマの篤姫は欠かさず見ました。前日が篤姫最終回でした。Sと飲んでからホテルに帰ったらもうラストシーンでした。ラストシーンを鹿児島で見るのも「縁だなあ」と思いました。(帰宅して再放送で見ました)
篤姫館はNHKが設置しています。ドラマのセットを見ても仕方がないと思ったのですが、来年3月までの期間限定とあるので途中だからちょっとのぞいてゆくことにしました。駅からはバスで15分とかかりませんでした。バス停に降り立ってすぐに次のバスの時刻を見たら何と次は1時間10分後!30分もあれば十分と思っていたのでちょっとショック。
開館の9時まで少し待つことに。月曜日ということで私のほかはご夫婦が一組だけです。
館内に入ると「撮影はご遠慮ください」との立て看が最初にありました。セットなのにどうし写真をとっちゃいけないの?と最初のお鈴廊下のセットを通り、先へ進んでゆくとパネルにわざわざ撮影禁止のマーク。ここで再びクエスチョン?入口に戻って「撮影は良いのですか?」と聞くと「禁止マーク以外は撮影してもよいのです」と。俳優さんの肖像権があるのでしょう。そうしたパネルのみはダメとわかった次の瞬間に私の心の中のミーハー魂が頭をもたげました。早速、入ってきたお客さんにお鈴廊下のセットでシャッターを押してもらいました。081215atu1
台本も展示してありました。「貸与」と表紙に印刷されているので出演者が勝手に持ち帰って私物にはできないのでしょうか?081215atu2
再びパネルを見ながら進んでゆくと篤姫さんのお部屋のセットです。テレビで見慣れた桜島の掛け軸が掛かっています。係の女性が「テレビで使った着物を着れますよ」と女性のほうから声をかけてきました。「私は見たとおり男ですが?」「男性用も備えてあります」ということで、ここでもパチリ。月曜日の午前9時過ぎの時間でなければ館内は込んでそうそう思い通りに撮影とは行かないのかもしれません。私の場合は客が少ないので、係の方にとって「待っていました」状態だったようです。081215atu3

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鹿児島旅行記 8 森伊蔵  

私は旅行に出てもあまりお金を使いません。
旅先で行くところは博物館、資料館・・・・・入館料など数百円単位です。
寺社・仏閣・・・・・京都や奈良は別として地方のお寺や神社は、神社のお賽銭(これは自発的です)以外にこれもほとんどかかりません。
石碑、遺跡(ただの野原だったりもします)・・・・・ほとんどただ見です。
墓や古墳・・・・・古墳の石室に入ってお金をとられた記憶はほとんどありません。これで千数百年前にタイムトラベルできるのですから格安です。
博物館で図録や、地方史の本を買ってお金がいるくらい。ただし、帰りはこの紙の類で荷物が重くはなってしまいます。
しかし、今回の鹿児島は少し散財しました。食い物と焼酎です。2日連続でした。飲み相手はSです。Sが云いました「地酒を買おうと思ったけど、お店の人に鹿児島には清酒はありません」と云われたとの事。「そうか、お酒は寒くないとできないんだ。だから焼酎か?」「福岡にはもちろん日の本一の槍と清酒はあるから清酒の南限は熊本、大分、宮崎の北部?かな」「南限の酒を探し出して飲んでみたいね」と酒談議になりました。ちなみにSは下戸。酒はあまり飲めません。下戸との酒談議というのもなんだかなあーなのですが。私も飲む事に自信があるほうではありません。そこに目に飛び込んできたのが森伊蔵です。一升瓶が並んでいます。081214u2 Sが私に森伊蔵を飲んだらとすすめました。私はすでに何杯か進んでいましたので、どうせ飲むなら味がわからないまでも酔いが回る前のまっさらな舌でころがし、喉を通らせたいと思って「明日にしよう」とこの日は飲みませんでした。
置いてある森伊蔵はいくらか?ボトルキープだから25,000円くらいかな?と帰りがけにお店の方にお値段を聞きました。「15,000です。」とお店の方。「リーズナブルですね」と答えたら、お店の方が嬉しそうに「そうでしょ!!」私がボトルキープする見込みる客と思ったのか?それとも「高い」と普段言われているのか?旅人の私にはわかりませんし、ボトルキープもあり得ません。
翌日、天文館へ繰り出して、置いてある焼酎が百種類ではきかないというお店で「森伊蔵」と注文したら。「入荷待ちです」と返事が帰ってきました。「?※△ξ□〆??」。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 ガクッ!
鹿児島まで行って「森伊蔵は幻の焼酎」に終わってしまいました。081214u1_2

