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2006年12月

ありがとう 2006年

061223_1ようやく大掃除も終わりました。照明器具とお風呂の掃除、それに洗車が私の分担です。照明器具は我が社の製品だからなのか?どうか?私も分からないのですが、いつの間にか私の分担です。お風呂掃除と洗車では、ラグビー応援グッズとしてもらった東芝ブレーブルーパスの真っ赤な雨よけポンチョが大活躍します。お風呂の天井を洗い流す時、天井からカビキラーが溶け込んだ水が降り落ちてきます。以前、そのために衣服が点々と色落ちしたことが有りました。洗車の時も重宝してます。脇を通った小さい子供がじろじろみて行き、また戻って来てじろじろ。秩父宮ではスタンダードのスタイルも、住宅街では珍奇な格好のようです。
今年のラグビーではワールドカップ出場を見届けたし、トップリーグではチーム数が増え、白熱した試合も増えました。23日のコーラ対リコー戦の試合後、コーラの築城選手(赤の14番)がリコーの選手を探し、金澤選手(黒の15番)を見つけ肩に優しく手をかけ、話しながらメインスタンドへ戻って行きました。二人の接点は7’Sの代表候補での合宿かな?互いの健闘を讃えあったのか?去ってゆく二人の行く先は15人制の日本代表かな?この背中が桜のマークを背負って15人制でも活躍する日は遠くないかもしれない。赤14番、黒15番、良いお年をお迎えください。

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近松門左衛門と井原西鶴

Photo_21 花園のラグビー観戦の帰りに井原西鶴と近松門左衛門の墓を訪れた。井原西鶴の墓は1m以上もある立派なものだった。この時代としてはかなり大きなお墓で文字の彫りも深い。横面には風雪に耐えてではなく長い年月をものともせず、元禄の年号がしっかり刻まれていた。そこから歩いて5分ほどで近松門左衛門の墓へ。目に入った墓は西鶴の1/4程の大きさ。戒名に「信女」。あらら、ともう一度お墓の入り口の説明版に戻る。どうやら奥さん?と一緒のお墓のようで確かに右横に「居士」と記された戒名が、Photo_22 これは生前の財力の反映なのか?

 

それとも死生観の違いなのか?「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」というが、戯作者は当時の社会的は地位が低かったというがどんな生活を送ったのだろう。事実はどうなんだろう。人間の幸せって何だろう。急に思い込んだ。

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ラグビートップリーグコーラVSリコー

今年最後の試合ということか?チアーリーダーが出て私にとっては開幕戦以来の華やかな演出。バックスタンドから見るとメインスタンドに、もう少しお客さんが欲しいところ。今季トップリーグに初昇格を果たし、旋風を巻き起こしたコーラが当面のライバル=伝統を誇るリコーと花園で対戦した。前節三洋に大敗したコーラだが、今の三洋はどのチームが対戦してもなぎ倒されそうな勢いがあり、いわば自然災害のようなもの、忘れてしまえばよい。それより、前々節秩父宮でリコー(勝ち)VSセコム、コーラ(負け)VS神戸の試合を比較した時、結果とは逆にコーラに分があるな見ていた。ところが、コーラの応援掲示板では私はどうやら「のうてんき派」に属することが分かった。そして試合が始まると「のうてんき派」に冷水を浴びせるような展開。レフェリングと合わないのか、組負けか?コラプシングを取られ、ラインアウトも安定せず。開始5分でトライを許す。10分までは「かなりまずいぞ」の状態。「のうてんき」を反省し始める。しかしここからスクラムが安定してきた。しかし20分を過ぎて0-14で差を広げられる。「きっかけ、どんな形にせよ点が入れば」と願いながら選手を追って見ていると、築城さんのトライ。「行ける」。その後リコーに加点され前半は8-21で終える。しかしスクラムで勝つということがこんなにも気持ちに幅を持たせてくれるのか。「絶対逆転できる。」確信していた。確信したからこそ、スコアボードをカメラにおさめる。(写真)後半早々淵上さんのインターセプトのトライからピッチが上がって逆転のPGへ。(写真はボールの行方を追う選手)スタンドからは「JAPANの西浦頑張れ」の声が再三飛ぶ。コーラのファンではなさそうだがJAPANでの頑張りは皆見ている。そして大きな大きな1勝。逆に、最後1トライ1ゴール差まできたリコーはさすがである。バックスタンドに挨拶に来た選手に「良いお年を」と声をかけた。チームは一歩一歩大きくなっている。1223_1 1223pg_1 1223_2 1223_3 1223_4

