細川ガラシャ
2日は高槻を巡ってきました。私の主目的は古墳めぐりですが、高槻といえばキリシタン大名の高山右近が有名です。その高槻の話は、日を改めてご紹介します。同じキリシタンで悲しい生涯をおえた細川ガラシャの跡も訪ねましたので先に述べます。
ガラシャは関が原の合戦で、東軍にあって、豊臣恩顧の大名を徳川に味方するよう工作した細川忠興の正室で、明智光秀の娘です。関が原の合戦に先立って、石田三成は諸将の妻子を人質にしようと、細川屋敷を囲みました。しかしガラシャは人質になることを拒み、家臣に自らを討たせ、生涯を閉じました。キリシタンですので自害はできません。三成にとっても誤算となってしまいまいた。
大阪城の南に“越中井”と呼ばれる井戸が残っています。井戸は屋敷の北西角にあったようです。現在、道路も井戸を避けて曲がっています。地元の方が守っています。越中とは“細川越中守”から来ています。屋敷跡は越中公園となっています。
お城の反対側、淀川を渡ったところに宗禅寺があります。足利義教の首塚と並んでガラシャのお墓があります。焼け落ちた屋敷跡から宣教師のオルガンチノが遺骨を拾いたてたものです。お墓には「芳林院玉子刻まれています。キリシタンとして生涯を閉じたガラシャにとって洗礼名が欲しかったのではないでしょうか?そんな感想を持ちました。
辞世
散りぬべき時知りてこそ
世の中の花も花なれ
人も人なれ
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関ヶ原 販売元:キングレコード |
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