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鹿児島旅行記 7  維新ふるさと館、加治屋町~天保山砲台跡

12月14日 午後からはラグビーの試合が鴨池陸上競技場で行われるので史蹟を訪ね歩きながら会場まで歩いてゆくことにして鹿児島中央駅に近いホテルを出発。西郷隆盛旧居跡(市内には数か所旧居跡がある)の一つ→甲突川を渡り大久保利通居宅(現地の碑は生誕)地。9時の開館をまってとなりの維新ふるさと館西郷隆盛生誕地、大山巌誕生地、東郷平八郎誕生地、山本権兵衛誕生地月照上人の墓→島津斉彬陣屋跡調所広郷像天保山砲台跡坂本竜馬夫妻像081214s1
維新ふるさと館は西郷隆盛のロボットを主人公に映像を入れて25分ほどで明治維新をわかりやすく説明しています。この維新館を含む加治屋町は、明治の元勲・指導者を多数輩出した”町内会”です。町内会がそのまま明治政府になったかのような雰囲気です。個人個人の考え方は違っても同じ教育を受けて作られた価値観の共有は明治の国作りに大きく作用したのだと感じました。081214s2
天保山砲台跡は、“攘夷”の転回点となった薩英戦争の舞台となったところですので見たかったところの一つです。当時の海岸がどこか?錦江湾の波がどこを洗っていたのか?候補は10メートルの間のなかにあるのでしょうが、決しがたくこの辺が旅人の限界かな?。いづれにせよ、当時は海であったであろう所、砲弾が行き交った位置に十数階建のマンションが建っており海も桜島も見ることができない。残念です。081214s3

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ラグビー 東芝vsクボタ トップリーグ第10節(フクアリ・千葉)

今日は暖かく。バックスタンドは陽も当たりますので、コートを脱いで応援しました。千葉市にあるフクダ電子アリーナは、海岸に近く強い風が吹いていましたがスタンドと屋根で止められて、フィールド上のプレーには影響はありませんでした。081221a
試合開始早々、クボタのドゥラームがドロップゴールを試みますがドロップゴールならず、このあとは、東芝がほとんどクボタ陣内で試合を進めますがゴールラインを割れません。ようやく16分にディビット・ヒルが中央付近にボールを持ち込んで先制します。先制した後も終始ボールを支配した東芝が3トライを追加し、クボタはドゥラームのペナルティーゴール1本で東芝26-3クボタで前半を終了します。081221b
後半も5分に東芝の吉田朋生が抜け出してトライ。クボタは接戦に持ち込んでドゥラームのキックの威力を発揮したいところでしたが30点差がついてしまいました。9分にクボタのヒッキー選手が猪口選手にハイタックルでシンビン。猪口選手も傷んで退場となります。このあと試合はこのプレーの影響か、ちょっと落ち着かなくなりました。東芝・渡邊選手(マン吉さん)、気合が入っていました。
クボタは30分にトライを返すのみで最終スコア東芝40-10クボタでした。081221c
この試合のメンバー表は配られませんでした。こんなことは今まで経験がありません。苦言を呈しておきます。

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鹿児島旅行記 6  ミュージアム知覧、島津墓地、薩摩英国館