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ラグビー コカコーラ戦

17日、ラグビートップリーグ コカコーラ対三洋戦、コーラの応援で朝食もそこそこに一路上州へ、車中でうたた寝の後、ちょっと早めの昼食は、乗換駅の高崎駅で名物「だるま弁当」にしようか、遠出の楽しみは名物を食すること。が、待てよ、だるまじゃあ「手も足も出ない」ちょっとまずいな、と思ったが、ここは守りから攻勢へ食べる理由を考え直し、「手も足も出ないよう平らげてやる」ということで、高崎駅へ、しかしだるま弁当はホームで売っていない!あらら、新幹線の乗換え口に行けば売っているのか?しかし乗り換え時間が少ない。結局あきらめる。だるま弁当に手も足も出なかった。前橋駅で降り、駅前の吉野家の牛丼で腹ごしらえ、「敵をぎゅっといわせる」というわけではなく、単に株主しだからという次第。ただし、3000円の株主優待を狙ったごみ株主である。バスで敷島球技場へ、そして勝手が分からないまま、バックスタンドへ向かう。普通、応援団がセンターラインをはさんでバックスタンドを半分に分けるのだがサンヨーの応援団が占めている。応援グッズを渡された。これは素直にいただいておこう。バックにはコーラの応援はおそらく一人もいない。完全にアウェーだ。結局フィールドに下りて一周してメインスタンドへ、選手はまだだが、宮本監督と向井監督が居られたがここは試合前なので遠慮した。その気になればゴール裏から金網越しにタダで観戦できる。芝生は良くないなー。

試合は強さの戻った三洋が終始りード。ブラウンさん珍しくキックミスが有ったがパス回しの判断の良さはさすが。それとパスダミーで淵上さんの内を抜くと、淵上さんくやしさを隠していなかった。三洋の先発したバックスリーとフルバックは全員関東学院だった。ここは三洋の強さを讃えるしかない。コーラは気持ちを切り替えて次戦全力。幸い空っ風に吹かれずに上州路をあとにしたPhoto_14

Photo_19 というわけで、今週は今年のラグビー見納めで花園へ行Photo_20 ってきます。

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ラグビートップリーグ第10節

16日秩父宮で行われたラグビートップリーグ第10節リコーVSヤマハ戦で「こわい」129nec 1210 を連発していたのは私の後ろに座った女性でした。連れの男性も「おーおーおー」と驚きと雄叫びの混じった声を出していました。試合が終わる頃はもう「こわい」ということもなくなり生は迫力が有って良いと満足していました。次のNEC vs サントリーで初めてラグビーを生観戦した子が職場にいたので、「こわい」といってた子がいたよ言ったら、その気待ちよく分かる。との感想で、ルールは良く知らなかったけど、迫力があって楽めました。といことでした。前に落とすのはなんて言うんでしたっけと聞くので「ノックオン」と答えたら、「隣にいたおじさんがビールをこぼして、おれがノックオンしてしまった」と、これがまたおかしかったようで、楽しく話しをしてくれました。翌日は前橋でコーラvs三洋戦を観戦しましたが、家族連れが多く秩父宮とはまたちょっと違った雰囲気でした。(写真はNEC-サントリーとコーラー三洋戦です)

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ビーニーベイビーズ

ビーニーベイビーズが届いた。ラグビーJAPANのジャージーを着て、胸には桜マークとカンタベリーのマーク。袖には日の丸。背番号は9と15の2体で私の心の中では伊藤護さんと怪我から癒えた立川さん。値段を聞いた子供が「うさぎより高い」 そう、生身のパンダうさぎ、Photo_12 Photo_13 名前はホルテン。子供がイチキュッパで買って来てから早2年。かけがいのない家族である。背番号8をつけてもらおうか。

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95万円の戦艦大和

秩父宮でのラグビー観戦の帰りに久し振りに青山にあるWINGCLUB(精密デスクトップ模型)のお店に寄った。秩父宮の帰りは観戦談義が相場となっているのだが、この日は一人だったのと、ラグビーの試合でレッドカードが出て少し気持ちがすっきりしなかったので気分転換をかねて寄った。(サッカーと違ってラグビーでレッドカードというのはめったに出るものではない)
 そんなに大きなお店ではないのだが入り口を入るとすぐにドーンと95万円の戦艦大和が飾ってある。本来お店の名前の通り飛行機模型の専門店なので飛行機の模型が所狭しとなのだが、この大和は「すごい」値段もすごいが値段だけのことはある。甲板の木肌がリアリティーを持って迫ってくる。今にも戦闘員が甲板に出てきそうな感じがした。あんまりリアリティーがありすぎて「この船で何千にもの若者が死んだんだ」とまで想いを起こさせられた。

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私は外国人です。

香港でのラグビー観戦ツアー期間中、街頭募金が行われていた。日本では怪しげな募金もあるのだが、募金のために街頭に立っている女の子を見ると怪しげには見えないし、道行く人が結構募金に応じていた。困っている人を助けるのに現地の人も外国人も無い。とは思ったが、いくらが募金の相応金額なのかも分からなく避けていた。初日は目をあわさないようすり抜けていたのだが、そこは観光客。キョロキョロと20階建ての建物の建設現場の足場が竹でできているのが面白くて「上を向いて歩いていたら」突然、募金活動中の女の子が目の前にいた。募金のお願いを中国語で話してきた。中国語が分かるで無し。日本円換算で75円ほどを募金箱に入れた。日本は羽を胸に付けてくれるのだが、胸に募金をした証にワッペンを貼ってくれた。なんとなく世の中に役立って良かったという気持ちと、もう街頭を大手を振って歩けるという開放感があった。何しろ34日の内、ラグビー場(歩いて15分)へ一回行く以外は全てフリータイムなのだから。

