近松門左衛門と井原西鶴
花園のラグビー観戦の帰りに井原西鶴と近松門左衛門の墓を訪れた。井原西鶴の墓は1m以上もある立派なものだった。この時代としてはかなり大きなお墓で文字の彫りも深い。横面には風雪に耐えてではなく長い年月をものともせず、元禄の年号がしっかり刻まれていた。そこから歩いて5分ほどで近松門左衛門の墓へ。目に入った墓は西鶴の1/4程の大きさ。戒名に「信女」。あらら、ともう一度お墓の入り口の説明版に戻る。どうやら奥さん?と一緒のお墓のようで確かに右横に「居士」と記された戒名が、
これは生前の財力の反映なのか?
それとも死生観の違いなのか?「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」というが、戯作者は当時の社会的は地位が低かったというがどんな生活を送ったのだろう。事実はどうなんだろう。人間の幸せって何だろう。急に思い込んだ。
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