081213u1 特攻平和会館の隣が知覧の歴史、民俗を展示する博物館“ミュージアム知覧”です。特別展示で西郷隆盛が使った刀が出品されていましたが、それよりも私にとって目を引くパネルがありました。「南薩摩に古墳がないのはなぜか?」とズバリ今回の私のテーマの一つ、そのものです。館内は撮影禁止ですのでパネルの説明をメモしました。「近畿地方に多く見られる古墳。土を盛ったこの墓は北からの勢力とともに薩摩半島北部にまで伝わっています。南薩摩で発見されないのはなぜなのでしょうか」説明文の下に九州南部の地図があって“宮崎県・大隅半島に地下式横穴墓”“薩摩半島北部に板石積墓”“薩摩半島南部に立石墳墓”が分布図として載っているのですが、ズバリの回答はどこにも書いてないのです。肩透かしです。図録はなく、受付の子に聞こうと思ったけれど、黎明館で聞いていたこともあり、やめました。撮影禁止なら図録は用意していて欲しい。
もう暗くなって来たので、知覧城址を、今回は車で場所を確認する程度にし島津墓地へ、当地の島津氏の墓ですので調べたわけではないですが県内には島津墓地が数あるのではないでしょうか。081213u2
武家屋敷の近くまで戻ってきて“薩摩英国館”へ、   実は鹿児島へくる前の7日に生麦へ行こうとしたのですが、生麦事件参考館が事前連絡をとなっていたのでやめてしまいました。横浜の生麦で島津久光の行列に入り込んでしまったイギリス人を殺害した事件です。この事件をきっかけに薩英戦争がおこり鹿児島の街は焼き払われました。この戦争をきっかけに薩摩が攘夷捨てることになります。
さて、この“薩摩英国館”は小さなお店です。英国ゆかりの商品を売っていますし喫茶もあります。入館料は500円です。が、店内で使える500円の商品券をもらえますのでお買い物をしてくださいとのことでしょう。展示は良心的で、好印象を持ちました。081213u4
ブルーベリーケーキとコーヒーを注文し、ここで今日の日程は終わりです。本当は指宿まで予定だったのですが、見るところが多く時間を費やし雨も降っていたので(開聞岳の雄姿を見れそうもない)と、コーヒーとケーキを美味しくいただきながら今日一日のことを思いめぐらし、そしてまだまだ、ここ知覧で見たいところも多く残っています。再来を誓って“知るまち覧(み)るまち”知覧にお別れです。

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鹿児島旅行記 5  知覧特攻平和会館とホタル館

武家屋敷を後に、知覧特攻平和会館へと向かいました。車が大きく左へカーブを切って坂を登って行きながらちょっとナーバスな気持ちになってきました。

館内の両サイドに特攻隊員の写真と遺書、絶筆などが展示されています。右サイドから見て行きます。
「父上様、母上様・・・・」で始まる遺書を目で追ってゆくのですが3行ほどまで進むと目がうるんで先へ行けない。壁をうめる遺影にしばし目を移し、もう一度遺書に目を落とすのだけれど、しかしまた、二、三行も進めない。何回か繰り返して、もう遺書を読むのはあきらめました。せめてすべての遺影をしっかりと見つめていこうと。
戦史資料などの映像や展示を見てまわって、左サイドの遺書、絶筆のコーナーに・・・・やはり数行と読み進めない。読まなくてはと思うのだけれど結局一つとして読み通せなかった。遺影はすべてしっかりと見届けました。集合写真から引き伸ばしたことを思わせる粒子の粗い写真もありました。

売店に文集が置いてあった。どうしようかと思ったけれど、心に重たすぎて買わずじまい。もちろん記念品などは、    外では雨が降り始めていました。傘だけ買って、館を出てすぐ横の三角兵舎跡へ、特攻隊員の宿舎跡に建物が復元されています。ごく簡素な建物です。ここで生ある日の最後の夜をすごし、最後の手紙を書いた・・・・・・どう表現して良いのか言葉もありません。081213t1_2 081213t2

ミュージアム知覧を経て“ホタル館”へ。特攻の母として知られる鳥浜トメさんの冨屋食堂を復元して資料館になっています。トメさんが特攻隊員から預かった遺品で、探しても受け取り手のない無念の遺品が、また遺品がなく、踏みしめた靴の下の石が訴えかけてきます。目がウルウルになりながらなんとか半分ほどは説明を読めました。朝鮮出身の特攻隊員。部下だけを死なせるわけにはいかないと出撃した隊長、決意を鈍らせてはいけないと先に自殺した奥さん。お子さんも一緒に。081213t4