ショッピングにもブランド品にも興味の無い親父がラグビー観戦以外に立てた目標の一つが2階建てバスに一人で乗るということであった。香港のバスはコインを入れたらつり銭はもらえない。適当な金額を入れるのはつまらない。きちっとした料金を入れたい。そして何よりもバスに乗って迷子にならないこと。そこで、バス停で観察することにした。行き先は私の希望する所か?そのルートNoはいくつかを覚えなくてはいけない。さらに料金表示はどうなっているか。それを確認してからバスに乗る。その目標のため3本バスを見送って観察していた。とその時、カップルが私になにやら、おそらくどのバスルートに乗ればよいのか聞いてきた。

そうだろう。胸に募金のワッペンが張ってある。そんな外国人がいるとは思っていないはずである。勿論見掛けでは分からない。だけど手にはガイドブックを持ち、にらめっこしているでしょ。

「分かりません」と日本語で答えた。こういうときは日本語に限る。それでもなお聞いてくる。おいおい、それは無いだろう。と思いつつさらに私は日本語で答えた。「私は外国人です。自分でバスに乗るので手一杯です。あなたが何を言っているのかさっぱり分かりません」と。このカップルを退けている間にそれらしきバスが1台行ってしまった。「急ぐ旅でもなし、まあ、いいっかっ」

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本年のマイラグビーライフ最大の珍事

Photo_10 Photo_11 最大の珍事と言っては先方からすると失礼な上に失礼な話なのですが、文字通り予期せぬ珍しい出来事ではありました。114日の日本ラグビーフットボール協会創立80周年パーティーでの出来事です。私は、パーティーに参加していたオーストラリア首相チームの選手のサインをもらいに、演壇の左手の選手が一団となっているところへ向かいました。当日昼に世界最多キャップ保持者のジョージ・グレーガン選手にサインをしてもらったレプリカかなんだか本人も、しかと分かりかねるジャージ(写真)を持って。人を掻き分けて向かいました。早速、長身の選手にジャージーを出して「サインをください」と頼んだところ、隣にいた女性が「こちらの方は、アジア連盟の会長でいらっしゃいます」と。「えっ!」「ひえー~」「うー~んっ」・・・・・80周年記念パーティーでのえらい失態である。この日招待を受けたVIPには一人ひとり専任の通訳の方が付いていたのだがこの女性はその通訳の方だったのだ。サインをもらいに来た私に通訳の方も会長も驚いたのだろうが、私も驚いた。VIPと闖入者との未知との遭遇である。通訳の方は続けて「スリランカからお見えになりました。」とのこと。私もここで考えた。「ごめんなさい。」と先ずは謝ったが、このまま退くのも失礼と思って、10月中旬に代々木公園で行われたスリランカフェスティバルに秩父宮でのラグビー観戦の行き帰りに訪れたときの出来事と、「今回、アジア最終予選がスリランカで行われることになっていたが、予定が変更になって残念です。私は、スリランカに観戦に行く予定でした。近い将来、平穏が回復され、最終予選が開催されるよう強く願っています。その時はきっと貴国を訪れさせていただきます。」となにやら政治家の発言のようになっていた。通訳の方は逐一訳してくれて(ほぼ同時通訳状態)会長は軽くうなづきながら聞いていた。さすがの私も「記念写真を」とは言えなかった。会長はきっとスリランカではエリート中のエリートなんだろうな。そんなことを思った。

 10月中旬に行われたスリランカフェスティバルに行ったのはスリランカを知りたかったのと応援ツアーに行った時、お土産はどんなのがいいか見定めるため、そしてあわよくばそのお土産をこの会場で買ってしまえと手抜きを考えていたのである。最終予選開催地が変更になったのはこのいい加減な考えを仏様が懲らしめるためだったのかもしれない。それにしてもフェスティバルでのお線香を持ちながらの民族舞踊(写真)は、その匂いに包まれ、なにか不思議な世界だった。

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ラグビートップリーグ秩父宮 監督の好采配で勝利のはずが、でも

Photo_8 Photo_9 コカコーラ対神戸

秩父宮ラグビー場では場内FM放送があります。試合に即してルール解説やプレーの解説をして、観戦客、特に初心者にはとてもありがたいサービスですが、私のようにン十年見ているものにとってもスクラム周りの反則は分かりにくいのでFMラジオは必需品になっています。そのFM放送の話です。第一試合のリコーVSセコム戦で「次の試合のプレミーティングで向井監督が『雨の中でのコーラのハンドリングスキルをお見せします』とおしゃっていました」と放送していました。FM放送も2年目ですが次の試合の監督のコメントを放送するのは初めて聴きました。目の前の試合のセコムが攻め込んではノックオンを連発していたのでこの話を紹介したのかもしれません。

