鎌倉(名越切通し~光明寺)
前に鎌倉へ行ったのはいつだったか?学生時代は月に1回ぐらいは行ってたような気がする。久し振りである。逗子で降り名越えの切通し(鎌倉は3方が山地に囲まれ天然の要衝になっていた)へ向かった。7つの切通しでは最も旧態を保っている。幕府滅亡の折、ここだけは破られることはなかった。道は人1人・馬1頭が通れるほどの細さで逗子から行くとその急峻さが実感できる。
そしてまんだら堂のやぐら(鎌倉時代の岩を穿った墓地)も整備中で立ち入り禁止にはなっているが遠目からは見える。いずれ整備後公開されるのだろうが、文化財の整備は遅々として進まないのが通例である。山を降り材木座海岸へ向かった。鎌倉時代の港の跡である和賀江島が見える。満潮のときは海面下に沈んでいるのだが幸い行った時は見えていた。ウィンドサーフィンがのどかに行き来していたが、数百年前に実朝が宋へ向け出発しようとして果たせなかった海である。海岸を散歩する人やサーファーは知っているのだろうか?時の隔たりを感じる。そして光明寺へ向かった。宮崎延岡の大名・内藤家の墓所である。江戸時代の大名の墓所は鎌倉ではここだけである。名越えから光明寺。何十年たっても変わらない風景が広がっていた。
| 固定リンク
「歴史・史蹟」カテゴリの記事
- 石田三成所持の刀(2023.02.03)
- 永福寺(ようふくじ)鎌倉市(2023.01.09)
- 西南の役 戦跡(2022.12.31)
- 熊本城再訪(2022.12.17)
- 横浜開港資料館(2022.11.27)
コメント