一つしかない命をこのような形で終えた隊員の御霊が安らかなることを改めて祈ります。と、ともに、この戦争を指導した人間。いかなる時局であろうと特攻を発案し指揮した人間を永遠に許してはいけない。それが、「安らかにと祈る」私たちのせめてものつとめだと思う。

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鹿児島旅行記 4  知覧武家屋敷群③

081213buke7 およそ700mぐらいの武家屋敷群のほぼ中ほどのところに稽古所の石碑の横に白い石碑があります。“石敢当(せっかんとう)”と呼ばれるものだそうです。中国から伝わった魔除けだそうです。“道祖神”(村境に置かれ疫病の侵入を防ぐ、長野県の双体道祖神などは有名)とその祖は同じなのでしょうか。しかし、東京から行った身にとっては珍しいものです。
この近くに「十割そば」のお店がありました。お店という構えではないのですがそば粉十割ということだそうで、このそばはおいしかった。味音痴の私がおいしいというのだから“おいしいです”081213buke9
武家屋敷を東から西へ、帰りは馬車道を通って戻りました。屋敷群東端の森家の蔵のところに豊玉姫神社跡の碑がありました。神社は建っている場所に最大の意味があります。後ほど、車で5分ぐらいのところにある豊玉姫神社には寄ったのですが、パチリと写真を一枚撮っただけでした。確かに現在建っている場所はその土地に威力を感じません。081213buke8

このブログの武家屋敷の写真にはだれも人は写っていませんが、観光客がいなかったわけではありません。観光バスが着くとドドッと降りて、ゾロゾロッと歩いて、サーッといなくなる。その繰り返しで、その間隙を縫って写真を撮っただけなのです。
(写真をクリックすると拡大写真になります。見やすい写真にいつのまにかなりました)

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鹿児島旅行記 3  知覧武家屋敷群②

081213buke4 武家屋敷の門からは直線で邸内には入れません。お城の門構えによく見られる枡形と同じ形です。敵の侵入を少しでも困難にするためです。なかには直線的に邸内が見通せる門がありましたが、時代が下って、改変したのでしょう。現に住居として使っているのですから使い勝手もあるのでしょう。081213buke5
また、庭も7邸保存されています。庭は、当たり前ですが本来部屋の中から眺めるように作られていますから部屋に上がって鑑賞するのがベストです。庭に入って庭を鑑賞するというのはちょっと違います。(廻遊式庭園は別です)が、今、現にお住みになられていますので、部屋に上がるわけにはいきませんので、せめて目線を部屋に上がった状態に持って行くように見ました。(掲げた写真は部屋目線ではありません)
森家の庭園で絵を描いている方がお二人おられましたが「そこの立ち位置は違うんじゃないの?」とは思いましたが、もちろん口には出しませんでした。081213buke6
しかし、ぜいたくなお庭です。高位の武士の屋敷なのでしょうね。代々同じ家系で現在も続いているのでしょうから江戸時代の身分を互いに知っている現在の生活というのはどんな感じなのでしょうか?

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鹿児島旅行記 2  知覧武家屋敷群①

12月13日  この日はレンタカーで知覧へ。有料道路の指宿スカイラインで一時間足らず。この距離では一般道路と到着までの時間差が少なく利用する人が少ないのでしょう。すれ違った車は9台でした。
インターから知覧武家屋敷群への途中“池之河内製鉄遺跡へ150m”の表示があったので寄ったのですが150m先にあったのは石碑で「川に沿って100m先」とあるのでここまで来たのだからと、さらに100m行ったが、それらしき場所はあったものの結局わからずじまい。気をとりなおして武家屋敷群へ。081213buke1
評判に違わぬ落ち着いた街並みです。屋敷には男玄関と女玄関があり男女の区別の厳然としている薩摩らしさを感じさせます。それぞれの屋敷の庭園が7つあります。豊かな精神生活をしのばせます。道は微妙に折れていたり、カギ形になっていて見通しを妨げています。江戸時代は幕府の政策で一国一城で武士はその城下に集まるのですが、薩摩では鹿児島の鶴丸城と外城として領国内にお城と武士を配していました。知覧の武家屋敷もその一つです。081213buke2 081213buke3