この日の第2戦も冷たい小雨が降るなか、コーラは開始何分かで先制の決定的チャンスを迎えた。外に一人完全に余って「トライだ」と思ったら自ら持ち込もうとしてタックルを受け先制機を逃す。「ああーっ」とため息がでる。その後は、神戸のバックス陣の防御が固くなり0対14で前半戦で終えた。

後半戦はコーラが一転してスクラムサイドを攻める。試合の様相が一変する。神戸の反則を誘いペナルティーゴールを2本決めさらに15分トライを決め1314になった。

この試合の場内FM放送の解説は炎のタックルマンこと石塚さん。昨年は上田さんと名コンビの解説をしていたが今年から常総学院のラグビー部の監督となっています。

前半戦は「神戸のバックスの防御は固い」といってた石塚さんが後半のコーラの戦術変更がぴたりと決まるとコーラひいき(或いは向井監督ひいき?)が押さえきれなくなったのか?この戦術変更の指示をしきりに賞賛し、ほとんどコーラ応援放送状態になってしまった。と、私は感じた(と書かないと問題になるといけないので)「試合後、向井監督に電話しよう。」とも言ってました。自らも指導者として感じるものがあったのでしょう。「私は公平に放送しています。」ともきちっとご本人は放送の中で言い訳?してました。ちょっと笑ってしまいましたが、まあ、コーラのホームゲームだから宜しいのではないでしょうか。

そして密集周辺を攻められて手薄になった神戸のバックスを攻め逆転トライだ!!のはずがなんとノックオン。私の頭の中はこんな状態→?Э×※¶!Жになりました。

石塚さん「もし負けるとしたらこのプレーがということになるかも。流れが変わってしまうことが良くある」と解説。その後、試合は解説通りになってしまった。16対28でノーサイド。逆の点差の結果になってもおかしくなかった試合。勝利が掌からこぼれてしまった。

でも悲観することは無い。前の試合のリコー、セコムは当面の順位争いの試合であったが、この試合の方が引き締まっていたから。いけるぞ!CCWRS!

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世界大学選手権構想

 

9日午後6時よりゲートシティー大崎にて全国大学ラグビートークバトル2006が開かれました。冒頭森会長が現れ(多くの方が驚きました。私も)ご挨拶をなされました。その中で私が特に注目した発言です。
 
「大学の監督に話を聞くと、大学選手権に目標を置いている。が、招致を目指している2015年ワールドカップにはこれからの大学生が中心にになるのだからワールドカップを目標にしてもらいたい。トップリーグの14監督に聞くとトップリーグ同士の対戦にはガッツがあるが、代表になると薄れてしまう。それではいけない。ワールドカップの招致を目指す一つの理由はラグビーをグローバルにしたい。現状は、英国はイングランド、ウェールズ、スコットランドの3カ国に分かれ、しかも各2票投票権を持っている。(他の国は各1票) 英語圏の国に偏っている。これはおかしい。真のグローバル化が必要だ。招致に当たって、代表を強化したい。一つの方法としてトップリーグのプロ化を試行したい。が、もっと近い方法として、高校、大学は世界と差が無いのでここの強化策として世界大学選手権を創設したい。そして日本で開催したい。」
 
世界大学選手権構想はどこからか聞いたことはあるが、会長の口から聞いたのは初めてでインパクトがありました。また、ワールドカップ招致に向けいろんなことが動き出していることが先月の協会80周年記念のスピーチとも併せ、感じられました。英語に関しては、太田GMのブログでもフランスが苦労していることに触れられていました。私たちサポーターもラグビーの波が変わって来ている事に合わせ、変わらなければならないと思います。

 

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我が家のうさぎ

Photo_6 Photo_7 我が家のうさぎ。(パンダうさぎという種類だそうだ)。名はホルテン。ラグビーのトップリーグのブレーブルーパスの選手と同性同名である。子供がつけた名前はFORNEUS(フォルン)であった。家族が「フォルンちゃん」とか「フォルピョン」とか呼んでいるうちに私がホルテンにしてしまったのだ。といってもそう呼んでいるのは私だけなのだが。
 もう2年ほど前になるのか、私が単身赴任していて、週末に帰宅したところすでに我が家の住民になっていた。一週間ほどはゲージから出ることは無かったそうだ。それが今では6畳の和室が彼の部屋となっている。そして私が部屋に足を踏み入れると自分のテリトリーに入ってきた部外者を確認するかのように私の周りをぐるぐる廻るのである。私が「インディアン踊り」と名づけたその儀式が終えてはじめて入室が許される。そしてさらに今では居間にまで勢力圏を広げてしまった。勢力圏で彼がしたことは、ありとあらゆるものを試食することである。ためにホームシアターは使えない状態。後部スピーカーのスピーカーコードを試食なされた。また、マッサージチェアーもある日使おうとしたらリモコンが効かない。リモコンコードを試食なされたのだ。今ではただのソファーとなってしまっている。これはほんの一例。私は自衛手段を講じ「押入れ用すのこ」を買ってきてソファーからテレビからスピーカーから彼の試食の対象となりそうなものを次から次へと囲い、そして全て囲ったのである。気が付いてみたら「すのこの柵」に囲まれて生活していた。この家の主人は一応私であるはずなんだが。