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鹿児島旅行記 1  黎明館他

12月12日昼前に鹿児島空港に着き、バスで市内へ向かいホテルに荷物を預け、駅の観光案内所でガイドマップをいただきました。徒歩で、大久保利通の銅像薩摩義士の墓=義士とは誰?と行ったら、江戸時代に木曾川の改修工事を幕府から命じられ過酷な工事を遂行し犠牲者となった方を当地では義士と呼んでいるようです。この工事は有名ですが鹿児島の人々はこのことを心に刻み込んでいるのでしょう。→ザビエル滞鹿記念碑県立博物館081212r1
県立博物館は入場無料で、地勢、動植物(黒豚、桜島大根)鉱物の展示があり、桜島他の噴火の歴史。ガイドにあったお目当ての“埋蔵文化財”は一切なく、肩すかしを食らう。“クワガタムシの3D映像”の投影があり、どんなものだろうとの興味から見た。→西郷隆盛銅像鶴丸城址黎明館(歴史博物館)
黎明館では常設展示の図録を購入1900円。実は鹿児島空港に着いたとき所持金が5000円。市内までのバス代が1200円、昼食代などで財布がほぼ空になってしまった。欲しい本があったが買えずじまい。挙句に博物館でクワガタムシで時間を使い、3階の展示は30分の駆け足で見なければならなくなった。午後4時55分つまり閉館5分前にもう出口というところで、当地に来る前に疑問に思っていた事を質問しました「薩摩半島の大半には古墳がないのはなぜですか?」と。案内の女性がインターホンで学芸員につないでくれました。墓制の違いで古墳時代の遺跡はありますが・・・・・結論的には大和政権の影響が薩摩半島中央から南部には及ばなかったとの事。(よくよく考えれば古墳がないという事実から導かれた考察)時間間際でしたが親切にこたえていただきました。081212r2
私学校跡(西南戦争の銃弾痕)→薩摩義士碑(先ほど見たのは義士の)→西郷隆盛終焉の地
西郷隆盛終焉の地に着いた時はちょうど満月が西の空にあらわれていました。きれいな月印象的でした。
この日の写真をパソコンに入れたはずなのですがないのです。見つからないのです。消してしまったようです。ガックリ。

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ラグビー日本代表 (NEC)水山尚範選手

一つ前の記事(日記)=“ラグビー・トップリーグ  鹿児島大会”に水山選手はノンキャップと書きましたら、Kさんから「違いますよ」とご指摘をいただきました。記事は訂正しました。
そうなんです。私の勘違いなのです。
初キャップの紹介があった今年6月のトンガ戦(仙台)ではレプリカジャージにサインをもらって記念写真まで撮っていたのに、です。秋のアメリカ戦ではなかなか出番が回ってこないなあ (ノ_-。) との印象が強かったため勘違いしておりました。081217a
しかし、さすがKさん。トップリーグ検定に合格するはずです。ご指摘、感謝です。                                                                     

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ラグビー・トップリーグ  鹿児島大会

081214c1試合後、 神戸の後藤翔太さん、伊藤剛臣さん、本当にうれしそうでした。対する東芝は豊田選手も途中交代で盛り上がりませんでした。プレシーズンマッチでは50-0で一蹴したのに、東京からやってきて・・・・・ため息が出るのみでした。
そんな中で、一緒に応援したSがNECの水山選手のマスコットボールをキャッチ。Sも年間20試合以上はラグビーの試合をみます。こんな大物のラグビー小物をゲットしたのはおそらく初めて?30cmぐらいあるしっかりしたサインボールでした。サインの主の水山選手は日本代表選手です。これからも頑張ってほしい。ボールはSから譲って貰いました。081214c2
鴨池陸上競技場のバックスタンドからの桜島の眺めは素晴らしいものです。なんとなく気勢の上がらないまま、桜島に慰められながらホテルまで小一時間歩いて帰りました。081214c3

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ラグビー 東芝vs神戸製鋼 トップリーグ第9節(鹿児島)

081214b1鴨池陸上競技場の第2試合は東芝対神戸でした。前日、地元のFM放送が九州のラグビーリーグ戦の話題と鴨池の東芝vs神戸の豪華カードが鹿児島で見られることに感謝したいと放送していました。なのですが、九州電力の大応援団が引き揚げてバックスタンドは閑散としてしまいました。081214b2
試合は風上の神戸がPGで加点してゆき、東芝はミスや反則が続き神戸ペースで進み11-16で神戸がリードして前半を終わりました。
後半5分に東芝はロアマヌ選手のトライで同点に追いついたものの7分にそのロアマヌが、さらにディビット・ヒルが相次いでシンビンで退出すると神戸が2トライでリードしました。神戸は前に出るディフェンスで東芝の出足を止めます。36分に神戸・後藤翔太選手のインターセプトから70m独走トライで試合を決めました。081214b3
前の九州電力も、そしてこの試合の東芝も、風上に立った後半にキックで陣地を取ることをしませんでした。どのような意図があった戦法だったのか?疑問に残りました。最終スコアは東芝16-42神戸でした。

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ラグビー 九州電力vsNEC トップリーグ第9節(鹿児島)

14日、081214a1 南国・鹿児島鴨池陸上競技場にも強い風が吹いていました。風下の九州電力が前半24-19とNECに対しリードして前半を終わりました。バックスタンドは九州電力の大応援団が声援を送ります。地元開催の威力十分です。081214a2 後半は両チームともなかなかゴールラインを割れませんでしたが、22分NECの箕内選手が中央付近にトライし、追いつきました。33分に九電がPGでリードしますが、36分にNECのサウカウがトライで再逆転します。最後まで勝敗の行方はわかりませんでしたが九電27-31NECで、1トライ差でNECが逃げ切りました。
九電は風上に立った後半オープンにボールを回していましたが、風上の利を生かし、キックで確実にテリトリーをとったら結果は違っていたと思います。081214a3
NECの箕内選手はスピードになったら追いつけません。さすがです。

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鹿児島より帰宅

081215 今夜、先ほど、鹿児島3泊4日の旅より帰宅しました。鴨池でのラグビーを除けば充実した旅でした。私的には、最後にサプライズがありました。ちょっと興奮しました。
旅行期間中はブログの更新があまりできなかったのは、ホテルのインターネット接続環境が良くないため。  ではなく、焼酎を連日いただき、・・・・・・ハイ、そのためです。
今日の桜島は火口から蒸気を上げ雲となって立ち上っていました。昨日までは、ありませんでしたので、きっと見送りにサービスをしてくれたのでしょう。
まだまだ、鹿児島で見たいところがあります。また鹿児島には行くつもりです。
「鹿児島、よかとこたい」 

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鹿児島でごわす

昨日12日から鹿児島に来ております。昨日は半日鹿児島市内を巡りました。
今日は知覧から指宿の予定でしたが、知覧で一日とり、指宿へは行けませんでした。あらためてレポートするつもりです。写真は知覧の武家屋敷です。
081213bSと夜に合流しました。どうして知覧で1日かかったのか説明しましたが、こればかりは、行って納得してもらわなければわからないでしょう。Sと焼酎を飲みながら戦争の事、そしてラグビーの事を話しました。心に残る知覧ですが、気持ちをガラッと変えて明日は鴨池です。

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真珠湾攻撃から67年

ハワイへ行った時、真珠湾には行きました。しかし、アリゾナ記念館には行く気にはなれませんでした。何か後ろめたい気持ちで、ただ海岸から遠くの記念館の白い建物をながめていました。
パンチボールの丘(アメリカの戦没者墓地)へ行った時、日本が攻め込まれる地図には、理屈ではなく気持ちの良いものではありませんでした。
私が生まれる前の話ですが、硫黄島やフィリピン戦線などの戦記を読むにつけ、あの戦争に駆り立てた人間に対し怒りがこみ上げます。剃刀と言われた軍人が二人います。陸軍の東条英機と井上成美海軍大将です。この二人の軍人の生き方はあまりにも対照的です。
薩英戦争から日露戦争における武士・軍人の持っていた矜持は昭和陸軍によってズタズタにされました。東条英機はその一人でその最たる者です。
極東軍事裁判は、勝者による裁判の側面があることは抜きがたい事実であるとは思います。だからと言って東条英機をはじめ戦争指導者に免罪符を出すわけにはいきません。東条英機は戦争を指導した犯罪者であり、未来永劫許されざる人間です。この裁判は、日本人自らが「戦争へと導いた人間」を裁く機会を奪った点において評価できません。
真珠湾攻撃から67年。戦争責任をきちっと見直す日にしたいものです。
戦争の犠牲になられた方のご冥福を祈ります。