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ラグビーワールドカップ最終予選ツアー(最終会)

ラグビーワールドカップオフィシャルツアー日本対韓国参加記録

1127日 ツアー最終日

いよいよ帰国の日。午後1時、ホテルのロビーに集合。例によって3人に遅刻は無し。どころか、まづはツーリストのTさんにも入ってもらって今回公式ツアー参加者集合記念写真を撮る。続いて私が持ってきた大日章旗に3人にサインをしてもらった。(私は試合当日に日付と自署・・・日本ラグビーの輝かしい歴史に参加した日の丸である)

香港での自由時間の自己目標である。ビクトリアピークへ行き100万ドルの夜景を見る、そして、一人で地下鉄、2階建てバス、2階建て路面電車、フェリーに乗るも達成し、もう思い残すことは無い。尤もその為に試合会場へ3日連続で行くことになったのだが。25日の試合後ホテルへ帰る途中のバスの中で私は「もう明日、日本に帰っても良い」といったらツーリストのTさんが「すいません」と云った。当初の予定から1日伸びてしまったことをわびていた。しかし、私はそんなつもりで言った訳ではなく、満足感でいっぱいで、もう香港に思いを残すことは無いという意味で言ったのだが、これが控えめのTさんの反応だった。私は気づかなかったが、ご主人さん曰く「試合中Tさんはズーッと立ちぱなしだった」そうだ。

バスはホテルを離れた。Tさん「途中でプレス関係の方を乗せますが宜しいでしょうか?」勿論、車はガラガラ悪かろうはずはない。途中、他のホテルによってプレス関係者3人を乗せて一路空港へ向かう。車中で“放送関係者です”というTさんの紹介で「J-SPORTSさんですか?」とたずねると「在京キー局」さんとのこと。「ニュースで時々ラグビーのニュースは流してます。」とのまづはアピール。ここからここぞとばかり質問を浴びせる。「ラグビーの報道が少ない。もっと報道して欲しい。ニュースでやっているそうだが必ず報道するなら見るのだが時々放送というのでは」キー局氏「サッカーなら放送で14%ぐらい稼げる。ニュースではサッカー、バレボールーとかが続いて陸上。ラグビーはその次。陸上のニュースを伝えてまだ時間が残っているとラグビーを伝える。そこまでで時間がいっぱいならラグビーのニュースは無い」。私「陸上競技のほうが上ですか」とため息。「せめてトップリーグの結果だけでも毎回流せなませんか」。キー局氏「私もラグビーを応援してます。皆さんも局に投書してください」。 私「この頃メディアの報道が多くなってきてますが、どこからか働き掛けが有るのですか?」。キー局氏「ワールドカップがあるからでしょう。それにカーワン氏の魅力。エリサルドには魅力が無かった。だけど、それもワールドカップまで。終われば報道はガクンと減ってしまうでしょう」。 私「J―SPORTSが放映権を独占して、他の電波が流せないのでは?」キー局氏「知っている限りではそんなことは無いでしょう。視聴率がとれないので各局が放映権を取りにいってないだけでしょう」。私「それなら、真夜中でも良い。どうせ誰も見ていない時間帯だから視聴率を稼げなくてもいいのでは?」。キー局氏「放映するとなるとスタッフを何十人も派遣する。費用もはっきりわからないが“ン百万”掛かる。経費倒れになる」

私は、好きなラグビーを放送をしてもらえない被害者の立場から一方的に質問してしまったが、残念だけど「放送局も慈善事業ではない以上、視聴率の取れないコンテンツは電波で流してはくれない」という当たり前のことを確認することになった。「サポーター一人一人が好きなラグビーを盛り上げなければ」と気持ちを新たにした。終わりにキー局氏が「私は試合が有る時は必ず秩父宮に行ってます。声をかけてください」と。そして車は空港へ着いた。

キャセイの帰り便は定刻どおり香港を発った。月曜日なのでガラガラと思いきや満席だった。凱旋帰国なので胸に桜マーク、袖に日の丸のポロシャツを着ていたら、キャビンアテンダントさんが「ラグビーを見に来たのですか?」と聞いてきた。「はい、そうです」。キャビンアテンダントさん「私も見ました。良かったですよね」。私「はい、良かったです」

機内でワインを頂きながら『頑張った選手、カーワンHC、太田GM、ご一緒した御夫妻、お世話になったツーリストのTさん、それにキャビンアテンダントさんにも、歴史的圧勝とワールドカップ出場を祝して 乾杯!』   <<終わり>>

 