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ラグビー全国大学選手権組合せ抽選会

081208a ラグビー全国大学選手権の組合せ抽選会が、東京・丸の内のオアゾで午後5時30分より行われました。初めての試みということで、のぞいてきました。
私は始まって15分過ぎ頃に会場に着いたのですが、予想以上の参加者でとても舞台が見える状態ではなく、2階へ上がって見ました。
会場がどっと沸いたのが2回ありました。1回目は、抽選が始まっていきなり帝京大と慶大の対戦となった時です。そして2回目が関東学院大と早大が1回戦で当たることになった時でした。081208b
抽選が終わって対戦カードごとのキャプテンが登壇して抱負と握手をし、最後に全チームのキャプテンが揃って抽選会は終わりました。このあとは記者の取材が行われました。記者の質問に答えるキャプテンや監督の談話を隣で聞くことになりましたが、当然ここでその内容を書くわけにはいきません。明日の新聞をご覧になってください。081208c (3枚目の写真は関東学院大と早大のキャプテンです)
「これから会社に帰るか」というサラリーマンも結構いました。ちなみに私は職場の誰より早くではありましたが、仕事を終え会社帰りに寄りました。
会場は盛り上がり、今回の試みはなかなか良いと思いました。

1回戦組合せ(12月20日)
帝京大      vs 慶大 (秩父宮)
関西第5代表  vs 天理大 福岡)
法大       vs 立命大 (熊谷)
日体大      vs 関西学院大 (花園)
福岡大      vs 関東第5代表(福岡)
関東学院大   vs 早大(熊谷)
同大       vs 流経大(花園)
日大       vs 東海大(秩父宮)

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ラグビー 東芝vs横河 トップリーグ第8節(秩父宮ラグビー場)

081206a3 前節、横河は感激のトップリーグ初勝利を飾りました。前半20分までに東芝が3トライを奪い大きくリードしました。が、トップリーグのトップレベルのチームとの対戦とあって、「気持ちでは負けない」という気持ちが伝わってくる気迫あるプレーをしていました。その気持ちがちょっと空を切ってしまったのか、20分過ぎサモ選手がショルダーチャージの反則をおかし10分間の一時退場。鎖骨骨折でそのまま選手交代となりました。激しくぶつかり合う音には慣れている私ですが、この時の音は、「迫力」というレベルを超えていました。081206a4 核弾頭のサモ選手を欠いた横河は果敢にトライを狙って行きますが、64-0で破れました。
この試合両チームともペナルティーゴールが1本もない試合でした。横河の応援団も最後まで元気に応援していました。さわやかな気持ちよいチームです。
サモ選手の離脱が長引くと戦いがより厳しくなってきます。早く良くなることを祈っています。081206a1
この試合のマンオブザマッチは東芝のオト選手でした。初受賞おめでとうございます。

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秩父宮応援デビュー

081206w1 今日(12月6日)は、秩父宮ラグビー場でKちゃんが秩父宮初応援のデビューでした。Kちゃんは、近□ご夫妻のお孫さんです。Kちゃんは1歳2か月です。当然初対面ですが年齢はお伺いする必要はありません。ご夫妻ともどもフランスのラグビーワールカップ応援ツアーでご一緒している時に産声を上げました。ラグビーの申し子かもしれません。Kちゃんにとっては、将来物心がついて振り返ったっ時、今日のこの瞬間は“記憶のないころ”の出来事になるのでしょうか。081206a2 近□ご夫妻のお子さんご夫婦と小□夫人とSと記念写真です。ラグビー場では、近□ご夫妻と小□夫人、もちろんご主人とご一緒にラグビー場でお会いしますが、記念写真を撮ったのは1年振りです。小□夫人からは、またまた貴重なラグビーの記念となるお品をいただきました。この場を借りてあらためてお礼申し上げます。
こうしてお会いするのは、皆さんラグビーが好きなのはもちろんですが、あのワールドカップの感激をともに分かち合った体験で結びついているのだと思います。今日の合言葉は「ニュージーランドでもご一緒しましょう」でした。081206w2