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ラグビーワールドカップ最終予選ツアー

Photo_3 Photo_4 ラグビーワールドカップオフィシャルツアー日本対韓国参加記録

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このツアーは3泊4日で、香港の空港とホテルの間の移動と試合会場へのバス移動それにホテルでの朝食3回が込みになっている。その朝食をホテルのレストランへ摂りに行く。レストランの入り口で朝日新聞の国際版を手にして、昨日の試合の記事をチェック。香港の朝は遅いことが1日半の滞在期間でもわかった。夜はホテルの周りでは11時頃でも人通りが絶えない。その代わり朝はお店が開くのは10時か11時。その間を利用して、競馬場の中に在ったという昨日の試合会場に行くことにした。昨日わかったことはフィールドの隣ではホッケーをやっていたということだけ、タッチを切るボールはほとんど観客席の屋根か屋根を越えていたので一体どうなって入るのか?地図を片手に、ちょっと遠回りしてしまったが15分位で競馬場についた。何しろ競馬場だから大きい。さらに5分ぐらい回り込むように歩いてクラブハウス(というよりビル)の正面玄関に着いた。昨日の華やかな雰囲気は無く、少し年配のガードマンが一人立っていた。「そうだ、昨日2部しか買わなかったプログラムが残っているかもしれない、それに昨日触ろうとした『すべりやすいボール』。大慌てになってすっかり忘れてしまった。また、私が座った席に貼ってあった『選手控え席』のボール紙。私以外に思いがある者はいないが今頃はゴミ箱かな?まあ、ボールに触るのは無理としても。プログラムは残っているだろう。」ということでガードマンにプログラム買いたい旨話をすると中へどうぞということになった。(とすっと書いたが、私はの旅行英会話程度の英語だったのでちょっとだけ手間取った。私の英会話能力は、自分の要求は、それなりに伝えることはできる。自分の要求は理解してくれたようだが、返事が良くわからないことが往々にしてある。その時は自分の要求をしつこく繰り返すのみ。それでも思い通りにならなければ「NThank You」で会話は終わり)中に入ると受付に女性が二人いた。「プログラムは無い」とのこと。お礼を言って外に出た。今にしてみればラグビーユニオンがどこにあるか聞けばよかったけど、「まあいいっか」。どうやらここはラグビーだけではなくテニスからフィットネスクラブとかもあるようだ。さらに昨日入場した所へ回った。入り口は閉ざされていた。フィールドの中では少年ラグビーの練習をしていたが、「すっかり戦い終えて」の静かな雰囲気だった。サッカーフィールドもこの競馬場の中にあり、ラグビーのフィールドは端っこにあたり、ラグビー場のメインスタンドの外側はランニングコースでさらにその外側が馬場になっていた。今度はセブンスを見に来たいな。<ツアー最終日へつづく>

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ラグビーワールドカップ最終予選ツアー

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ラグビーワールドカップ最終予選オフィシャルツアー日本対韓国参加記録

(ようやく試合も後半戦そしてノーサイド)

勝利をもたらした選手に近くで声をかけようと観戦客がどーっと集まってきた。その中で「日本」コール。戻ってきた選手が応える。そしてストレッチに入った選手にコール、名前をコールされた選手がそれに応える。ちょっとゆったりした時間が流れる。ややあって、選手がスコアボード方向に移動を始めた。勝利の興奮が続く中、ツーリストのTさんが「来てください」と声をかけてきた。カメラ、ビデオ、双眼鏡、小旗、を出していたのであわてて鞄に詰め込む。大慌て!やっと詰め込む。Tさんがフィールドの中から「こちらです」しかし、立ちはだかる観戦客の壁。「エクスキューズミ」を連呼しながら掻き分ける。なかなかどいてくれない。3m前のフィールドにやっとの思いで入ることができた。選手のだれかれなく「おめでとうございます」と握手しながら周った。写真撮影の準備が進む中。大畑さんが「これで日本に帰れるー!!」と話すとも叫ぶともなんとも言い難い・・・・。大畑さんが、そして選手が重圧から解き放たれた瞬間だった。選手は「こんなにも重圧を感じていたんだ、結果を出さなければ日本に帰れない、そんな気持ちで戦っていたんだ」そば近く、肌で感じた。選手の汗と思いがこもったこのフィールドにシャシャリ出て来て立っていることを申し訳ないとさえ思った。準備が整い報道関係者による選手の写真撮影が始まった。カメラのフラッシュがたかれるなかみんな本当に嬉しそうな顔、顔、顔。良かった。一通り撮影が終わり、Tシャツが配られる。ジャージの上から選手が、そしてスタッフが着始めた。「感謝 TOP OF ASIA With No.23 Many Thanks for Your Support More Excitement for FRANCE」と書かれたTシャツは私たち3人にも配られ、いよいよ撮影である。「どの辺に入ればいいんですか?」と聞いたところ、「真ん中の一番前へどうぞ」一瞬びっくりした。端っこにちょこっとだと思っていたから。しかし、もうここまできたら遠慮は要らない。真ん中へ進み出て、1mを超える日の丸を全面にし、日の丸と桜の小旗2本を抱えた。大畑さんが「かぶっている、かぶっている」と小声で言った。なんと私の小旗が大畑さんの顔を隠してしまっている。そうしたら、大きな日の丸の端を箕内さんが持ってくれた。大事な選手を隠さないよう小旗を持ち替え、大きな日の丸をまるで掛け布団のように首だけ出して準備OK、私の左は大畑さん、右は箕内さん、すぐ後ろは見る余裕が無かったけどたぶん伊藤護ちゃん。フラッシュが次から次へとたかれた。奥さんが「このTシャツはどうするんですか?」スタッフの方が「どうぞ」というと少し驚いたようでそして嬉しそうな顔をした。私は最初から返すなんて気は更々無かったから聞かなかったし、たとえ言われても決して手放さなかっただろう。

撮影後何人かの選手にサインをもらう。持って行ったボールにバツベイさんにサインしてもらったら、バツベイさんがそばを通りかかったオライリーさんに、たぶん「お前もサインしろ」と云ったのだが、オライリーさん、勘違いをして、私のカメラをとって構える。モデルはバツベイさんと私、カメラマン、オライリーさんでパチリ。

フィールドから出ると、「公式ツアーの方ですか?」「スリランカだったのであきらめていたんですが、香港になったので来たんですがホテルが取れなくって」と声をかけられた。同じサポーター同士少し話しをしたかったけど、車が来ているのでできなかった。

ホテルに戻って解散。ビールと中華の串刺しを買って来てホテルの自室で一人祝勝会。ビデオカメラを再生し、愛機のリブレットに新鮮な感想を書き込む。今日の一戦は私が今まで見てきたん十年の観戦歴のなかで最も短かった80分であった。<つづく>

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ラグビーワールドカップ最終予選ツアー

ラグビーワールドカップオフィシャルツアー日本対韓国 参加記録

小野沢さんを「緊張でボールが手につかない」と云った私が、勝手に認定トライかと思うほど。私もいつもと違っていたかもしれない。目の前に選手が「すべる」というボールがある。記念撮影のときに触らせてもらおうかな。と思いつつ、後半はなんとしても先に点を取る!先に点を取れば決まりだ!前半は遠くでやってたけど、攻め込んでたからいいんだけど、その調子で後半は目の前でやって欲しい。そしてその願いどおり大畑さんのトライ「行けー 行けー 行けー やったーっ!」やったーけど立ち上がってしまっていたから翔太さんの視界を完全にふさいでたのでしょうねきっと。その後何回もごめんなさい翔太さん。さあ、後は得点の量産だ。大畑さん、早! 韓国の選手が樹氷で、その樹氷の中を直滑降であっというまに抜いていく。そんな感じだ。後半戦を見ながらイタリア戦を思い出していた。6Nでは一つも勝ててないイタリア相手に完膚なきまでに粉砕された日本。そして今、P5Nで苦しんだ日本が韓国を完膚なきまでに粉砕している。この半年、色々あったけど、この戦いに全てがぶっつけられているんだ。・・・・こうなればノートライが目標ですね。とご主人に話す。ほぼ大勢が決して浅野さんと菊谷さんが交代の時、怒気を含んだ大きな声が後ろから飛んだ、カーワンHCだ。私までがピンと背中が延びるような他を圧するような声を出し、厳しい表情をしていた。余裕とかそんな感じが何も無い。交代で帰ってくる選手はベンチの選手と「やることはやったぞ」という表情で握手握手。伊藤護さんも交代でベンチに帰ってきたが、「集中!集中!」と何度も何度もフィールドに向かって声を出していた。対照的に箕内さんはじーっと選手の動きを見守っていた。そしてついに試合は有賀さんのコンバージョンが決まってノーサイド。選手たちが帰ってくる。抱き合ったり、だれかれと無く握手して喜びを爆発させている。おめでとう。本当におめでとう。<つづく>Photo

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ラグビーワールドカップ最終予選観戦ツアー

ラグビーワールドカップ最終予選 日本対韓国オフィシャルツアー参加記録

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 ダッシュ、パス、ラインアウトのアップの様子をビデオに収め、スタンド中央に位置する我等の席に戻ってきたら、ツーリストのTさんが「席を確保できましたから」と迎えに来た。結構気に入った席だったので移りたくなかったし、私はここに残ります。と云いたかったが御夫妻は手荷物をすでに持っているし、3人とはいえ団体行動を乱すわけにいかず、Tさんに付いて再び逆サイドへ、「控えの選手の席を三つ空けてもらった」そうだ。案内に従って席に着こうとすると奥さんが「あら、後藤翔太さんだわ、○○さん(つまり私)