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運転免許証更新

そのうちにと思っていたら運転免許証の更新期限が今週いっぱいとなってしまったので、あわてて新宿の都庁にある免許センターへ行ってきました。

臨海線の電車の接続が良くなく新宿に着いたのが2時40分。(埼京線のホームは駅のはしっこ)受付は3時まで、何がしか書類を整えて提出が3時となれば、ほとんど時間がないことになる。都庁まで小走り、小走り、さらに小走り。
都庁には何とか10分前に着いた。申請書類を整えてではなく、受付に更新通知はがきと免許証を出した時点で受付はOK。ほっとする。住所も本籍も変わっていないので、あとは指示に従って納金、視力検査、暗証番号登録、写真撮影。
小走りの連続のせいで写真撮影の段になって汗が出てきて止まらない。
ここで本籍が郡になっていることに気づいた写真係の人が「市町村合併はしていないのですか?」 
わたくし「あっ! 」 ( ̄Д ̄;;
係の方「大丈夫です。講習が終わったら②番の窓口へ行ってください。」
ほっとしたものの汗はまだ出る。
係の方「ネクタイがちょっとまがっています。ミラーを見て直してください。」
親切な方だ。ネクタイを直して、また汗を拭いて。
あっ、眼鏡が鼻眼鏡になっている。汗をふいてばかりいたから、さて直そうと思ったら。
係の方「ハイ、終わりました。どうぞ講習のほうへ」 ほぼ流れ作業だ。

5年間この顔? 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

そういえば、更新通知に「縦3cm、横2,4cmの写真を用意というので、前日写真を撮って持って来ていたのに使わない!鼻眼鏡ではなかったのに!本当は最初の窓口で持参の写真を貼るのだったのだろう。周りに代書屋も証明写真を撮る機械もない。係の方は「写真は持って来ない」の前提で皆を案内していた。私も例外ではなかった。
講習を終わって、もらった免許証に変更された本籍を訂正して終了。

前回はゴールドだったのに、5年間でたった1回の違反でゴールドではなくなる。1年前の「左折禁止違反」1回のみ。左折禁止です。右折禁止ではありません。左折禁止はないだろう!
私を捕まえたお巡りさん「よそから来たならまだしも、地元の方ですから注意だけとはちょっといきません」
地元と云われても、通勤が片道2時間近く、平日は地元にいない。土日だってあっちへ行き、こっちへ行き。市内は最寄りの駅と大型スーパーへ行くぐらい。地元の交通事情なんて、そんなの知るか~~。秩父宮ラグビー場辺りのほうがよっぽど地元だ!

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2011年ラグビーワールドカップ組合せ決定

081202a 2011年にニュージーランドで行われるラグビーワールドカップの組合せが発表されました。
予選リーグは5チームで1組となって4組で争われ、各組上位2チームが決勝ラウンドに進みます。
アジア地区代表はプールAに入り、ニュージーランド フランス トンガ それにアメリカ地区1位と同じ組になります。
ニュージーランド、フランス、トンガはシードされて決定です。アジア地区代表は2010年に開かれるアジア五カ国対抗の優勝チームがなりますが、日本で間違いないでしょう。アメリカ地区1位はアメリカorカナダとなるでしょう。過去にワールドカップでは1勝しかしていない日本の現実的な目標としては、まず1勝し、その上で2勝目を積み重ねるということになります。
トンガにはパシフィックネーションズカップで2連勝しています。アメリカとはこの11月に連勝しました。カナダとは昨年のワールドカップで引き分けています。もちろん日本が易々と勝てる相手ではないことは確かですが、大いに期待が持てます。
来年6月までには日程も決まります。ニュージーランド大会まで3年を切りました。期待が膨らみます。 

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