翔太さんに近い方がいいでしょう」「いいえ、別に私は~~」と遠慮したのだが、つまるところ後藤翔太さんの斜め前に席を占めることになった。横幅1m超の日の丸を3人で取りあえず、ひざ掛け状態にしてハイ着席。私は翔太さんの顔は存じ上げなかったのだが松岡修三に良く似たイケメンです。サインをもらいたかったが緊迫した大事な試合の前に「それはちょっと」ということで選手入場を待つことに。何人かの方が、「ここ空いてますか?」と前列の席をを指すが都度係りの人に断られていた。程なくして選手が入場してきた。選手が一列に並んだところは、先程まで座っていたところの真ん前で「ああ、やっぱりあの席にそのまま居れば」と選手の背中を見ることに。国歌斉唱では、君が代を大きな声で歌った。国立や秩父宮ではなんとなく気恥ずかしくて声を出して歌ったことは無かったのだが、自然と声が出た。国歌斉唱が終わってリザーブの選手がこちらに向かってきた。選手のベンチはまさに目の前、逆に言えば選手の真後ろに位置することがわかった。ここで御主人「こっちがバックスタンドなんですね」「選手挨拶で向こうを向いていましたね」。言われればその通り、そんなことにも気づかなかった。

さあ、キックオフ、先程までの近くに選手が居ることによるミーハー的心はすっかり消え、きっちり戦闘モードになった。小野沢さんが目の前でノックオン。手にボールがついていない。緊張しているのがありありでした。「思ったところと反対にボールをまわしたね」と翔太さんが隣の方と話す声が聞こえ、なるほど選手は控えではこうやって見ているんだ。という雰囲気を感じられた。翔太さんの何列か後ろに太田GMが戦況を見つめている。JAPANが押し込んでいる。FWが押しているのでなんとなく安心。先に点を取れば選手も落ち着いた試合運びが出来るだろうと見ていた。押し込んでいるがまだゴールラインには距離がある「押せ!、押せ!」と叫ぶ。と、そのとき伊藤護ちゃんが一人、両手でガッツポーズ。他の選手は反応なし、ゴールラインまではまだ距離が残っているように見えるけど、なおも護ちゃんガッツポーズで引き上げてくる。「認定トライ?!」「外国のレフェリーは判定が早い」と勝手に思い込んでしまった。先取点だ!!いけるぞ!・・・ 御主人「有賀選手、香港戦でははずしまくっていましたね」私、「気弱になってキッーカーを交代した有賀さんにGM、JKがお前が蹴れとハッパをかけたそうですよ」と、コンバージョンが決まる。皆大拍手。いけるぞー。小野沢さん、バツベイさん、オライリーさんいいぞ。

有賀さんコンバージョン絶好調。で、前半終了。

ハーフタイム、お父さんに連れられた子供が翔太さんにサインをもらいに来た。せった試合ではなく、ここでサインをもらっても良い雰囲気かなと、私もミーハーモードにスイッチオン。ボールとジャージーと桜の手旗にサインをもらい「手の怪我は大丈夫ですか?」と「大丈夫」の返事をもらい、握手して(一瞬痛そうにしたように見えたのは気のせいか)そしてご一緒の写真を取って貰う。ハーフタイムがあっという間に過ぎた。<つづく>

Bennti

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ラグビーワールドカップ最終予選観戦ツアー

ラグビーワールドカップ日本対韓国オフィシャル参加ツアーレポート そのⅡ

11月25日その2

車は試合会場の正面玄関に着いた。受付の机の上にプログラムが置いてあった。買おうとしたら、ツーリストのTさんが「昨日差し上げましたよ」と、私が昨日いただいたのを忘れたと思って親切に言ってくれた。その一言で「5部」というところを「2部ください」と小さな声になってしまった。机の上のプログラムの横に赤の水玉模様の布切れ(後ほど日の丸をあしらったバンダナとわかる)が置いてあり、どうやらプログラムについているようで2枚差し出してきたのをTさんが大きな声でなにやら交渉し、受付の人が「負けた」というような顔で3枚差し出してきた。こうして3人仲良くこの布切れをゲットすることになった。プログラムは香港ドルで20ドル、日本円で300円ほどか。記念になるし、サイン帳代わりにもお土産にもなる。マニアックに見られるかと思い2部にしたが、ラグビーを見にここまで来ただけですでにマニヤックなのだから何も気持ちを引くことはなかった。と後悔した。大きく右手に向かい、いよいよ試合会場へ、入り口には韓国の受付があり横目で見ながら、スタンド通路に入っていった。この日の観戦は無料で、すでに多くのファンで埋まっており、スタンドの端っこは空いていたが、ツーリストのTさんにとってはまさか端っこというわけにはいかず、強引に関取をしてあるところをあける様に掛け合ったが「すぐ来るからあけられない」とにべもない返事。バックスタンドはガラガラだったので「秩父宮では、いつもバックスタンドだからそちらでいいです」と話し、3人でバックスタンドに向かった。警備員が2人おり、許可証の無い者の入場は断るとあったが、さすが公式ツアーの参加者なのか許可証無しにすーっと通してくれた。すでにJAPANの選手がアップしており太田GMも選手をじーっと見ていたが、緊張感が溢れており激励の声をかけられるような空気ではなかった。<つづく>

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